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わたしの能力、ラキラキの実

わたしは、昔からとにかく根性がない。

スポ根というものが皆無なので、
人生で根性を試される瞬間、わたしはだいたい
スタコラ逃げて生きてきた。

3歳から10年間続けた公文では、
やり直しのプリントが花丸をもらえるまで帰れないので
疲れたらまだ終わってないプリントをカバンにこっそり隠して
家に帰り、押し入れに隠して証拠を隠蔽していた。

年末の大掃除でその大量のプリントは母に見つかり
そのまま教室まで引きずられて廊下で正座する羽目になったわたしは、1年間かけて不正解の借金を返済したのだった。


カナヅチとなで肩がひどくて始めることになった
水泳のスクールは、わたしの初めてのスポーツだった。
少食だったわたしはスパルタレッスンのおかげで
モリモリ食べるようになってなで肩も直ったけど、
いつかこの辛い習い事をやめてやるとタイミングをうかがっていた。始めて2年が経った頃、送迎バスが急ブレーキをかけておでこにタンコブができるという事件が起きた。

わたしは痛みを感じるよりはやく心の中でガッツポーズをした。速攻で母のもとにかけより、泣きながらタンコブをみせていかに辛い気持ちか訴えた。母はなで肩も治ったし平泳ぎまで出来るようになったんだから嫌ならやめたら?といい、わたしは無事に水泳から解放された。その日の夜ご飯は、少しの罪悪感とそれを上回る優越感の味がした。

大人になったわたしにもまだ根性はなかった。
大学4年生のとき、就活で参加した企業のグループディスカッションに突然社長が登場し「お前らやる気のないやつは今すぐ出ていけ」と煽り立てた。
わたしは、(うわぁ誰か帰る人がいたらわたしも絶対一緒について出て行こう!)と思ったけど誰も帰らなかった。

わたしは学生時代、帰宅部だったので
部活の顧問が「帰れ」と言っても帰ってはいけない
定番の流れを知らなかった。

根性がないやつは、ひとりで立ち上がって出ていく根性もない。ひとりで帰れるやつは根性があるのだ。
しぶしぶ選考を続けて、わたしは無事落ちた。

ベンチャー企業だったので、ざっくばらんに落ちた理由を教えてくれた人事は、「病んですぐ会社に来なくなりそう」みたいなことをオブラートに包んで言った。半分当たってるなぁと思った。
わたしは昔からお腹がシクシクなるようなストレスを感じたらそれはやらないと決めている。あの選考の日、お腹がシクシクした。

そんなに根性のないわたしが、底知れぬ力を発揮する瞬間がある。それは火事場の馬鹿力と言えるくらいの威力で、わたしの人生に突如現れる。なんとなく、子どものときから自分には根性はないけど、崖っぷちに強いという感覚があった。

今までの人生でそれを発揮したのは、
高校受験と就職の時だった。

中学3年生、受験を控えたわたしは
わたしの成績より少し下の偏差値の高校に出願しようとしていた。
ところが、父がわたしの成績よりいくぶん上の高校を受けろと言って聞かない。今のままの成績だと控えめに言って、落ちるのは確実だった。

めんどくさいことになったなと思ったわたしは
根性がないので、そのまま父の言う高校へ出願した。
それまで公文しか行ったことのなかったわたしは、
人生で初めて塾というものに放り込まれた。

塾は、マンツーマンなら基本的な質問もしやすいけど
合同の一斉授業の塾は苦手だった。お腹シクシクのオンパレードだったし、根性!の雰囲気が漂う教室が苦手だった。
模試の成績はいつも合格ラインを少し下回っていた。

そして迎えた受験当日、わたしはなんと腕時計を忘れた。
鉛筆と消しゴムと受験票のことで頭がいっぱいだったのだ。
それでも、会場に着いた時はまだ余裕だった。
どうせ教室の前方に壁時計がかかっているだろうとふんだのだ。

教室に入ると、壁時計はかかっていなかった。
同じ中学校から一緒に受験した友達に
おそるおそる「時計ってさ、壁、かかってないんだっけ」というと
友達は「ないから各自持っていくようにって説明あったじゃん」
といいながら私には目もくれず単語帳をめくった。

正門の前まで見送りに来た母のところへ急いで戻ろうかと思ったが、受験の日に時計を忘れたなんて母にばれたら即死だなと思い、やめた。

時計がないまま、席に着き
試験用紙が配られ始めた。
わたしは頭をフル回転させて考えた。

普通に受験してもDからE判定をさまよっているわたしが、
試験当日に時間が分からないまま問題を解くなんて、三重苦すぎる。
そんなことよりわたしは、この不始末が母にばれたら殺されるということだけが心配だった。公立に落ちて学費の高い私立に行くことになったら、
母に呪われるに違いない。

このまま不合格になるわけにはいかなかった。
試験が始まるとすぐ、わたしはいつもより猛スピードで
問題を解いた。難しい問題なんか知るか、そんなの後回しでいい。
考え込んでタイムオーバーになったら、私の人生も終わりだ。

集中して神経を研ぎ澄ませると、わたしは
ある一定の時間になると試験会場の空気が変わることに気が付いた。
それは試験終了の5分くらい前で、
問題を解き終わった受験生が見直しをし始めたり
わからない問題が残っている学生が焦って字を書くスピードが速くなる
ことで空気が動くのだ。
試験官も試験終了が近づくと頻繁に時計を確認しだす。

そして時計がないことで、難しい問題をすっ飛ばして
問題を解いたわたしは、すべての試験が終わるころ
これはなんだか、やっちまったかもしれないと思った。

帰宅して、母に「試験、どうだった」と聞かれたわたしは、
まあ、うんとだけ答えながらこっそり右腕に
腕時計をはめた。証拠隠滅だ。

わたしの反応で落ちたと思ったのか、
母は滑り止めの私立高校のパンフレットを見ながら
電卓を叩き出した。

それから、合格発表まで、わたしは死刑台の真下に
いる気分だった。

合格発表の日、わたしは今までの模試でもとったことのない点数で高校に合格した。喜ぶ母の横で、わたしはこれで時計を忘れたことがばれなくて済むとホッとした。

わたしの人生最大の完全犯罪だ。



その調子で、わたしの人生は目まぐるしい。
大学を卒業する直前に就活をやり直して、1週間で内定をもらった
会社に進路変更したり、

はたまた、入社した会社で地元の九州にも飽きて
突然、上京しよう!と思い立って東京へ異動させてもらったりした。

それは全部周りのおかげでもありラッキーである。
わたしの実力でないことは確実だ。

わたしの実力が少しでもあるとすれば、
わたしがラッキーの実を持っていることだ。

ラッキーの実は、突然ピコンとわたしのもとに降ってきて
いまだ!と教えてくれる。

わたしは、ラッキーの実を自分が持っていることを
知っているので焦らない。

人生の2択で迷っている間は、選択する時期じゃないのだ。
そう思ってぷかぷか人生の波を漂う。
どうせいつか決めるのだから、そのいつかのわたしが
正しい選択をしてくれる。

努力という言葉も好きじゃない。
報われなかったとき、次に努力する理由を探せないからだ。
それはわたしが根性がないからである。

根性がないわたしは、
アンラッキーが続くと、
そろそろラッキーの実が爆発するぞと思う。

ラッキーの実は強い。
わたしがその魔法を信じている限り。








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