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連続的に「初心」を生み出し続けることで、未来を切り開く

初心[しょしん]
1.まだ十分に慣れていないこと。
2.最初に思い立った考え。最初の決心。

初心忘るべからずという言葉があります。

例えば、社会人になったばかりの事を初心として、仕事を始めた時、或いは起業した時を初心と定めて、いつまでもあの時のフレッシュな気持ちを持とう!などという事を初心と定めがちであると思いますが、今回は【初心】の定義づけや、使い方を考え直すことで、自信の美意識や価値観の軸を見直すことを考えていきたいと思います。

初心 と言う時、みなさんはいつのことを思い浮かぶでしょうか?

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①初心は人生の中で一回だけ?

あれ!?と思うわけです、そもそも【いつ】という、はっきりとしたあの時にしか初心ってないのかな?人生という80年というスパンで考えると、例えば15歳とか、18歳とか、20歳とか、或いは22歳の時を考えるかもしれません。或いは、年功序列が前提となっている定年制で考えると、年齢や勤続年数が重視される分、勤続年数の浅さが初心とニヤリイコールかもしれません。

しかしながら、よく考えてみると、最初って、いつからいつの期間における最初なのか?と思うわけです。頑固一徹に伝統を守りながら、昔ながらのやり方を続けている・・・場合は、新入社員の当時が初心になるかもしれません。

ニーズや社会情勢など、前提が変わらなければ、一つの期間として初心の意味として合致するかもしれません。人生が80年だとすれば、80年間前提が変わらないような緩やかな社会の変化の場合も同じように言えます。その中で、ニーズの変遷に対応しながらも、その時々に必要とされるものに自分自身をチューンナップしていくんだ。。。なんていう【カイゼン】的な考え方や、PDCAを回していくんだ!というようなオペレーションもありますが、積み上げ式の考え方である限りは、一番根っこにある土台が変わらない限りは、その土台の最も下にある部分が初心であることには変わりないでしょう。

ただ、前提が変わらないなんていうことは自然だと言えるでしょうか。自然とは常に状況が流転し、新しいものを生み続けては、その瞬間から、また違うものに生まれ変わっていきます。人間はその自然の中で、前提が変わらないような勘違いを日々の生き方で培ってきたと考えてみるとどうでしょうか。

2000年代以降、AIやデジタルの変革が進んでいくことで、私たちの商習慣や、社会構造の変化、コミュニケーションの変遷のスピードが加速度的に向上し、しかも、新型コロナウイルス感染症の影響によって、スピードが加速したというよりかは、数年後にワープしてしまったかのような、状況になっています。今まで良しとされていた常識が通用せず、新しい常識になんとか慣れなければならないと、今、【初心】と向き合う羽目になっています。

つまり、社会の変革が起きることによって、前提に変化があると私たちが気づいた時、その経験したことが無い状況に慣れていない【今】が初心であり、実は、その初心は私たちが思っているよりも、この先に数多く存在しているのです。

それは、社会構造やニューノーマル、デジタル革命、イノベーションなどという大きな外的要因だけを指すものでもありません。自分の年齢におけるその時の知識や経験、体力、価値観など、様々な情報を取得する時のアンテナが変わったり、自分の会社の情勢や人間関係、精神的な状況によって、外的要因が同じであったとしても状況が変わり、その時が初心になっているかもしれません。

なんせ、自分が気づいた時が初心になるという、極めて内発的な動機付けなのですから。自分の外にある事実として初心を理解しようとすると、そんなところに初心は存在していないのですから、却って見つけることができなくなります。

【真面目であることのすばらしさを伝えたい】の記事や、その他の記事でも書いていますが、言葉を他者に向けて定義づけする時と、自分自身に向けて定義づけする時で、使い方は一変します。どちらもをごちゃまぜにしてしまうことで、相手もその意味がわからなくなるし、自分自身も自分の発言の一貫性のなさに混乱してしまうこともあるかもしれません。

自分の美意識を見つけるためには、まず自分に向けてあらゆる言葉を使っていくことを心がけると良いでしょう。

②初心を見つけ続けることで未来創っていく

初心忘るべからずという言葉は、室町時代に能を大成したことで知られる世阿弥が生み出した言葉で、もう少し正しく抜粋すると以下の通りです。

 是非初心不可忘(ぜひのしょしんわするべからず)
 時々初心不可忘(じじのしょしんわするべからず)
 老後初心不可忘(ろうごのしょしんわするべからず)


是非初心不可忘においては、未熟な時を忘れず、謙虚に慎みなさいということを指しています。

時々初心不可忘とは、年月を経たとしても、その時々の自分の熟練度によって新しい課題や、奥深さが出てくるものであって、実はその時も初心と言ってしかるべきもので、謙虚に慎みなさいということを指しています。

老後初心不可忘では、一般的には完成したと言われたとしても、妙齢になった時にこそできる熟練の技があり、その奥にまた更に、新しい課題や奥深さがあり、実はその時もまだ初心と言って差し支えない状況だとい言われています。

つまり、日々、自らのことを謙虚に観察し、自らの理想の姿をその時々において、気持ちを新たにし、志を立て直すことによって、初心を得ることができるようになっていきます。

③初心を得続ける事とは、生まれ変わり続けることと同じで、起業し続けることと同じ。

初心とは、今・或いは将来置かれる状況と、今この瞬間の自分の技術や考え方にギャップがあり、十分になれていないことを指します。

つまり、初心を得て、真摯に向き合いながら、プロジェクトや自分自身の壁に対して挑戦していく、つまり、新しい価値を生み出すことに繋がっていきます。今まであるものを大切にしながらも、少しずつ調整していく、チューンナップしていくということと、との違いがお分かりいただけましたでしょうか。

今までの条件を勘案せず、今この状況を初心と捉え、状況を0から考え、そして1から組み立てる必要があるということです。

また、初心を得るということは、自分を律し続ける必要があるし、その考えを持ち続けるという志と、心から楽しむ気概が必要な上、初心を得る経験を積み重ねることが、更なる初心を得ることに繋がるという経験も必要とされています。

しかし、今、世の中が急激に変化している中で、外的要因として初心を得やすい状況になっています。だからこそ今、初心を得るという考え方を見直す時が来ています。

今、自分が十分に習熟しているものは何だろうかということを考えた時に、その習熟度が高いものと比較した昔の初心と、今だからこそ、自分に足りない課題を見つけた時の、今この瞬間の初心が同居する、この珍妙な今こそが初心がいる場所なのです。

④起業した日から、次の一年後、必ず違うことをしている

これを自らに課しました。何故ならば、変化しないということは、退化と同じことであると考えたからです。

今思えば、退化というよりも不自然と言った方がニュアンスは適切かもしれません。

起業した時の私は、1年という区切りを初心に気づくためのきっかけとしようとしていました。

1.店頭販売期
2.ギフト期
3.拡大期
4.世界観期(これから)

1.店頭販売期
今から13年前、私は現役大学生ということもあり、テナントを借り、設備を整えるお金もなかったので、駐車場にテントを張って、店頭販売中心のお花屋さんを開始しました。今から思えば、考えられないほどの安さでお花を販売し、仕入れたその日と翌日には全て売り切るスタイルで、開業して半年後には周辺の駅からわざわざ車や電車でお花を買いに来てくれる人がいるほどお花が飛ぶように売れていきました。

お客さんとも近所のお花屋さんとして、街を歩けば50m毎に誰かと挨拶をする。なんていうひとり商店街のような雰囲気さえ漂っていました。

2.ギフト期(EC)
順風満帆な営業が続いていたので、大学卒業後もそのまま花屋でやっていこう!と思っていた4回生の3月、突然立ち退きにあってしまいました。あと1カ月で就職するなどという気もさらさらなく、隣町にテナントを借り、同じような店頭販売形態で商売を始めることになりました。

所が、同じようにはお花が売れなかったのです。
それは、移転後の場所が単身者(単身赴任)が多く、自宅用にお花を購入する人がそもそも少ない地域な上に、テナントを借り、フラワーキーパーやその他什器・設備を導入した分、そのお金を販売価格に転嫁することで、気づけば普通のお花屋さんになってしまっていたからです。

結局、1年も経たないうちに、元々商売をしていた地域でお店を探し、しかも駅から離れた家賃が安く、広さもそこそこあるお店に引っ越しました。そこから、楽天市場にECショップを立ち上げ、店頭販売はそこそこに、ギフト一本に絞って、販売をスタートさせました。

それが功を奏し、ご自宅用のお花の販売はほぼ0%に近くなりましたが、ほぼ全ての売上がフラワーギフトとなり、予め予約状況がわかっていたので、注文分だけのお花を仕入れるスタイルに変更し、結局は仕入れたお花をその当日と翌日で売り切るというお花のロスを極限まで減らすことに成功しました。

3.拡大期
フラワーギフトの販売が好調だということもあり、スタッフも拡充しながら、店頭販売用のお店を2店舗出店することにしました。(合計3店舗)
フラワーギフトの販売を本店で継続しながら、1店舗は心斎橋のど真ん中で、もう1店舗はマンションが並び立つ住宅地の見通しが良い場所に。

これはもう成功するイメージしかない!と思っていたのですが、最初は良かったものの、急拡大してしまったが故に、人材の育成が間に合わず、辞めてしまったりなどで、結果的に2、3年で2店舗とも閉じることになってしまいました。経営戦略には、人材育成もセットなんだなぁと、当たり前の現実にぶちあたってしまったのです。

とは言え、本店のフラワーギフトの販売は継続して好調だったため、会社としては危ないなんていうことはありませんでしたが、フラワーギフトを作るデザイナーの人材不足という原因によって、お客様からの注文をお断りしてしまわなければならない期間が1年間の内に100日弱あるという、非常に人に拠った仕事となってしまっていました。

4.世界観期
フラワーギフトをお承りできるお客さまと、断らなければならないお客さまが出てしまうことが続いている中で、あることに気づきました。

私はお花の力を信じてはいるし、お客様も喜びのご連絡をしてくれるということは、社会のために役に立っているんだ。という考えを持っていたのですが、実際にわざわざ喜びのメールを送ってくださるお客様は10人に1人ですし、全員が人生が変わるほどの喜びを私たちがお届けできているのかどうか。そのようなことを考えた時に、私たちが今、やるべきこと、目指すべきことに気づきました。

それは私たちの世界観をお届けすることです。

MORIYAではいくつかのコンセプトを掲げて、お花たちと向き合っています。その中で以下のようなビジョンを夢見ています。

MORIYAが夢見る将来
私たちはワクワクしています。
お花にはヒトの心を動かす力があります。ヒトは花を見て美しいと感じます。
美しいと感じることができる心を動かすことと、あらゆるコミュニケーションにその美しさを掛け合わせることで、
新しいポジティブな関係性がきっと生まれます。
ヒトとヒトとの繋がりをより確かなものにし、その先に笑顔で毎日過ごすことができる世の中を思い描き、私たちはお花たちと向き合っていきます。

【美しいと感じることができる心を動かす×コミュニケーション】

これを最大化するためには、デザイナーの人員をたくさん増やすということよりも、私たちの思いに共感してくれるお客様とより深く関わる事だと考えました。

今、お店の中の内装を作り変えています。
店の中を整理整頓し、機能美とデザインを統一し、撮影スタジオを作り、自分たちが発信したい世界観だけをより濃く抽出して、その世界観を体験してもらう【体験価値】を明確に発信することによって、私たちのお花を通して、人生が変わる体験を通じて、社会と関わっていきたい。
そのように考えています。

そして、自分たちがワクワクすることや、意義があると感じたことを一生懸命取り組むことを決めました。

この記事にまとめたのですが、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、学校が長期休業した子どもたちの支援をすべく、学校が再開するタイミングでお花を寄付しました。おおよそ30000人以上の子どもたちにお花を楽しんでもらう機会を作りました。

その他にも、地元で商売をしている人たちと一緒に、公園でIKiRUフェスティバルというお祭りを開催したり、桜を無料配布したり、ギャラリーでお花のパフォーマンスをしたりなど、自分たちが思い描いたその時々に、自分たちの世界観を表現できることや、世の中に必要だと思うことを、実験的に実施しています。

ニーズがあって、それに応えたものではないのですが、そうではなく、自分たちの考え方や、信念からくる行動をすることが、自分たちの世界観とマッチした方と一緒にお花という繋がりで一緒に楽しむことができると思ったからです。

自分の利益や、自分の都合ばかりではなく、外にあるものや、外で起こっていることに対して、少しでもよくなったり、明るい気持ちになったりする実験を行っていくことが、私達MORIYAが目指す、美しいものを美しいと感じ、心を動かすことに繋がっていくと信じています。

⑤自然の中にいる・あることを意識する

どれだけ考えていても、自分のためを考えると、自然であることや、自然の中で生きていることを忘れがちになります。

豊かな生活を享受できるようになったと思っていても、震災や、台風、洪水、感染症などの影響で、私たち人間はいとも簡単に大きな挫折を重ねてしまいます。その時々に自分たちの限界に気づくことになるので、ある意味では自然なのかもしれませんが、大きな挫折を重ねる原因とは、私達人間の慢心であり、謙虚さの欠乏からくる、初心を忘れてしまったことだと思います。

新型コロナウイルス感染症においては、グローバルにモノや人が行き交う社会の中で、確かに私たち人間の生活や豊かになるような効率性は上がっていたかもしれませんが、それが故に感染症を世界中に広めてしまう結果となってしまいましたし、物の流れも、人の流れを止めてしまったと同時に止まってしまいました。あらゆうものが同時並列的に効率化されていたということは、余裕がなく、パンパンに水で膨れた風船のように、張り詰めた状態だとも言えます。

環境問題においても、同じことが言えます。
何故SDGsや、持続可能な社会を提唱するのかと言うと、それらを包んでくれる自然や地球は、私たちが気づかない間に私たちの生活によってダメージを受けているだろうし、それについて誰もが責任を取らないならば、大きく環境が変わってしまう、つまり自然が壊れて、自分たちも生きてはいけなくなるかもしれません。が、そのようなことが起きるまで、私たちは自分たちの生活を理由に初心を忘れてしまいがちになります。

自分や自分達だけのことではなく、外にいる誰かのために決断し、行動し続ける事が必要であり、逆に意識や言葉は自分の内面に向けて問いかける。このように、行動と言葉のベクトルをその時々に調整しながら、世の中に会いたいし続け、結果的に自らを革新していくことが、初心を忘れないことであり、初心を生み出し、連続して企業をし続ける。ということだと言えます。

どうしても、手法としてのやり方を通して、その先の結果を追い求めがちになってしまいますが、その楽な方法ではなく、自分自身のあり方を問い続けることによって、中に問いを見つけ、外に行動をしていく道を見つけ、自らやり方を創り出していく。そのような仕事や活動をし続けたいと心から思っています。


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