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【私説】良本の法則

今回から数回に渡ってお送りする予定です。タイトルは異なりますが、通底するところを掻い摘むと読書感想文になります。ただ、私が書くものなので賢明なnoterみなさまにおかれましては、お気軽に、そしてそこまで期待せずにお読みいただけますと幸いです。

それでは、ごゆるりと


まえがき

哲学や思想に関する本を読みたいものの、四方八方に広がりを見せる世界に途方に暮れていた矢先、noteでお尋ねしたら大変丁寧にご紹介いただきました。

読んだ本はこちら。


そしてご紹介いただいたのはこの方。


そして、遅読と書いたら身も蓋もないが、読み終わるのに2ヶ月もかかってしまった。

この場を借りて改めて感謝を述べつつ、今回は若干言い訳じみた私の思う読書体験、ひいてはタイトルに冠した『私にとっての良本の法則』を書いてみたいと思う。


私は読書で夢をみる

本を読む。
我々が幼い頃から繰り返している営為であり、その形態や意味は様々である。

その体験の質もまた様々で、時々良質な体験を得られることがあり、人はその体験をもって当該の図書を良本と呼ぶのだろう。

これは今回読んだ本の中でも触れられていたが、中身がわかることが必ずしも良い体験とは限らない。筆者の鶴見氏はもう一つ「おもしろさ」という指標を用いていた。それにとても共感しつつ、私は「浮かび上がってくること」を指標として挙げたい。

◆◆◆

何か出来事が生じた時に、自分の中で何かがスッと立ち登る感覚を得ることはないだろうか。
読書体験をしている時、文字を追って読解している自己と並行して、何か別の出来事を想起している状態である。想起している出来事は、読んでいる内容に直接的に関係していることもあるが、ほとんど関係していないこともある。(いや、実はどこかで関係しているのだけれど、それが分かりにくくなっていて、後々「あぁ、ここで繋がってたのか!」となったり、最後までならなかったりする)

想起したものは全く初めましてのものではなくて、どこか懐かしいものである気がする。自分の心の中の隅の暗がりにずっと居ながらも、その実、あんまり見えなくて、電灯のスイッチが入って、照らされて、その全体像と久々に出会うような。そこには驚きと安堵感と、少しの後悔が含まれている気がする。簡単ではない、微妙で繊細な感情群である。

この現象の特徴の一つは、何かと並行して起こることだと思う。その結果、微妙で捉えにくい。全体像を照らし出した明かりは長くは続かなくて、その像はまた暗闇に溶けていってしまう。そのため、何かが立ち上ったことは覚えているが、何が立ち上ったかは残りにくい。

これは夢に似ているのかもしれない。睡眠時の夢と同じではないとは思うが、他に程よい言葉がないし、儚さを表現するうえでも、夢という言葉のままにしておこうと思う。

◇◇◇

そういうわけで、私は本を読んで夢をみることがあって、夢を見れる本は良本だと思う。

ただそうなると必然的に読書に時間がかかる。
合間合間で浮かび上がってくる夢たちを掴んだり、逃したりしつつ、掴めたものについて思い巡らせてみて「あぁ!」と奥が動かされたり、最後まで何も得られず手ぶらで戻ってきたり、掴んだものが分からなくなったりするので、遅々として進まないのである。それだけ琴線に触れたと言えるのだけど。

余談だが、夢を見れない本もある。やたらと批判したくなったり、妙に同調したくなる本がそれである。前者は対立方向に、後者は同一方向に、自分の位置を固定される感覚があって、自由度や遊びがない。読後感はいいかもしれないが、体験そのものはどこか平面的な感じも否めないのである。

さて、本題…

そんなわけで中身の方に…

となるわけだが、きっとみなさんもうお腹いっぱいだと思うので、一旦ここまで。







【あとがき】
「いや、中身ないんかーい(ズゴー」という皆さんからの壮大なツッコミを想像しつつ、きっと私のnoterさんたちは「はやぶさくんらしいね」と笑って許していただけるだろうと夢見ております。
いつもありがとうございます()。

皆さんにとっての良本の法則も伺いたいところです。それから「おい、これ読んでいい夢みろよ」みたいなやつもありがたいです。読書感想文は善処いたしますので…(やるとは言ってない)。

むすびに。改めて垂直さん、書籍のご紹介ありがとうございました。もう少し続きますので、緩く見守っていただけますと幸いです。

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