自分らしさがこだわる居場所。
2日間も続く長い雨。
こんな日は1人考える時間が長くなる。
どうやら明日も雨みたいだから、今日はゆっくり自分の価値観の1つや2つを、久々に書いてみたいと思った。
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僕達が生きていく上で、コミュニティを複数つくる理由は何だろうかと最近考えていた。この唐突な自分への問いに導き出した答えは「人は1つの居場所だけだと自己表現に消化不良を起こすからだ」というものだった。
相手とコミュニケーションをとる場合、それは限られた時間の中で行われることが多い。それに加え、限られた条件下で行われることが多い。だからその場で最適だと思った自分の側面を選択し、自分Aを見せる。
自分らしさというものは一面的なものではなく、多面的なものであるため、自分Bの存在や自分Cの存在もどこかで表現したくなる。
居場所Aで自分Aが最適な場合、自分Bの存在はあらわにできないかもしれないし、出来たとしてもそこではあまり必要のない存在であることも多い。
だから、自分Bを発揮できる、もしくは受け入れてもらえる別のコミュニティが必要なのである。自分Cに対しても同じことが言える。
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仕事先Aにいる自分、仕事先Bにいる自分、趣味仲間といる自分、家族といる自分、昔のクラスメートAといる自分、昔のクラスメートBといる自分、SNS上の自分。
各居場所、各コミュニティを回りながら、自分を表現し認めてもらう。それにいったん満足したら次の場所へと移動しまた違う自分を表現し認めてもらう。
この繰り返しである。
だから僕達は、複数のコミュニティが生きる上で必要不可欠なのだ。
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とはいえ、僕達はそれだけでは満足しないようだ。
同じ居場所や、同じ相手に色んな自分を認めて欲しくなってしまう。
「こう思う自分もいるんだけど、こう思う自分もいるから認めて欲しい」と。
仕事や遊びや恋愛など、日常のあらゆる場面で生じる自分の矛盾や多面性(これを今回は"自分らしさ"とする)を、ある一定の場所・ある一定の人に認めて欲しいのだが、やはりそう上手くはいかない。
「人は1つの居場所だけだと自己表現に消化不良を起こす」と最初に述べたが、複数の居場所があってもこの消化不良は解決しないのかもしれない。
自分らしさというものを、「どこかで(もしくは誰かに)認めて欲しい」というより、「そこで(もしくはその人に)認めて欲しい」と僕達は思っているのだろう。
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