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コロナ禍の韓国で「どこにいっても大丈夫な自分になる」スペイン出身Elda/インタビュー企画「ソウルに暮らす」

<Profile>スペイン・カタルーニャ地方出身。人口300人の村で育ち、バルセロナの大学へ進学。留学生だった韓国人の夫と出会う。2018年夏に来韓。旅行会社に職を得るものの、労働法改正のあおりを受けて失業。2020年、職業訓練プログラムで製菓・製パンコースを修了。現在、関連する国家資格試験の勉強に励むかたわら、オンラインでスペイン語を教えている。

ソウルの郊外水原(スウォン)に住む、スペイン・カタルーニャ地方出身のエルダ。

人口300人の村に生まれ育ち、幼い頃から「もっと広い世界に出ていきたい」という想いを抱きつづけ、大学進学を機にバルセロナへ。東アジア地域学を専攻し、在学中に北京に留学して中国語も学んだ。帰国直後、当時スペインへの留学生だった韓国人の夫と出会う。

バルセロナの大学院で修士号を取得し、国際的企業でインターンシップの経験を経たのち、2018年に来韓。韓国語が壁となりインターンシップ先探しに苦労したが、翌春に旅行会社での職を得る。ところが、労働法改正で外国人雇用ルールが変更となり、4ヶ月で失業。滞在ビザの問題もあり、予定を早めて2019年末に結婚。

2020年職探しを再開しようとした矢先、大邱市を中心に韓国で集団感染が発生。コロナ禍により、就職がより一層困難な状況になった。友人の勧めにより、職業訓練プログラムを受け、幼い頃から好きだった製菓・製パン技術を学ぶことにした。コースを修了後、関連する国家資格試験の勉強に励むかたわら、オンラインでスペイン語を教えている。

韓国語、労働法の改正、そしてコロナ禍「働きたいのに、働けない」スペインから来韓後、つぎつぎと立ちはだかる壁

(韓国生活の様子をアップしているインスタグラム。保護犬シェルターでのボランティアは定期的に参加している)

ー 来韓当初(2018年)のことを教えてください。

意気揚々としてましたね笑。

韓国に来たのは夫(当時は恋人)と一緒にいるためではありましたが、スペインの大学院で修士号をとり、DHLをはじめいくつかの国際的な企業でインターンの経験を積んできたので、韓国でも専門性を生かした仕事に就きたいとはりきっていました。スペインでは女性が自立しているのは当たり前で、キャリアを築くのは当然のことだと思っていました。

でも、いざインターン先を探し始めると、全然うまくいかなかった。スペインでのインターンでは英語で業務を行っていたので、韓国でも同じだろうと思い込んでいたのですが、韓国の企業からは韓国語力を求められました。まったく仕事が見つからず、すぐに壁にぶつかりました。

自分でいうのもなんですけど、スペインでトップの大学を出て、世界的な企業での職務経験もあるのに、どうしてだれもわたしに興味を持ってくれないの、雇ってくれないの?と、途方に暮れました。

仕方なく、韓国語がネックになるならまずは韓国語を学ぼうと、ソウル大の語学堂に1学期間だけ通いました。その間もずっと仕事を探して、ようやく翌年の4月にインバウンド専門の旅行会社でインターンの機会を得ることができました。

ー 旅行会社でのインターン勤務はどのような経験でしたか?

やっとみつかった仕事だったので、働けること自体がとても嬉しかったです。スペイン語圏マーケットの担当になり、メキシコからの団体ツアーを沢山扱っていました。同僚には同世代の外国人スタッフも沢山いて、すぐに親しくなりました。

スペインと韓国では仕事観や労働環境が180度異なるので、職場に慣れるまでには大変なこともありました。たとえば、スペインだと定時になると全員さっさと帰宅するのに、韓国では残業が当たり前だったり。でも文化がちがうのは仕方のないことだし、多少のストレスは感じながらも、適応しようと努力してました。

会社も仕事ぶりを評価してくれて、就業ビザ(*)に切り替える手続きを進めようとしてくれていました。でも、その矢先に労働雇用法の改正があり、その話が駄目になってしまって。その会社の規模だと外国人1人あたり韓国人5人の従業員を雇用する義務が生じることになり、わたしの採用が見送られることになりました。

ショックでしたね。仕方のないことだというのは、もちろん頭では理解しています。国は国民の雇用を守る必要性があるし、そのための法律改正だと思うので。でも、ようやく仕事や職場環境に慣れてきて、就業ビザも取得できる見込みがたち、これからがんばろうとはりきっていたところだったので、やっぱり落ち込みました。

(*もともとはインターン就業が可能な求職ビザを取得し、来韓)

ー そのタイミングで韓国人のパートナーとの結婚を決め、2019年のクリスマス休暇をスペインで過ごしたと伺いました。

結婚の約束はしていたものの、夫はまだ大学院に在籍中なので、当初はもうちょっと先のつもりでいました。でも、旅行会社の採用が駄目になり、滞在ビザの問題が浮上してきて。すると、彼と義理の母が結婚をはやめようと提案してくれました。「いずれ結婚するのだから、いまにしよう」って。嬉しかったです。

それで、韓国国内での手続きをすませてから、スペインの家族にも報告にいくことにしました。夫と義理の母も一緒に。1年半ぶりにスペインの家族と再会し、結婚の報告をできて、とてもいい時間を過ごせました。

夫と義母は先に韓国に戻り、わたしだけもうちょっとゆっくりスペインに残って、翌年の1月下旬に韓国に戻りました。ビザの心配もなくなったし、気持ち新たに仕事を探そうとはりきっていたら、その頃韓国でのコロナの感染拡大が深刻になり始めました(*)。誰が悪いわけではないのだけど、このタイミングでどうして?と思わずにいられませんでしたね。。

(*韓国では2019年2月末に大邱市の教会関係者を中心に集団感染が発生し、当時中国についで世界で2番目に感染者が多い国となった)

外国人として、コロナ禍の韓国に暮らす

(義母が住む済州島での一枚)

ー コロナ禍の韓国で外国人として生活していることを、どう受けとめてきましたか?

昨年の2〜3月は韓国社会全体がパニックに陥っていたように思います。当時はまだ中国以外では大規模な感染が広がっていなかったし、みんなが不安のあまり、ヒステリックになっていました。

その頃、もちろん不安も大きかったですが、強い怒りの感情もありました。

韓国に限った話ではなく、悲しいことにのちに世界中で似たようなことが起こっていましたが、当初は外国人住民が感染拡大のスケープゴートのようにとらえられていたのを感じました。マスク着用の習慣を持たない非アジア系外国人がとくに警戒される、というような雰囲気もありました。

たとえば、わたしも友人も経験したことなのですが、ソウルの地下鉄で、両隣が空席なのに誰も座ろうとしない、ということがありました。

いつもなら、地下鉄では座席の争奪戦ですよね。車両のドアが開くなり、アジュンマたちがダッシュで車内に雪崩れ込み、競って席を確保しようとします笑。でも当時、そうやって駆け込んできたアジュンマがわたしをみて、座るのをやめました。きちんとマスクを着用していたし、消毒や手洗いもちゃんとしていたのに。

わたしがその経験をしたのは、1度だけです。外出自体を控えていて、地下鉄に乗る機会も滅多にありませんでしたから。でも、外国人の友人たちからも同じような話を何度も聞いたし、たった1度のことでもすごくショックでした。ニュースでもネガティブな情報ばかりが耳に入って、ちょっと参ってしまっていました。

いまはコロナに関する情報が格段に増えて、みんなずっと冷静に対応していると思います。外国人だからということではなく、ルールを守っているかどうかでみてもらえるようになったと感じています。

でも、あの頃の空気はちょっとつらかったですね。。

ー コロナ禍以前、外国人として韓国に暮らすことをどう捉えていましたか?

韓国で暮らし始めて2年半、韓国の方たちにはとても親切にしてもらっています。特に若い世代の子たちはスペインの文化に興味を持ってくれて、沢山質問してくれるのがとても嬉しいです。

でも、たった1度だけ、心臓が止まるような経験がありました。

アパートのゴミ捨て場にゴミを捨てに行ったとき、わたしがゴミの分別を間違えてしまったようなんです。突然、その場にいたおじいさんにすごい剣幕で怒鳴りつけられました。

“외국인 여기 안돼!”
(「そこの外国人、ここにそれを捨てたら駄目だ!」というようなニュアンス)

“외국인”(外国人)だなんて呼び方しなくても、“아가씨”(*)とか、他の言い方がいくらでもあるのにって、傷つきましたね。もちろん、わたしがゴミの分別を間違ってしまったのがいけないのはわかります。ルールを守らない住民が沢山いて、おじいさんも苛々していたのかもしれませんね。

(*아가씨は「お嬢さん」というような若い女性に呼びかける呼称)

韓国で外国人として暮らして、とても多くのことを学んでいるように感じています。この立場を経験して、はじめてわかったこともあって。

従兄弟がブラジルの女性と結婚してスペインで暮らしているんですけど、いまとなって彼女の気持ちが理解できるようになりました。彼女は見た目はスペインのひとと変わらないのだけど、話し始めるとすぐに相手に外国人だと悟られて、なんていうか、疎外感を感じると話してました。

韓国は、近年急速に外国人住民が増えているといっても、長い間とても均質的な社会を保ってきたわけだから、いまは変化の真っ最中にいるんだろうなあと感じています。

「コロナ禍でもできることを」職業訓練プログラムに参加し、製菓・製パンコースで学ぶ

(見事、洋菓子デザインの資格試験に合格!製菓・製パンコースへの参加は大きな転機となった)

ー スペインに住むブラジル人の従姉妹と同じように、韓国で疎外感を感じていますか?

そう思うこともありますが、この1年間で大きな変化がありました。

きっかけとなったのは、2020年の春から職業訓練プログラムに参加して、8ヶ月間、製菓・製パンコースに通ったことです。そのおかげで、韓国人の友人が沢山できました。最初の1年半は外国人の友人が大半だったのですが、いまは半々くらいの割合かな。

韓国の方向けのコースなので、プログラムはすべて韓国語で、最初はちんぷんかんぷんでした。講義と実技があるのですが、講義は全部録音して、家で辞書片手に何度も聴き直したりして。わからない単語を調べても、専門用語だとスペイン語でもわからなかったりするので笑。

でも、先生もクラスメートたちもみんなすごく助けてくれて、参加して本当によかったです。この経験を通して、以前より韓国社会で受けいれられている、と感じられるようになりました。

ー どうしてそのコースを受けることにしたのでしょうか?

コロナ禍でまた計画が滅茶苦茶になって不貞腐れていたら笑、フランス人の友人が勧めてくれました。

彼女自身も思いっきりコロナ禍による被害を被っているひとりなんです。韓国でプロのガイドになるために努力して勉強して韓国の国家試験を受けて、ライセンスを取得したばかりでした。ガイドの仕事は当面できそうにない状況のなか、彼女はとてもポジティブで「いまできることをするしかないじゃない」って話していて。

本当にそうだなと思って、興味を持てることを探して、製菓・製パンコースを見つけました。キャリアの方向性とは全く関連がありませんが、お菓子作りは小さな頃から大好きで、ずっとつづけてきていました。仕事にしたいかどうかまではわからなかったけど、そうでなくても家でのお菓子作りに活かせるし、なによりできることはなんでもやってみようという気持ちで申し込みました。

これまで、洋菓子デザインとケーキデコレーションの2つの資格をとりました。いまは製菓と製パンの国家資格試験に向けて、必死に準備をしているところです。

先の計画を立てることをやめて、どこにいっても大丈夫な自分になる

(3歳下の弟と。両親と弟はいまも故郷の村に暮らしている)

ー いまはどのような心境ですか?また、これからのことはどのように考えていますか?

コロナ禍を経験して、先の計画を立てることはもうやめようと思いました笑。それから、学歴とか職歴にこだわるのもやめて、そのときの自分が心惹かれることを素直にやってみようと思います。

いまは韓国の大学が冬休みなので、オンラインでスペイン語を教えることも始めました。夫に大学のウェブサイトで募集をかけてもらって、4人の大学生に教えています。スペイン語を教えることもこれまで考えたことがありませんでしたが、やってみるとすごくやりがいがあって楽しくレッスンをしています。

この先どうなるか、全然わかりません。夫が大学院を終えたら、その先の進路次第で韓国を離れる可能性もあります。

でも、韓国で暮らしてコロナ禍を経験したことで、いままでより強くなれたし、物事をポジティブにとらえようと努力することも学びました。きっとこの先どこにいっても、このマインドセットを保っていられれば大丈夫なんじゃないかな、と思っています。

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(2021/3/5 追記)

Eldaから連絡があり、無事、製菓技能者の国家資格を取得できたそう。来韓して3年足らずでの快挙、おめでとう!!!

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