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20年振りのこんにちわ

⛰️
伊勢原市大山

「こんにちわって挨拶するだろ」

彼は、35回目になる伊勢原市の大山の登山口で私に話しかけた。

「登山マナーらしいな。35回も登山してると、何回くらい挨拶したんだろうな」

私は、彼に尋ねた。彼はそれには答えず、水質検査に使う道具をリュックから手際よく準備する。
彼は、山が好きな訳ではなく、山に仕事がある男だった。

私は、その準備を見ながら20年振りくらいになる大山に来ていた。山に来た。これを考えると非常に興奮した。石段を一歩一歩と登る積み重ねも、木々の間を抜けていく道のりも、どれも過去の山仕事をしていた時を思い出し、気持ちが洗われるようだった。

彼は、検査を終えると頂上を目指した。

「こんにちわを悩む時があるんだ」

彼は、唐突に話の続きを喋り出した。

「それは、明らかに外国語を喋っている場合なんだ」

石段を上がりながらゆっくりと喋り出す。季節は春だが、生き物が活動をし始めていない今は、人間の声は小さくても響く。

「俺は、どうして声かけていいかわからないんだ。こんにちわとも言いにくい、ましてや、ハローなんて、ネイティブな発音は出来ないし、恥ずかしい」

「それで君は、ハニカミ道を選ぶのか?でもその道も悪くないね。俺だってそうするさ」

彼は、それには答えずハニカンだ。

他愛もない会話は、私の山登りを一層楽しくした。1人で登るのもいいだろう。だけど、友人との2人の時間というのもとても楽しく、久しぶりで心が弾んだ。

眼下に小さく見える町並みを感じつつ一歩一歩進む。どうやら頂上付近は、雲の中みたいだ。

私は、どうしてか理由を探してもわからないが、彼に人生と死について語った。

彼とは四半世紀の付き合いだが、お互いにそういった大事な方を亡くした話や、自分達の死について語った事はあまりなかった。

私と彼は、互いの死生観、明らかに終わりに向かってる今後について話しながら登る。

「やりたい事をやりきる人間はスゴいよ。って簡単に言うけれど、それが出来るか出来ないかを選べるのも健康なうちだけだ。もしくは、最期を知った時」

「俺達は、25年の付き合いだが、あと25年何もないまんまだとは思えないな。健康でこうやって山登りするのも出来ないかもしれない」

妙に素直に会話出来るのも、年齢の経過に寄るものや私達の積み重ね、そして自然の力かも知れないと思いながら、それぞれがそれぞれの日々に忙しくなっていた事を考えた。

「やれる幸せを味わうべきなんだ。どれだけ楽しい事を起こせるか。そして、それは自分達なりでいいんだ。今までだってそうだっただろ?」

どちらからともなく、話は落ち着いた。

そうか、確認作業をしに来たのか。雲の中で考えながらとても晴れやかになっていた。

登山は、当たり前だが頂上で半分だ。
頂上で彼の仕事を見守り、下山に入った。

持ち芸 膝の大爆笑中


私の人生は、折り返しているのかわからないが、笑えればいいと、ガクガク大爆笑している膝を感じながら、生きている実感を噛み締めた。

「こんにちわ」と自然に声をかけられるようになっていた。

その時だった。

明らかに、日本語とは違う言語が聞こえてきた。
それは、若い外国の女性3人組だった。

私は、笑いたい思いを必死に押さえてどうしたらいいか考えた。ハニカミ道は、したくなかった。

若い女性は、私達に道を譲ってくれた。

私は、今年一番声を張り

「こんにちわ」とスマイルした。

彼も私に続き、今年一番の「こんにちわ」とスマイルを贈った。

彼女達は、「こんにちわ」と返してくれた。

なんのはなしですか

「これは、35回目の奇跡だ。今のこの時期に起きないよ。ましてや、出会った事がない。壮大なフリになってるし、あり得ない事がたびたび起こるのが俺達だな」

と彼は、私に笑いながら言った。

私は、「ハローは、言えなかったけれど今年一番の、こんにちわとスマイルは、どうやら世界共通みたいだな。少なくとも俺達は、こんにちわは言えた。登った意味があったよ」

と笑いながら言った。

現実は、小さい事の積み重ねであり、いかにも自分達らしい一歩の進め方である。

何はともあれ、私は山に戻って来た。これは、事実だ。

連載コラム「木ノ子のこの子」vol.3
著コニシ 木ノ子(振り向けばそこに虫)


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