思えば小さな頃からずっと「家族」という呪いに囚われてきた過去を遡ってみよう:父親編

「ウチってなんか変だな」

そう思ったのはいつ頃だろう。


誰だって、物心つくまでは自分の家族ルールが人生のスタンダードだと思う。

世界がどんどん開けていくほど、そのスタンダードの世界も広くなる。


ワタクシキノコは「それが普通じゃない?」という人が1番嫌いだ。


「お前の普通なんて知ったこっちゃねえ」と腹が立つ。


宇宙があって、地球があって、こんな小さい島国のどこかの小さな県の小さな町で育って普通もクソもないもんだ。

世界に出たらお前なんか即死しろ。


そんなくだらない「普通」作ったヤツの名前と住所言ってみろ。


心の中でそれくらい悪態をつく。


ああ、今日は薬が変わったせいか心の荒れ模様が酷い。


私ね、

今まで自分はポジティブだって疑ったこともなかったのに、

暗いこと全部吐き出してしまえと思うとこんなに出てくることに驚いております。


おーいおい!

どこがどうポジティブだったのか問いたい。


でも人にもよく「悩みなさそう」とか

自由で楽しそうで「どんな両親だとそうなるの?」とか


言われてきたけどこんな感じです。


ずっと両親は反面教師にして幸せになろうと思ってきた。


こうして向き合うより、

さっさとなかったことにして縁を切った方が幸せだったのかもしれない。


基本的には親って産んでくれただけの存在だと思っているところがあるので、

アダルトチルドレンがどうとか、

毒親がとかどうでもいいと思っていた。


でも潜在意識にはかなり根深いのかもしれないっすね。

どちらかというと自分は明るい方かと思っていたのが不憫・・・


これからは暗いキャラで生きていくのもありかなと思っている。


小さい頃からたくさん写真を撮ってもらってアルバムの中では幸せそうなキノコを見ていると、幸せな過去しかないのではないかと思うのに、


小さい頃の記憶って、

こうしてほじくり返してみないとほとんどない。


田んぼでザリガニや変える釣りをして遊んだ小さい自分や、

レンゲがいっぱい咲いてキレイな田んぼで駆け回った毎日や、

工作みたいにママゴトセットを手作りしていた小学生時代。


案外平和な部分もたくさんあるし、

まあ同じくらい、母の内職や夫婦喧嘩や住んでいた団地内のトラブル。

そんなのもある。


ウチの父はかなり自分勝手で他人のことはどうでもいいタイプで、

仕事も勝手に休んだり友達もほとんどいなかったらしい。


中身が子供だったのかもしれない。

公園の鉄棒に突然ブランコを手作りしてみたり、

変わり者で偏屈で社会性がなかったようだ。


弟はそんな父のように自分がなるのが怖いと社会性がなくなった。

私は都合の良いところだけ記憶に残した。

旅行や川や海や花火に連れて行ってくれたり。


自然と遊ぶ楽しさは随分と教えてくれた。

川で釣った魚をその場で焼いて食べるのは美味しかった。

今でも鮮明に覚えている楽しい思い出。



ただ、生活を成り立たせるのはかなり大変だったらしい。


安定して大きな鉄鋼会社を早期退職して家族は引っ越しせざるを得なくなったり。

たこ焼き屋さんをはじめたいと庭の片隅を改装し始めたこともあって家族で止めたこともある。


父こそ、ただ好きなことをして働かなくても自分の好きなように生きたかった人なのかもしれない。


「そんな人が父親になるべきじゃないよなあ」と

私たち兄弟は何度か話し合った。



自分の好きなことだけして生きるには、

何が必要なんだろう。


才能があれば自分の「得意」は勿論お金に出来ると思う。

ただし根気が必要だ。


「好きなことだけをする」

ホームレスとの違いはなんなのか。


社会性とか知性とか勉強とか、

いろいろあるかもしれないけれど、

きっと「誰かを幸せにする」という器なのだと思う。


自分も幸せで、そして誰かを幸せな気持ちにさせるのがビジネスの基本だとしたら。

父はそのまた両親にも愛されない人だった。


愛は引き継げれないのだろうか。


自分の好きなようにしか生きられず、

家族にもわりと迷惑をかけ続けた父は、

身体が動かなくなる病気になってそのうち何も出来なるらしかった。


もう20年も前の話だけれど、

家族はどちらかというと無関心だったと思う。


人生たった30万ほどで未来を潰された私は、

「そういうもんなんだあ」と思った。


以下参照



そういうカタチじゃなくて、

私の未来をなんとか戻して欲しくてどうでも良かった。



動けても動けなくても、

私たちにはそんなにたいした変化はなかったのかもしれない。


人の人生を潰すような、

不幸にする行動だけはしないようにしよう。


そう思った。



どちらかというと自由意志で動かれると何が起こるか分からないくらいで、

思うように動けなくなくなるくらいでありがたかったかもしれない。


父という存在はいつも私たちの未来に暗雲のように不安材料になっていて、

その時も誰も、不安で思いやる余裕もなかった。



20年経って今はほとんど自由には動けないけれど、

最低限自分のことは自分で出来ている父。


突拍子もないことをして迷惑をかけることがなくなった代わりに、

傷病手当でなんとか家族の役に立っている。


人生ってなんだろうと思う。


宗教は父を救うことは出来なかったのだろうか。


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