あの子の日記 「さよならリボン」
日本のどこかの、誰かの1日を切り取った短篇日記集
誰かが椅子を引いた。椅子の脚と床がこすれた音はトロンボーンの音色に似ていて、シより半音低い音程だった。
もしかしたらどこかに奏者がいるんじゃないかと周りを見回してみたけれど、ショッピングモール内の小さなフードコートには私たちと似たような中高生がいるだけだった。
「さっきの聞こえた?」
「なにが?」
「椅子引いた音がB♭だった。あそこの東高の子たちのところ」
3年前、受験で落ちた東高の制服は県内トップクラスの可愛さだった。紺色のブレザーに、グレーの千鳥格子のスカート、首元には深い緑色のリボン。カーディガンも靴下も自由だし、スクールバッグの指定もないらしい。
「東高の制服いいよね。あれ着たかったなぁ」
「うちの妹、東高だよ。着てみる?」
「いや、そうじゃなくてさぁ」
テーブルに両ひじをついて、カップの底に溜まったタピオカを一粒ずつ吸い込んだ。ミルクティーを飲み干したあとのタピオカは美味しくない。
「はいはいはい、ごめんって。私たちもう制服着ることはないんだからさ、それ言うの今日でおしまいね。はいよろしくう」
眼鏡を押しあげるふりをしながら彼女は言った。
「あーちがうちがう。馬場先生はもっとこういう感じで、はぁいよろしくぅ」
「あー似てるわ」
「でっしょー」
何度も真似をくり返して、のけ反るくらい笑った。さっきまで向こうにいた東高の子たちは近くまでやって来ていて、通路を塞いでいる私を邪魔そうにした。
「すいませーん」と言って、座ったまま少しだけ前に避けた。椅子の脚と床がこすれた音は、トロンボーンの音色によく似ていた。
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あたまのネジが何個か抜けちゃったので、ホームセンターで調達したいです。