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【自民に入れるな!】#6 「お前、誰?」

(このシリーズのアーカイブはコチラ↑からどうぞ)


 衆院選も終盤となってきました。
 自民党が次から次へとボロが出てきて「自公過半数割れか?」なんて報道も出てくる有様です。

 まぁ選挙情勢報道なんてアテにならないので話半分で聞いてればイイと思いますが、どういう結果が出ようともこの選挙で露呈したのは自民党の劣化であり腐敗。 もう組織として終わってるので一度退いてもらって、イチから立て直すべきではないでしょうか。


 それはさておき、

 コチラで書いた通り「選挙」とは投票をする有権者の「責任」「覚悟」が問われるものだと私は思っているのでそちらにフォーカスするならば、やたらと主語が大きい人たちが多いコトがとても気になっています。

「国」とか「日本」とか。

 それは思想の左右問わず見られますよね(どう見ても右派支持者が多いですが・・・)。 アラフィフまで生きてきた私から見て、いわゆる「小泉改革」あたりから増えてきて第二次安倍政権で爆増したかなぁ、と。

 その相関性を考えるに、「国」などの大きな主語を憂いているからそれを強く訴える安倍氏などを支持する、という人もいるでしょうが、どちらかというと “強い安倍氏“ を支持したから結果として主語が大きくなったように見えます。

 つまり、安倍氏などといった「強い人」を支持するコトで自らを強く見せたい強い人だと思いたい人たちなんだろうなぁ、としか私には見えないのです。

 では何故そういった思考に陥るかと考えてみますれば、「何か」から虐げられている、といった「弱者」のスタンスが有るのだろと。

 人によって「何か」は異なるでしょうし、そういうスタンスが悪いとも思いません。 だって、自分が弱い立場だからというキモチはみんな一緒です。「強い人」をまとってイキる人も市民運動で声をあげる人も。
 では何が違うかといえば、自らの現状を打破する手段が「社会を変えよう」とするか、「強い人について行くか」の違いではないでしょうか。

 「社会を変えよう」とするならば運動、行動するコトで「個」表出するのに対し、「強い人について行く」コトで「個」埋没してしまっている。 そこが決定的に違うのだろうと。


 ならば問いたい。
 強い人について行けば問題は解決しますか?
 貴方も強い人になれるのですか?
 貴方の周りを見て下さい。 強い人について行ったコトで生活水準は上がりましたか?

 貴方は、その「強い人」の「手駒」、名前もいらない「利用しやすい弱者の一人」となっていませんか?  ・・・ってか、


お前、誰?


 自分が生きる社会は自分という「個」が有ってこそのもの。 「強い人」について行って主語が大きくなっても、それはもう貴方ではありません

 もっと自分を大切にして、誰にも利用されない操られない
 「国」とか「日本」とか大きいコト語る前に、まずは自分でしょ。
 国が良くなるコトで自分が良くなるんじゃなくて、自分が良くなるから国が良くなるという発想を選びませんか?


 自分のために、行動する。
 その第一歩が、27日の衆院選です。

 投票、行きましょう


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金城ガンヂ
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