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江戸時代までは混浴がふつう

「女湯に変質者が云々~」というのが何かとよく言われるようになったが、そもそも江戸時代までは男女がともに風呂に入るのは当たり前だった。当たり前だったから当時は「混浴」という言葉もない。

性におおらかだった日本の混浴が廃れていった大きな要因はやはりペリーにある。ペリーは来日した際、日本の混浴は下品で猥褻だと激しく非難し、欧米を真似るのが一等国だというマインド一辺倒だった明治政府や東京府により後に湯屋取締規制(明治12年)が出され、公的に禁止とされていく。それまでは女性の乳房は赤ちゃんにお乳を与えるものという感覚であまり恥部という認識を日本人は持ってこなかったが、このあたりからその感覚も改変させられていく。

昔から自分たちの文化と異なる文化を野蛮だという野蛮さは相変わらずなのが欧米で、今はそれを「グローバリズム」という名で正当化させて日本人もそれに乗せられている。キリスト教圏では裸は恥入浴時も水着を着てたりするようだが、今日本の子供はプールの時間、男子ですら年々肌を出さない水着を着る傾向もあり、日本はある意味長い年月の中でキリスト教(的価値)に改宗させられていったのではとも思ってしまう。令和の日本人が混浴に違和感を覚えるのは、無意識のうちに改宗させられた結果であるかもしれないのだ。

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