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あの人ががんを放置する理由とあの医師が放置を勧める理由──ニセ医療問題1

がんを放置したままでいたほうが積極的に治療するより生活の質や生存率が高いと主張する医師がいる。だが私たちはがん放置療法を採用して後悔の言葉とともに亡くなった人が少なくないのを知っている。妹を亡くした小林麻耶さんが「麻央は標準治療を受けたがっていた」と語ったのも聞いた。それでもがんを放置したいと願う人があとを絶たず、放置を推奨して患者にエビデンスのない治療と称した行為を続ける医師も相変わらずである。まず、この状況を整理するところからはじめようと思う。


がん放置療法の鶏が先か卵が先か

 がんを放置したい人が先か、放置することを勧めたり放置を治療と称する医師が先か。この問いへの答えは「原因と結果が循環している」と言うほかない。どちらも原因であり結果である。

 1981年に日本の死因の順位は脳血管疾患を悪性新生物が逆転して一位になり、脳卒中で死ぬ時代からがんで死ぬ時代に突入した。自ずと人々はがんに関心を抱くようになったが、当時のがん治療は予測できない結果が起こる可能性の高さや、状態の悪化や治療期間が伸びるといった不確実性が現代より高く、このことが医療や医師への不信感を生んだ。

 また1978年に山崎豊子氏の小説『白い巨塔』がテレビドラマ化されているのも忘れてはならない。この医学界の腐敗をテーマにした作品では、がんの発見ミスや主人公の外科医財前五郎のがんによる死が描かれ強烈な印象を残したのだった。

 1990年代にがん放置論の先駆けとして近藤誠氏の著作が快進撃をはじめるまでの10数年間は、がんをめぐるあらゆる動向が医療不信と結びつきやすい時代だったのである。近藤氏ががん治療について持論を一般書で世に問い始めたのは、彼自身の動機ばかりか世の中の関心を背景にした出版社の思惑が大きく、これは人々の期待や願望と無関係ではなかったのだ。

 近藤誠氏の主張が書店に並びさまざまなメディアが取り上げたとき、がん放置の勧めとがん放置の欲求が相互に原因と結果となって循環するようになったと言ってよいだろう。2010年代になると近藤氏のフォロワーとも劣化版コピーとも言えそうな放置論者が多数登場して、悪循環は拡大の一途をたどり現在に至っている。


あの人はなぜがんを放置したのか

 近藤誠氏が抗がん剤の副作用を語りだして「がんもどき」という独自の見解を発表したり、「医者が患者を殺している」としてがん放置療法の勧めを加速させる以前から標準的ながん治療を拒否する人々がいた。

 現在はスキンケアの分野で効果が期待されているサメの肝臓から抽出するスクアレンは、がんの予防や治療の効果があると言われ健康食品としてもてはやされた過去がある。1980年代初頭にスクアレンを含む肝油「深海鮫エキス」のブームがはじまってから、がんへの効能効果をうたい薬事法(現在の薬機法)違反で製造販売業者が指導された例は枚挙に暇がなく、こうしたセールストークが有効だったのはがんを手術や抗がん剤以外の方法で治療したい人が多数いたからだ。

 体にメスを入れられたくない、乳房を失いたくない、抗がん剤で苦しみたくない、医療が信じられないといった人たちが、スクアレンだけでなくサルノコシカケなどの健康食品のほかまじないやニセ医療に頼ったのである。しかし、これらは近藤誠氏が巻き起こしたがん放置の潮流には及ばない限られた範囲にとどまる現象だった。

 近藤誠氏が大きな潮流を生み出せたのは、放射線治療の専門家が告発する話題性と説得力だけでなく、著書が廣済堂出版、講談社、三省堂、朝日新聞社等と大手出版社から立て続けに発売された影響が大きい。白い巨塔に対抗する反骨の医師の登場が注目され、反権威の権威として祭り上げられたのだ。

 がん放置療法を選択したり、選択しようとした人たちを取材すると、手術を受けたくない、抗がん剤を使いたくないと結論がまずあったうえで、この結論を補強する情報ばかりを集めていた。近藤誠氏だけでなく内海聡氏、船瀬俊介氏といったがん放置やニセ医療を勧める人物の言動に触れて衝撃を受けたというケースも、よくよく話を聞くと親族が抗がん剤治療で苦しんだ二の舞だけは避けたいと思っていたり、過去の医療体験から医師や病院に悪印象を抱いていたのである。

 これはセカンドオピニオンを受ける人々にも言える。

 手術を受けたくない、抗がん剤を使いたくないといった願望を抱く人は、期待通りの診断を下す医師のもとへセカンドオピニオンを受けに行く。セカンドオピニオンを受けようとして偶然、近藤誠氏らのクリニックに足を踏み入れてしまう人はいないのだ。

 30代の乳がん患者は手術をしなくてもがんは治ると主張する宗像久男氏を選んでセカンドオピニオンを受けたが、手術をしたうえでサプリメントを使用する療法を勧められた。彼女が欲しかったのは「切らなくてもよい」という断定だったため、宗像氏を見限って別のクリニックで放置療法を受けるようになった。よりよい決断をするために主治医以外の意見を聞くセカンドオピニオン本来の趣旨からはずれ、放置療法をしてくれる医者の患者になりたかっただけなのだ。

 もっとぼんやりしたがんは怖い、つらいのは嫌だ、医者が嫌いといった意識から生じる医療を遠ざけたい欲求もある。こうした曖昧で潜在的な欲求(ニーズ)を抱えた人々にまで、がん放置が具体的なかたち(ウォンツ)として手渡されて、医師の説明や家族の説得が機能しなくなっているのが現状と言ってよいだろう。

 こうして、あの人はがんを放置するようになったのだ。


あの医師はなぜがん放置を勧めるのか

 近藤誠氏のがん放置論は治療の限界を前提にしたQOL(患者の生活の質)向上を目的にしたものだった。近藤氏が1999年に行った講演が『医学哲学 医学倫理』誌に掲載されているが、彼はがんは老化と同じく抵抗して克服できるものではないから生活の質を落としてまで治療するのは無駄であると主張している。

 ところが2010年に独自の「がんもどき理論」を発表してからは、治療法のメリットとデメリットを秤にかける姿勢が消えてがん放置以外の処置を全否定するようになった。また著書『抗がん剤は効かない』では実際には低下している胃がんの死亡率を増加しているとし、2014年には虚偽のグラフをテレビ番組で使用するなど、がん放置療法を正当化することだけが目的になっているかのようだ。

 2010年前後はビタミンC点滴、血液クレンジング(オゾン療法)などニセ医療を行う自由診療クリニックが話題になりはじめた時期で、こうしたクリニックではがんの放置を推奨したり標準治療から逸脱したエビデンスのないがん治療が行われるケースが少なくなかった。近藤誠氏は主張を過激化させただけでなく2012年に「近藤誠がん研究所セカンドオピニオン外来」を設立し翌年慶應義塾大学を定年退職するなど、彼の変化とニセ医療の広がりが同時期のできごとだったのもがん放置の潮流に歯止めが効かなくなった原因だろう。

 近藤誠氏は最新のがん治療の成果を無視しているか、追いきれなくなって取り残されているのかもしれない。他の放置治療クリニックも同様か、そのうえで儲けのために患者を受け入れている。自由診療クリニックの診察料は1回30,000円が相場で、これとは別に処置やサプリメントの料金が請求される。とくにこれといった決まりはないため請求額に上限はない。あるがん患者は1ヶ月分のサプリメント代だけで10万円の見積もりを示されたという。

 儲けのためにおかしな自己主張をしたりニセ医療を行うのはわかりやすい。しかし理解しがたいことだが医師としての自信を失って「何をしたらよいかわからなくなった」と手かざし療法をはじめた医師もいた。

 A医師は妻をがんで看取ったあと手かざし療法をはじめた。子息の証言によれば、A医師は亡くなる直前まで「何をしたらよいかわからなくなった」とことあるたびにこぼしたという。

「父は手かざしで治療できるなんて信じていませんでした。こんなあたりまえなことはわかっていて当然です。迷惑だからやめてくれと何度も頼みました」

 故人となったA医師に話を聞くことができないため本心がどこにあったかはわからないが、無力感によるストレスから自暴自棄になっていたというのが証言者の見立てだ。「医者でなくても占い師でいいんじゃないか。ああ見えて占い師は人の役に立っているから無くなることがない」とも言っていたという。

 A医師は自分が学んで得たものに価値がないと屈折して、標準治療の医師ではなく占い師でよいのではないかとさえ思うまでになった。占い師のたとえは、患者とエビデンスのない治療法を使う医師との関係を考えるときこれほど適切な比喩はないように思う。


医師免許を持った占い師たち

 前出の30代女性と宗像久男氏の例を見てみよう。

 宗像久男氏が経営するクリニックのホームページにはリンパ転移、肺転移、緊急搬送とだいぶ重大な状態になった人々が手術をしないでがんが縮小したり消えたとする証言が掲載されている。また、がん治療への独自の考え方は著書を通じても主張されていた。こうして宗像氏を知った患者は期待どおりのセカンドオピニオンと治療を求めてクリニックを訪ねるのだった。

 乳がん患者の女性と夫がセカンドオピニオンで宗像久男医師から指定された新宿御苑駅近くの雑居ビルを訪ねると、彼は応接ブースで病院の診断書をチラッと見ただけで次のように言った。

「術後はこの程度なら抗ガン剤よりサプリメントでいいんじゃないかな」

 診断の根拠は語られず「この程度」の一言で済まされたのち、高額なサプリ代の見積もりが手渡されただけだった。彼女はホームページに掲載された症例よりだいぶ軽かったが治療するには手術が前提とされたのだ。羊頭狗肉な診断に思えるが、手術さえすれば長期間付き合えるクリニックの優良顧客になると目されたのかもしれない。

 この女性が宗像久男医師から放置を勧められなかったため他の自費診療クリニックに通うようになったのは、思い通りの御託宣を得られず占い師を変えたようなものと言ってよいだろう。乳がんは進行し続けているが、彼女はいつか巡ってくる幸運を信じ込ませてくれる医師を頼っているのだ。

 これががんを放置することで得られるQOLの向上なのだろうか。医師と患者の関係としては疑問を抱かざるを得ないが、ことの正否は別として占い師と客ならそんなこともあるだろうという気がする。

 がん放置では医師に、占いでは占い師に、自らが思い描く通りの結論を言ってもらいたい人たちがいる。すべてが願望どおりでなかったとしても、がんなら「放置」、占いなら「いつか巡ってくる幸運」が信じられたらよいのだ。そして授けられた断定に人生を委ねようとする。

 占い師が語るのはあくまでも「占い」であって命令ではない。客が求めるものは占い師自身からの命令ではなく、天体や暦あるいは偶然性から導きだされる運命だ。だから占いを参考にして失敗したとしても、参考にした者が全責任を負う。

 がん放置療法やニセ医療を行う医師も診断はするが命令はしない。患者が求めているものは期待どおりの言葉と治療なので、医師は命令をする必要がない。医学的に意味がなくがん治療としては時間を無駄にするだけであっても、患者のそうあって欲しい願望にお墨付きを与え続ける。標準治療を患者が拒否している前提なので、なにがあっても患者が全責任を負う建前になっている。

 もはやほとんど占い師と違いはないが、がんを放置したい人が先か放置を治療と称する医師が先かの悪循環は、こうして延々と続くのである。


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