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もののけ姫から学ぶ、これからの時代を生き抜く理想の生き方とは?

こんにちは!ドラマティック・マネジメントの森憲一です。
今日は、もののけ姫!
宮崎駿です。
日本歴代興行収入ランキング第7位!
観客動員数は1420万人!!!
スゴい映画ですねー。

今日は、この「もののけ姫」について解説してみたいと思います!

さて、もののけ姫ですが、こんな風に始まります。

ある日、本州の北側、山奥にある小さな村に、恐ろしい怪物が現れる。
悲しみと怒りに魂を奪われ、猪の化物「祟り神」と化してしまった森の守神です。
村を救うために、その祟り神に矢を放った少年アシタカは、祟り神の呪いを受けてしまいます。
呪いを受けた自分の運命を見定めるため、また、曇り無き眼で事の真相を見定めるために、アシタカは旅に出る。

と、こんな風に始まるのが「もののけ姫」のプロローグです。
この映画は、本当にスゴい!
僕たちに、理想の生き方を教えてくれる映画なんじゃないかと、僕は思うわけです。

グローバリズム、自国第一主義、宗教戦争や内戦、人口減少、環境問題、そして新型コロナウィルス。
たくさんの問題を抱えているこの時代を、僕たちはどんな風に生き抜いていけばいのか?
色んな人たちの利害が、結構複雑に絡み合うこの世界で、僕たちは一体どのように生きていけばいいのか?
いや、どのように生きるべきなのか?
もののけ姫は、そんな、理想の生き方を教えてくれる映画だと、僕は思います。

そこで、本日のテーマはこちら!

もののけ姫に学ぶ、「これからの時代を生き抜く『理想の生き方』とは!?」です。
では、早速初めて参りましょう!


さて、もののけ姫に学ぶ「理想の生き方」!
僕の答えは、たった一つです!!!
それは、こちら!!!

非現実的な夢想家であれ!

これです!

非現実的な夢想家っていうのは、
2011年6月9日にカタルーニャ国際賞を受賞した村上春樹が受賞スピーチで語った言葉です。
スピーチで村上さんは、東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故に触れ、ま、2011年ですから事故直後と言ってもいいですよね、それで、1945年、広島の原爆を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と語りました。

それでね、スピーチの最後に、村上さんはこんな風に言ったんです。

我々は夢を見ることを恐れてはなりません。
そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄(さいやく)の犬たちに追いつかせてはなりません。
我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。
人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。ヒューマニティー、人間性とか思いやりとか、慈悲とか、そういう意味ですね。人が死んでも、そういうものは残るんだっていうわけです。そして、それはいつまでも受け継がれていくものなんだと。だから我々はまず、その力を信じるものでなくてはならないんだって、

そんな風に語ったわけです。
そう!
これです!!!

効率に流されちゃダメだ。
大切なものを見失っちゃダメだ。
例え誰かがあなたに「現実を見なさい」と苦言を呈したとしても、夢を見ること、理想を見続けることを恐れちゃダメなんだ!
そう、僕たちは「非現実的な夢想家」でなくちゃダメなんだ!

もののけ姫の主人公、アシタカは、まさにこの「非現実的な夢想家」であろうとし続けてた。

スゴいよね、アシタカ。

ただね、確かに理想的な生き方だと思うけど、そんな風に生きるのって、なかなか難しい!

でもね。
それでも!
改めて「もののけ姫」を観て、いや、正確に言うと、主人公の少年「アシタカ」を観て、かな。
僕は、こんな風に思ったわけ。

「夢とか理想を捨てないことって、やっぱり、めちゃくちゃ大事なんだなー」

って。

でね。
もののけ姫の何がスゴいって、誰も悪くないってこと。
誰か悪者がいて、正義の味方が退治する!みたいな勧善懲悪劇じゃなくて、
登場する人たち、みんながそれぞれの正義で、それぞれの価値観で、頑張って生きてる。
でもそれぞれ、みんな、利害が違うから、ぶつかり合っちゃう。
ぶつかり合って、戦って、殺しあっちゃう。
でも、当たり前だけど、争いや戦いは、何一つ解決にならない。
状況は、返って悪くなっちゃう。

まぁ、これはあくまでも僕の勝手な想像だけど、宮崎駿さんは、
この物語の登場人物の中で、天朝って呼ばれてる、国の最高権力者に対しては、
「こいつは結構悪いやつだ」
って思ってるんじゃないかなーって、思う。
っていうか、最前線に出てこないで、指示出しばっかりして、美味しいところだけ持っていく、そういう権力者に対しては、厳しい感じがします。
ま、ホント、僕の勝手な想像だけどね。

でもまぁ、とにかく、この物語に登場する人たちは、みーんな、それぞれの利害を抱えながら、それでも頑張って生きてるわけ。
もちろん、アシタカっていう少年も、村を旅立った時には、自分の利害、っていうか、自分の「正義」を持ってる。
「人間のエゴで、自然を破壊してはいけない」的な、超エコロジーで、自然崇拝主義的な考え方に近い正義かなー。
でもね、アシタカは物語の中でどんどん成長していく。
いや、どんどん矛盾に悩んで、苦しんで、葛藤し続けて、それでも理想を捨てないで、みんなが共に生きる道はないのか!?って探し続けた。
スゴい!アシタカ。

ここで、登場人物を整理してみよう。
まずは「エボシ」
タタラ場って言って、山を採掘して砂鉄を取って、鉄を造る、まぁいわゆる製鉄所だね、
そこの女性リーダーの「エボシ」
彼女は、実は若い時に明の国(今の中国だね)、その明の国の海賊に誘拐されて、海賊のリーダーの奥さんにさせられちゃうわけ。そこで、チャンスを伺って旦那を殺して、財宝とか、石火矢って呼ばれてる銃とかを奪って、持ち帰ってくる。
日本に帰ってきてからは、多分、朝廷とパイプを作ってサポートを取り付け、タタラ場の経営者に成り上がったわけ。
中々、スゴい女性リーダーなわけです。
でね、彼女が経営するタタラ場って、女性がめちゃくちゃ多いんだけど、彼女たちはみんな、イキイキと働いてる。
本来タタラ場っていうところは女人禁制が普通なんだけど、ここは違うの。
みんな本当に楽しそうに働いてる。
でね、その女性たちって言うのは、リーダーの「エボシ」が、身売りされられちゃった女性たちをかたっぱしから身請けして、連れてきてるわけ。だから、女性たちはエボシにめちゃくちゃ感謝してる。
それだけじゃない。
エボシは、病気になっちゃって、世間から差別されて生きてた人たちを、多分ハンセン病患者だと思うんだけど、その人たちのことも差別しないどころか、受け入れて寄り添って、仕事も住む場所も与えて、保護してるわけ。
そんな様子を見たアシタカは、葛藤する。
エボシたちは鉄を作るために自然を壊す。でも、タタラ場によって、たくさんの人たちが生かされてる。どちらかを排除するんじゃなく、共に生きる道はないのか?って、悩むわけです。

あと、朝廷からの命令でシシ神の首を取りに来ている、ジコ坊をリーダーとするメンバーがいる。ジコ坊は、善悪とか倫理とかは考えないで、ただただ自分の利益だけを考えて行動してる。命令されたから行動するのみ!っていう感じで動く。なんか、食品偽装とか粉飾決算とか、隠蔽工作とか、そういうことでも言われたらやっちゃう、的な感じな人なの。
こういう風に言っちゃうとめちゃくちゃ嫌な感じのやつなんだけど、この映画の中では、ミョーに憎めないキャラとして登場してる。
こういうところに、宮崎監督の絶妙な悪意を感じるわけ、僕はね。
アニメ的にはただの憎まれキャラだけど、実はあなたの中にも「ジコ坊」はいるんじゃないですか?って問いかけられてるような、そういう意図を感じてしまうわけです。
自分を守るために、効率を最優先するために、本当に大切なこと、見失ってませんか?って。

あとは、多分朝廷と手を組んで、タタラ場を狙っているアサノ公方とその手下たち何かも出てくる。

そして最後に、もののけ姫サンや、山犬のモロたち、猪など、森の守神たち。
山犬のモロ、美輪明宏ね。彼女が言うには、サンは山犬の怒りを鎮めるために、生贄として山に捨てられた赤子だったそうだ。山の生き物たちにとって、人間は見た目にも精神的にも、醜い。だからモロはサンのことを「哀れで醜い可愛い我が娘」と言う。アシタカはサンを「そなたは美しい」って言うんだけどね。こういうところも複雑だねー。
さて、彼ら山の生き物たちの主張は、一貫してる。
シシ神が棲む、崇高な森を守ること。
森を破壊する人間たちをやっつけること。以上!シンプルでまっすぐな主張ですねー。
ただね。
山犬のモロっていうのは、実は色んなことが分かってる。
人間のことを「自分達のことしか考えない、酷い奴らだ」なんて言ってるけど、実は猪たちだって、どこかで自分達のことしか考えてないんじゃないか…なんてちょっと思ってるような気がするわけ。怒りに任せて、物事の本質を見つめる視点を忘れたら、最悪の結果にしかならないんだよ!ってことわかってるんじゃないかなと思うわけ。
どんなことがあっても、エボシのことを殺そうとしてるのは、このまま行くとエボシが調子に乗りすぎて、神をも恐れぬ独裁者になってしまうことを分かってるからなんじゃないかなー、なんて、またこれも僕の勝手な想像だけどね。
でも実際に、モロがエボシの右腕を噛みちぎって、サンとアシタカと山犬がエボシを助けて、最後はエボシの思い上がりも消えて、いい村を作ろう!ってなることも、もしかしてモロにはわかってたんじゃないのかなー、なんて、思うわけです。やっぱり美輪明宏、スゴいね!


さて、こんな風にみんなの利害が複雑に絡み合ってる世界って、僕たちが暮らす、この社会と同じだと思うわけ。内戦とか、宗教戦争とか経済戦争とか。ホント世界中で戦争はなくならないし、環境問題だって深刻な状況だし。おまけにコロナウィルスで、日本も世界も大打撃受けちゃうし。みんなで助け合って支え合って、思いやりあわなきゃ前に進めないのに、みんな自分たちの利益ばっかり考えてるから、何も解決できない。
そういう状況なのに、「共に生きる道はないのか?」なんて言ったら、「なに夢みたいなこと言ってんの?!現実を見ようよ!」なんて言われそうな状況だと思いませんか?
ホント、もののけ姫の世界と同じだと思うわけです。

で、アシタカなんです。
非現実的な夢想家!なんです。
物語のラストシーン。
タタラ場も森も失われちゃったけど、アシタカが理想を捨てなかったことで、シシ神さまは世界にギフトをくれる。自然と人間が共生するための「里山」です。
原生林じゃなくて、里山ね。
これ以上は自然を壊すなよ。節度を持って、自然と共生するんだよと、シシ神は言い残したのかもしれないなーと思うわけです。
神が残した「共に生きる道」ですね。
里山、っていうか、今残された自然を大事にしながら、みんなで分かち合って、支え合って、共に生きなさいよっていう、これはもう、そんな、神様のメッセージなんじゃないかなーと思うわけです。
さて、僕たち人間は、文化も価値観も利害も違う人たちと、あるいは地球と、共に生きる道を諦めてしまってはいないだろうか?
もののけ姫という映画から、そんなことを問いかけられている気がします。

最後に、感動的なラストシーンのセリフを紹介して、終わりにしたいと思います。

まずはもののけ姫サンと、アシタカの台詞。

アシタカは好きだ
でも人間を許すことはできない
サンが言うわけです。

それでもいい
サンは森で、私はタタラ場で暮らそう
共に生きよう
会いに行くよ、ヤックルに乗って

アシタカが言って、サンが肯く。
うーん、いい場面ですねー。

今度は片腕を失ったエボシの台詞。

ざまあない。
私が山犬の背で運ばれ、生き残ってしまった
礼を言おう
誰かアシタカを迎えに行っておくれ
みんな初めからやり直しだ
此処をいい村にしよう

タタラ場のみんなは、穏やかな笑顔。
なんかいいなーと思えるシーンですねー。

そして最後のセリフがこれなんです!
ジコ坊のセリフです。

いやー、参った参った
バカには勝てん

うーん、深い!!!

いやー、参った参った
バカには勝てん!

これで終わるわけですよ、もののけ姫が。
スゴくない?!
どんな権力も、どんな暴力も、バカには勝てない。
つまり、非現実的な夢想家こそが、世界を変えるんだ!的な終わり方なんです。
いや、世界を変えるは言い過ぎですね。
世界を変える、かもしれない…くらいな感じですかね!

それにしても、何度見てもスゴいよね、宮崎駿!
恐るべし!スタジオジブリ!!!

ということで、次回は、千と千尋の神隠しを解説します!

それではまた!
ドラマティック・マネジメントの森憲一でした!!!