見出し画像

失敗してもいい!!〜僕が選挙に行く理由〜

突然ですが、みなさんは選挙に関心はありますか?
行ったことはありますか?

衆議院選挙の公示が10月の19日、そして投票日が10月31日に決まりました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211004/amp/k10013289981000.html

僕は選挙に行く予定です。
これまでも国政、地方行政ともに選挙に参加してきました。

選挙の予定が発表され、ツイッターをぱらぱらと見ていると、こんなnote記事を見つけました。

https://note.com/fuemiad/n/nd29d5fc4139a

……共感。


そこで、どうして僕は選挙に行くようになったんだろうっとふと考えてみました。

すると、ある出来事が思い起こされました。

それは初めて大学で政治や選挙についての授業を受けた頃です。そして、僕にとっての初めての選挙が近づいているときでした。(選挙権の年齢の関係で)
その頃から選挙に行かない人が多いことは社会問題化していました。

だから当時、同い年の友人に何気なく聞いたのです。
「家族って選挙とか行ってたりするん?」

そしたら友人から
「はあ?あたりまえやん。そんなおれの親はクソじゃないし」
って返されました。

僕は面食いました。選挙に行かない大人ってクソ扱いされるんだ……

その返しが衝撃的過ぎて呪いのように残ってきました。ひとつの強迫観念のようになっています。

だから僕は毎回選挙に行くようになりました。
僕はクソな大人ではない。国民の責任を果たしている。

…本当に?
本当に選挙に行くことってそんなに重要?


確かに選挙は僕たちの意思表示の大切なシステムです。それを形骸化したり、軽視することは、民主主義の破壊、独裁国への道すじになってしまいます。

しかし、どうでしょう。僕は選挙に行っただけで満足していたのでは?それだけであとは政治家や行政に政治をお任せしていたのでは……?

それに政治参加は選挙だけではないです。
デモ、ロビー活動、組合運動、署名活動、嘆願書、ブログ執筆……
選挙以外にもたくさんあり、投票したかどうかに関わらずやってもいい、そしてそれらで政治や社会が動くことがあってもOKということです。


評論家、ラジオパーソナリティで有名な荻上チキ氏もこのように言っています。

https://diamond.jp/articles/amp/175166

それなのに、

選挙に行っていないやつは、政治に対して主張する資格なし。
選挙でしか政治を変えてはいけない。

のような意見がみられます。

僕は、このような「選挙至上主義」の日本社会に違和感を感じます。


選挙で政治が決まる、選択を失敗すればあとは次の選挙まで我慢しなくてはならない……そんな重い決断?失敗したらダメ系?

そんなの「勝てば官軍、負ければ賊軍」政治です。そんな政治は民主主義ではありません。


そもそも政治関係は本当に話が難しいです。しかも時代に沿って流れていくので、日常のなかで追っていくは大変💦
上記の笛美さんのように、長時間労働があり、かつ生活を回していかないといけない方からしたら、勉強してから投票すら大きな負担なのでは。
ましてや、「今後の日本があなたの一票で決まる」とか重いこと言われても……


投票について、先日荻上チキ氏が星野源のオールナイトニッポンでこんなことを言及していました。
https://jtame.jp/jtame/63863/amp/

僕もチキ氏の発言に共感しました。

現状に満足していれば選挙に行かなくてもいいと思います。そして、今の社会や日常に不満や不安があるならば、よりマシそうな人や政党へ投票を。

そして、選択に失敗してもいいんです。


もし選挙後も政治が変わらなかったら、不安や不満の残る政治をしていたら、

主張したらいいんです。
デモすればいいんです。
ブログに書けばいいんです。
団体をつくればいいんです。
署名すればいいんです。
etc.

政府への意思表示は選挙だけではない。
たとえ僕たちが誰であれ、政治を変える権利はある。

社会はいつでも変えてもいいんです。


選挙至上主義の社会は権威主義的であり、人々の分断化を進めると思います。

失敗してもいい、社会はいつでも誰でも変えていい。
そう思うと、選挙へ投票へ、行きたくなりませんか?

僕は今の日本の風潮に懸念を抱いたので、この記事を書きました。
読んでくれた方、本当にありがとうございます。

執筆者、ハイサイ・オ・ジサン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?