1番助けたいのはいつだってあの日の自分自身。まず最初に家を出るタイミングを失った「大学受験失敗」

最近は人生そのものが「鬱」と言っていいのかもしれない。

そんなことを思うキノコです。



最近はここを熟読するのが心の拠り所。


「どうしてこの家に生まれたのか」

私にはずっとここが謎でした。


自分勝手で働くのが嫌いな父親(現在病気)

そんな父親を責めつつ離婚もせず宗教にのめり込む母

もともと神経質コミュ症で人生ほとんど鬱な弟


ここに生まれた私は一体どうやって生きればいいものか。

研究すればいいのか逃げ出せばいいのか同化するべきか。


「宗教活動(特に布教)は苦手・・・」

物心ついてそう言う私には、

「でも魂は自分でここを選んで生まれてきてるからね」

そう呪いのように繰り返され続けました。


私は自分で選んでやりたくないことに挑戦しに生まれたのかな??

そんな変なヤツなのかなあ。



家の中ではそんな会話が繰り返されつつも、

外に出ると

「宗教なんて全く関係ありませええ〜〜ん」

というスタンスで生きてきたキノコ学生時代。


それなりに学生生活の楽しさも苦さもありながら、

なんとか頑張って家の中の宗教観を「普通」に見えるよう保っていた学生時代。

それでも、今考えると、

綻びが出るのは怖くて積極的に関わる人は極限まで少なくしてきたと言えます。

「自分は変わってるから」

そんな孤独感はキノコの中では普通のことでした。


「宗教してほしい家族に応えられない」

「宗教している子と思われたくない」


今思えばそんなこと思わずそこそこ楽しかった学生生活も、

心の土台がそこだからどこかいつも馴染めない気持ちで生きていたのかもしれません。


大人になっても思うのは、

「家族ってやっぱり信頼関係の源」ということ。



「宗教にのめり込んで生きる家族なんて恥ずかしい」


そう思う限り心の土台の孤独感は書き変わらない。

これはなにも宗教に関わらず。


「ネットワークビジネスにのめり込んで生きる家族なんて恥ずかしい」


そんな風に、

自分の土台をほっぽらかして何かにのめり込んでいる状態が嫌いとも言えます。


ああああもう例えがヘタだし誤解をまねきそうだし

私の主観でしかないけど、

人になにかをすすめるというのは、

心の奥底と完全一致していないと苦しさしか見えない。



宗教とネットワークビジネスって結構似てる感覚があって、

他にも例えになるものあるかなあ。


「私自身よりも私はこれを信じている」

みたいなものが気持ち悪い。


「これは絶対良いからあなたもやるべき!それを伝えられないなんて私が不幸になっちゃうからあなたにもやって欲しいの!!」


宗教が、ビジネスが悪いってのじゃなくて、

盲目的に何かを誰かにすすめるのって余計なお世話というか

なんだかこっちが不幸に引きずられる気がしちゃうのです。


あ、まあそんな話はいいや。



とにかくそんな不要な押し付けより、

有益に生きる情報が欲しかった。


そんな高校時代、

大学に行く余裕もなさそうな宗教一家からどうやって自立するべきか。

今のように情報がすぐネットで検索出来る時代なら、

google先生が欲しい情報をサラサラサラ〜〜っと拡げてくれる時代なら。

キノコはワクワクして毎日自分の未来を妄想していたと思う。


あの、田舎で家族と少ない友達しか情報がなかった時代の自分に、

なにが言ってあげられるだろう。


「パソコンってすごいよ、なんでも出来る世界があるよ」

「お金を貯めてワーホリに行っちゃいなよ!世界は広いよ!本当に楽しいよ!」


今ここにいる私の為にも、

お金を渡して相談にのってあげたい。


どんな幸せだって選べる希望に溢れたキノコちゃん。



でもその頃は赤本や紙の資料や先生の独断の進路指導くらい。

私は神戸の国文学に強い私立大学に行きたかったけれど、

そんな道はあの家からは髪の毛の細さほども繋がっていなかった。


県内の公立大学の国分学科をダメモトでも受けることに。

古典や文学を学んで、図書館とか本屋さんで働いたり経営したいななんて思って。

それだけでも私には明るい希望だった。


私立とかの滑り止めは受ける余裕もなく、

あまりにも無謀だと思ったらしい先生が、

地元の女子短大の文学科の願書をプレゼントしてくれました。


もともとダメモトの第一志望に、

滑り止めがあるとないとでは心の余裕ももちろん違う。


嬉しかったなあ。


「頼りになる大人」という存在が、

もし家族にいたらこんな安心感なのかな。


そんな風に思って泣きそうになったのを、

今でも覚えています。


そこそこ頭は良かったので滑り止めは余裕で受かったのだけれど、

当時のセンター試験では大嫌いな英語が私の中では大きなネックでした。


ここは本当に人生で勝負どころと、

それまでの人生で1番宗教を信じて祈った時期でもありました。


それこそ神頼み。

やっと親の価値観の世界から出られる段階になる。

その為にならどれだけでも真剣に祈れた。


家族はそれを見て嬉しかったのではないかなあ。

「頑張るね」

「絶対大丈夫」

そう嬉しそうに応援してくれたし。



受験が終われば、制服からも家からも、

今までよりはずっと解放されて外の世界で楽しめる気がする。


英語は嫌いだったけど、もうヤマをはって。

好きな分野の勉強は楽しかったし、

なにより狭い「家」という価値観から

広い世界へ出られる大きなチャンスだと思って楽しみしかなかった。

そんな希望に溢れる勉強の時間でした。


結果から言うと、センターでの英語は見事にヤマが外れてボロボロで、

得意だった国語と日本史は学校内でも3位くらいだったのだけど、

平均値が大事なセンター試験では結果もふるわず、

第1志望は残念ながらダメでした。


まあ、どちらにしても実家から出て、

ひとり暮らししながら学生生活を送るなんて現実的には難しくて、

実家から短大通いでも私には上出来か!!


そう思って家族に報告したら、


父親がその短大の入学金を振り込まず使い込んでいたらしい。

まずみんな驚いて、そして宗教絡みの幹部の人まで驚いてやってきて、

なんで家族のことなのに他人まで巻き込んでそんな恥を晒してと私はますます恥ずかしくなって。


最悪な1日だった。


今思っても、あそこで私は大鉈を振り回してそこにいる全員殺しても良かった気がする。


許せないのだ。

いつまで経っても。


あの日あそこにいて好き勝手言っていた人全員許せない。


その日のことはもうあまりよく覚えていなくて、

自分が高卒フリーターになるのが受け入れられなくて、

あれからキノコはもう亡霊のように半分消えてしまっているかもしれません。


なんだかいろいろ、

家族についても宗教についても、


希望の灯りは全てあの日消えたような気がする。


何度も何度も、

あの日絶望という真っ暗な闇に落ちた自分を、

助けに行きたくて救いきれないままの人生。


何度でも助けに向かいたい。

これからはそれを目標に頑張ってもいいかもしれない。


あの日絶望でこの世にひとりしかいないと思って心をなくした自分に、

何度でも「ひとりじゃないよー!!未来の私がいるからたちあがれー」と言う為に。


その為に毎日を丁寧に送っていこう。


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