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職人として無駄をそぎ落としていくこと

私は花を扱う仕事をしている職人です。その職人とは技術的なものを体系化しているということではなく、自分の身体の運用を認識しながらお花と真摯に向き合う経験を積み重ね続ける点において職人的だと自覚しています。

お花たちと向き合っていく中で、感じることや学ぶことは多くありますが、その中でも、反復することでどのような変化があったのかということについて記していきたいと思います。

お花の仕事を始めた当時を振り返った時のことを振り返ると

・たくさん考えて試行錯誤する
・やり方を調べる
・形にこだわる
・無駄が多い
・自分の想いが強い
・時間がかかる

など、一生懸命トライを続けていたことを思い出します。何かを始める時、誰しもがこのような手順を踏んでいくと思います。

自転車に初めて乗ることができるようになるプロセスも、きっと同じようなプロセスを経て、自分の中での試行錯誤の経験が積み重なることによって、最初は意識して気を付けながらやっていたことが無意識的にできるようになり、いつの間にか、自転車を乗れない感覚自体をも忘れてしまうようになります。

お花と向き合うことも同じで、どのお花から使おうとか、全体のバランスはどうしようとか、細かな所を一つひとつチェックするように時間をかけていたことが、削ぎ落とされていき、無駄がなくなり、初めから決められていた、決まっていたかのような錯覚を感じるようになっていきます。

もちろん自転車においても、様々なテクニックなどが必要とされる競技で考えると、技術力が向上すればするほど新しい課題が出てくることと同じで、お花の技術も向上すればするほど、新しい課題や、チャレンジが必要とされていくのではありますが、自分にとって新しい課題が出てくればくるほど、他者から見ると一見、とても簡単にお花の作品を作ることができるように見えていきます。

自分の体感的には頭の中にあった試行錯誤の思考が抜け出て、勘のようなものが冴えわたり、お花の1本1本の細かな所に意識が向いていた所から、俯瞰して全体を見るようになり、自分の頭の先から足の先までの感覚が鋭敏化し、自分と目の前にあるお花たちの空間全体をなんとなく認識したような感覚を持つようになります。

よりシンプルで、本質的な動作が増え、絶妙なバランス感を会得していくこと共に、無駄や、自分自身の我を削ぎ落していく、まさに修行をしているような身体感覚となり、自らも花の一部となるような溶け合う感覚にもなっていきます。

そのような感覚はこの先もより鋭敏になっていくだろうし、自分よりも長くお花と向き合ってきた先達はさらに違う視点を持っているとは思いますが、この削ぎ落す世界に立ち入って思うことは、お花を通して自分を削ぎ落すという経験は、他の分野にも転用可能だということです。

お花仕事だけではなく、積み重ねることで技術が向上していく事柄全般において、どのように経験を積み重ねていけばいいのかというぼんやりとした道筋が見えているし、その道を進んでいくと、また自分の技術が向上していくということが確信としてわかっているだけに、取り組むまでの時間や、取り組んでいく中で、自分を削ぎ落すという作業にがいる時間がとても速くなります。

そして、その自分を削ぎ落していくという作業が自然に自分の習慣になっていくと、【自分が変わる】ということに対しての自分の許可が得やすくなり、より柔軟で、固定化しない自分であるための土台にもなっていきます。

それは、まさに生生流転の境地に気づいたということでもあり、自分が自然の中で生きている一員だという体感的な気づきを得て、その気づきを深めるためのスタート地点に立ったということでもあると思います。


何かに没頭し、自分と向き合うことは私たちが生活し、仕事をし、趣味に向かう中で、あちらこちらに存在しているものの、没頭できる対象に出会ったり、それに意識的に気づいている人はそう多くないように思います。

私は幸いにもお花と出会うことができ、それが自分の性に合ったため、日々お花と向き合いながら、自分とも向き合う経験を積んでいますが、それによって、お花以外の分野に対する新しい経験への挑戦にも目を向けられるようになってきています。

そのようなことを考えると、自分の最も良い相性の対象と出会うのは、まだ先かもしれません。新しい経験への挑戦を通じて、より自分を深く見つめるための対象と出会うかもしれませんし、それが今自分の中で培われているお花の技術と融合し、昇華されていくかもしれませんし、自分が変わっていくということに期待が膨らまずにはいられません。

このような自分の経験から、これから何かを始めたいという誰かの役に立つものはないかと考えてみるに、【自分に最も合う対象と出会うまでに、様々な道に進み、その道の中で没頭する小さくて大きな経験を積むことが重要だ】ということが頭の中に浮かびます。

何か効率的に、効果的に、最速で、自分にとって都合の良い、近道などということは存在していませんし、それは自然とは全くかけ離れています。自分にとって、心揺さぶられる体験は数多くの分野で存在しています。なので、どのような事にでも挑戦し、少しでも心揺さぶられる対象と出会うことができれば、思う存分没頭し、更に新しい課題が表出し、それを克服するという経験を積み重ねていってもらいたいです。

最も自分に適した対象と出会う機会を待っていて行動しないという選択だけは取ってはいけません。何故なら、それが自分にとって最も適した対象かどうかは今の自分には知りうることができないからです。それを検証するのは自分が死ぬ間際になって振り返るまでわかりません。いつ、どのような対象と出会うかわかりません。

世の中も自分も常に何かが生まれ、何かが変わっていくのですから、できる限り多くの経験をし、小さくて大きな没頭を続けることこそが、自分の多様性を生み出し、自分の可能性を高め、没頭できる分野や、心動かされる対象の幅を広くしてくれます。行動すればするほど自分が共感できる物事が増えていくという感覚も、行動してこそ培えるものだと思いますし、思いもよらない分野の対象に興味を抱くことになるかもしれません。

まずは今ちょっとでも興味のあることに、片足を突っ込んでみることから是非、始めてみることをおススメします!

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