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私のカンボジア

ついこの前まで、私はカンボジアにいました。

1週間。
たった1週間の教育ボランティア。

学校には十分な教室はない。

カンボジアはとにかく暑い。

そんな中、黒板と屋根と柱だけの教室で子供たちは勉強していた。

ゆっくりと時間が流れる中、子供たちは将来の可能性を広げるために学ぶ。

周りを見渡せば鶏が歩き、犬がゴミ箱を漁り、子供たちが思い思いに駆け回る。

正直、初日は辛かったです。
暑いし、wifi無いし、虫だらけだし、、、。
不満をあげるとキリがない。

でも、また1年以内には絶対行くって決めてる。

不便さを忘れられるくらいの魅力が、
カンボジアにはあります。

これは断言できます。

私はカンボジアの首都、プノンペンから車で1時間の村にホームステイしていました。

お風呂はありません。水浴びです。

カンボジアに行って気づいたのですが、和式トイレを使ったのは6年振りくらいじゃないかな。

水浴び場にはカエルがぴょんぴょんしてますし、トカゲやらでっかい蜘蛛は当たり前。

でも、摂った水分が次の瞬間汗になって出てくるような暑さの中で、冷たい井戸水を浴びるのは、ほんとに、天国。水浴びの時間がほんとに大好きでした!

カエルも蜘蛛も、攻撃してきません。

というか、

あの村に、誰かを傷つける物なんて
ひとつもありませんでした。

まあ、子供たちの喧嘩はありましたが、次の休み時間には、あれはなんだったのってぐらい仲良く遊んでます。

今は平和なカンボジアですが、
昔は戦争がありました。

人用、戦車用の地雷です。

ガイドさんに案内してもらったのですが、今でも年に3人ほどの子供が地雷で亡くなるそうです。

ガイドさんが言っていました。

日本はカンボジアのために最も多くのお金を出してくれている。だから私たちは日本人が好きだ。と。

私は
日本がカンボジアの支援を
していることも、
地雷がまだたくさん残っていることも、
埋める時は1人だけど、取り出す時は30人ほどの人手がいることも、
地雷によって今も苦しんでいる人がいることも、
何も知りませんでした。

ガイドさんの、
ありがとう
という言葉に、
どう反応していいかわかりませんでした。

私は日本人だけれど、カンボジアにくるまで、

この国のことを
気にしたことなんて
ありませんでした。

もしこの子たちが戦争に巻き込まれたら、
そう考えただけで涙が出そうになります。

戦争はもう起こらない。

そう言い切ることはできません。

この子たちはちゃんと大人になれる。

そう言い切ることもできません。

私がまたカンボジアに行って、
この子達と会いたいと思ったのは、

私が学ばせてもらったことの方がたくさんあったから

だと思います。

ありきたりな言葉だと思います。

でも、あの子たちは生きることに必死で、何事にも貪欲でした。環境も整っていない、
常に綺麗な水がある訳でもない。でも、そんなことは関係ないんです。

私たちは環境だの、自分のポテンシャルだの、いろんなことを言い訳にして、自分が傷つかずに逃げられる道を自分で作るのに必死です。

私はカンボジアに行って、

ちゃんとしないと

そう思いました。

頑張らないことは
あの子たちに、
あの村の人たちに
失礼になる。

と。

長くなりましたが、絶対に1年以内にまたカンボジアに教育ボランティアに行きます。

またnoteします。

次はもっと勉強してから行きます。

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