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田山花袋「蒲団」1-5

 前回1-4では、「1人称のような3人称」で語られている「時雄」の印象について、参加者の意見を中心に見てきました。今回は、そんな語り手から見えてくる、「蒲団」の魅力を明らかにしたいと思います。

<3人称の語りと告白の問題>

 前回述べた、三人称の語りと告白の問題について考えてみたいのですが、たとえばフランスの批評家・ロラン・バルトは、三人称の形式をとっていても、その三人称を一人称に置き換えて読んでも違和感がなければ、それは隠れた一人称小説、つまり「私」の視点から書かれた小説だと書いています。  

 確かに『蒲団』は三人称の形式で書かれてはいますが、試しに小説の冒頭部分の「彼(渠)」を「私」に置き換えて読んでみると、ほとんど違和感がないんですね。逆に芳子のほうの視点に立って、「彼女(かの女、女)」を「私」に置き換えてみると、あまりうまくいかない。(ただ、1-1でIさんが言われたように、後のほうの場面ではところどころおかしくないところもでてきます。)しかし、基本的には「彼」を「私」に置き換えて読んでも違和感がないので、三人称の形式をとりながらも、基本的には主人公の一人称の視点で書かれているのは間違いないように思います。
 そう考えると、作品冒頭の、弟子の芳子が自分に対して師への尊敬や愛情以上の烈しい恋愛感情を持っていたはずという、時雄の勘違いモード全開の書き出しは思わず笑ってしまうのですが、その滑稽さを作者はどこまで計算しているのか気になるところです。

<3人称が採用された告白小説、その効果>

 この問題についてIさんは「面白いですよね」と共感しつつ、つづけておおよそ以下のような趣旨の自説を熱く語ってくれました。

 「たとえば推理小説を読む時なんかも、読者がミスリードするように語り手が語っていく。この小説でも、冒頭であたかも芳子が時雄のことを好きであるかのように、読者を共感させていくミスリードをしておいて、じつはそうじゃない。客観的にみればそうじゃないというところをちらちら出しながら、作品が面白くなっていく。ほかにも、時雄にはわかっていないけれど、読者にはわかっているというシーンがいくつか出てくる。時雄はそう思っているけど、読者からみるとそうじゃないだろうというところで、自分の滑稽さというか醜さを表現していく。
 三人称であることもたぶんそうで、一人称の語りだと作品の視野が限定されるが、時雄を客観的な視点から描くことができたのは三人称が採用された効果だと思う。」

 なるほど。つまり、『蒲団』の三人称の語りは、客観的視点によって時雄の滑稽さを際立たせるために、作者があえて選び取った方法だというわけですね。言い換えれば、時雄が滑稽に見えるのは、作者の計算ずくだということですね。

<「赤裸々な告白」を装った周到な作品?>

 さらにIさんはこう続けます。
「僕は、これは周到な作品だと思っていて、例えば奥さんとの関係性のところで、あんなに奥さんのことが好きだったのに、今はそうじゃないといったところとか、わりと冷静で、奥さんとのことをこんなに冷静に見ているんだから、たぶん冷静に見ていないわけはないと思う。そこに作為というか、おもしろく語ろうとするサービス精神のようなものを感じる。

 なるほど、サービス精神。しかしIさんはずいぶん田山花袋に好意的だなと思って聞いてみると、「私小説が大好きなんです。好きだなあと思って読んでいます」とニコニコしながら答えてくれたので、会場はどっと笑いに包まれて、大いに盛り上がりました。
 ただ、Iさんの言っていることは、読みとしても説得力があって、周到かどうかはわからないですけど、確かに語り手にミスリードされてしまいますよね、まともに読めば。
 そして、Iさんの話ででてきた、奥さんの実家が出てくるシーン。たぶん奥さんとの時も芳子との時と同じような感じだったのでしょうね、最初は。でもそれを考えると、かりに女弟子との関係が思い通りになったとしても、8年後には同じようになるんじゃないかなという気が読んでいてもしてしまう。
 その一方で、事件というか出来事が起こっている最中にはよくわからなかったことを、ちょっと時がたった時に、冷静に見ている視点もあるというか、出来事を時間の経過で描き分けているような気もします。

<まとめ>

  「1人称のような3人称」とは、実は時雄の滑稽さや醜さ、恥部を際立たせるために必要な視点だった、ということです。この視点で語ることによって、読者は「赤裸々な告白」を読んでも「おもしろい」「笑える」と感じられる、一方では「エロス」「エネルギー」「さびしさ」にも共感できるということだったのですね。

 そう考えると、「社会的地位のある人がそういう痴態を演じる」「自作自演のドラマ」という印象はこういう視点が理由だったのか、作品中にいろいろな作家や小説の名前が挙がることは、この作品も「人間」をありのままに描くことをテーマにしていたのか、と次々と参加者の皆さんのご意見がつながっていくようです。

 次回は、お互いの意見を聞いた感想や、それを踏まえた作品への感想などをまとめ、私たちの読書会「もっ読」の雰囲気を感じていただけたらと、思っています。

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