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neuromancer

先日、仕事で外へ出かけたときに、近所の桜がほぼ満開になっていたことに気づいた。その下を学ランを着た高校生が歩いている。かわいいなーと思いながら信号待ちの間見ていて、自分にもああいう頃があったんだよなーと考えていた。まぁ学ラン自体はまだ持っているし、たぶんまだ着れる。たぶん。ウエストがキツいかもしれない。いや、まだまだ...

それはさておき、春というと出会いと別れ、入学と卒業、そして新社会人が生まれる季節。
というわけで、ぼくが進学した頃のことをちょっと書いておこうかなと思う。

中学を出てから進学にあたって、美術系か工業系かで結構悩んだ。

中学では美術部に所属していたが、絵を描くこと自体は好きだけどそれほど根気や才能があるわけでもなく、絵というよりデザインを考えたり見ることが好きだという、根っからの美術志向でもなかったことや、身内にデザインに関わる仕事をしていた人間がいて、その世界での厳しさも見聞きしていたので「絵では将来まず食えない」というのは何となく感じていた。

ファミコンなどのゲームが好きだったので、そういうゲームを作ったりする仕事、コンピュータを使ってなんか作るということにぼんやりと憧れがあって、結局は情報系の学校へ進学することにした。
実際に受験するにあたって、担任からは非常に不安がられていた。なにしろ数学の点が他の科目と比べて極端に悪い、明らかな文系だったためだ。仮に進学できてもかなり苦労すると思う、という忠告も受けた。

情報の学科へ進学してからは、もう大変だった。数学に加え化学や物理など、数式が出る科目がほとんどわからない。逆に周囲が苦手とする国語や歴史、美術、倫理や哲学などは好きだし得意という状況に。
ちなみにプログラミングは得意だった。よくプログラミングができるというと理系だと思われがちだけど、プログラミング「言語」を使うという意味では、どっちかというと文系的要素の方が強いと思っている。

結局、卒業時までで最低限の単位を最低評価でしか取ることはできなかった。途中紆余曲折はあったものの何とか卒業できて良かった。

今現在は学校で学んだ分野が直接役立つ仕事をしていない。むしろ今までやった仕事でそういう内容に関連した仕事はほとんどやっていない。
ただ、コンピュータが身の回りやさまざまな分野で使われている現在、Windows95登場前後あたりからPCに触れ続けてきた経験と基礎的な知識は結構役立っている。

そして学校で勉強以外に学んだこと、友人や教師との関わり、部活動やイベント、学生会などでの役割や立ち回り、さまざまな思い出というのはその後の生き方にずっと影響している気がする。

単純に思い出話のネタであったりもするが、同じようなシチュエーションに遭遇した時の自分の考え方や対応を決める基礎になっていると思う。
人が関わる以上、理論だけで物事は進まないし、経験だけでは方向を見失う。それらの試行錯誤の中で自分なりの指針を見つけることができるのが、学校という場なのかもしれない。

年齢や仕事での立場もあって、さまざまな人に助言したり指示したり、相談を受けることも増えてきた。
話をする時には昔、自分がそういう時どういうことを言ってほしかったか、どうあるべきなのか、相手はどういう状況にあるのか、相手にどうあって欲しいのか、相手自身はどうありたいのか。いろんなことを考える。

結局は相手が自身で納得できる論理を見つけて、自分で行動してもらうしかない。ぼくの考えは「ぼくの考え」でしかない。ただ、ぼくはぼくの経験からそれしか言えないし、それも1つの回答、正解だと思うので、相手の選択肢の中にそれを足してもらえることで考えの幅を広げてもらえたら、と思う。

いろんな人のいろんな考えに触れて「そういう考えもあるんだな」と許容できる人が増えると、少し気持ちに余裕ができて世の中ももう少し明るくなるんじゃないかな、って思う今日この頃。

勉強とか技術とか、それが必ず役に立つか立たないかなんて死ぬ時までわかんないけど、どんなことでもだいたい何かのタイミングで役立つとぼくは今までの経験から感じている。
というわけで春から新しい環境で生活していく方々にはいろんなことからさまざまなことを吸収していって欲しいと思いますとともに、これをもって新生活への祝辞とさせていただきます。

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