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徒然和菓子譚

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2021年8月の記事一覧

【徒然和菓子譚】その16

【徒然和菓子譚】その16

今日は「御用菓子司」のお話です。その中でも道後屋三郎右衛門(どうじりやさぶろうえもん)についてのお話です。

金沢における菓子司の草分けといわれる前田利家公が金沢へ入場したのは天正11年(1583年)ですが、この後加賀藩都としての金沢の街の建設が着手され、城下には武家や町人の住む街並みが計画的に造成されていきました。能登は宇出津の出である道後屋三郎右衛門は藩より菓子司を命ぜられ城下の片町に住みつき

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【徒然和菓子譚】その15

【徒然和菓子譚】その15

今回からは加賀・金沢の菓子に関してです。まずは藩主前田家の存在に関してお話ししていきましょう。

加賀・金沢の菓子を語る上で、藩主前田家の存在を抜きには語ることはできません。むしろ加賀・金沢の歴史は前田家によって生み出され、育まれ、守り伝えられたと言っても過言ではありません。それは前田家が二百数十年にもわたるその治世を通じて、一貫してとり続けた文化振興政策を基盤として生み出されたことは、他の諸文化

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【徒然和菓子譚】その14

【徒然和菓子譚】その14

今日は友白髪のお話です。

夫婦そろって白髪になるほどの長寿を祈っての婚礼の縁起物です。あるいは実際に長寿となった夫婦の祝い菓子にも使われます。白と赤の糸状の餡を乗せた餅、または求肥を対で並べるため、そのまま長寿の夫婦を連想させますが、実は「友白髪」とは白の方だけで紅は猩々(しょうじょう)をあらわすという説もあります。猩々とは中国に古くから伝わる伝説上の獣の名で、体は紅色の長い毛で覆われ、顔は人、

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【徒然和菓子譚】その13

【徒然和菓子譚】その13

今日は蓬莱饅頭の話です。

蓬ヶ島と同じく伝説の蓬莱山をかたどった饅頭ですが、大饅頭の中に幾つもの色とりどりの子饅頭が仕込んであり、構造上の工夫により、どの方向に切っても切り口には必ずいくつかの子饅頭が現れるようになっています。つまり、子宝に恵まれることまちがいなし、という縁起を担いだものであり、当然に婚礼の祝菓として今も珍重されています。伝説の蓬莱山に似せるため、大饅頭の上に緑の松の「刷り込み」

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【徒然和菓子譚】その12

【徒然和菓子譚】その12

今日は不老門のお話です。

起源や色合いはその11でお話しした蓬ヶ島と同じですが、こちらは巻き物にして蒸しあげた後、輪切りにして見た目も美しく仕上げます。「不老門」の名は古くは中国の洛陽の城門の一つとされるが、菓子の名になった経緯は定かではありません。一説には平安時代に編まれた「和漢朗詠集」に収められた慶滋保胤(よししげのやすたね)の対句「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」からの命名と言われています

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【徒然和菓子譚】その11

【徒然和菓子譚】その11

今日は蓬ヶ島のお話です。

これは古くから中国の神仙思想にある蓬莱山(ほうらいさん)のことです。即ち、中国の当方の海に浮かぶとされる伝説の島で松、竹、梅が生い茂り、鶴、亀が遊ぶ不老不死の楽園と言われています。この伝説は平安時代にに日本にも伝えられ、蓬莱飾りなどの祝儀の形を生んだとされています。同じ思想が菓子にも取り入れられ祝事、特に婚礼、出産、長寿等の祝菓として珍重されるようになりました。

作り

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【徒然和菓子譚】その10

【徒然和菓子譚】その10

今日は粽のお話です。

粽は五月五日端午の節句にはつきもののお菓子です。男の子の成長を願い、やはり厄除けの意味を持ちます。日本での起源は奈良時代と言われていますが、さらに元を辿ればやはり紀元前の中国まで遡ります。紀元前3世紀頃、楚の詩人、屈原(くつげん)は為政者「壊王(かいおう)」の乱行を諌めようと忠言をなしましたが、聞き入れられずに失意のうちに泪羅(べきら・中国の川)の淵に自死してしまいます。人

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【徒然和菓子譚】その9

【徒然和菓子譚】その9

今日は節句のお菓子(菱餅)のお話です。

前回のお話で三月三日の女の子の節句には菱餅を飾りますが、江戸後期には緑白緑の三段重ねが一般的で特に緑は古くより薬効があるとされ、邪気や災いを払う力があるとされた草(よもぎ)が使われました。見た目にも愛らしい紅が入るのは明治以降と言われています。古くは三月三日に限らず、五月五日や九月九日などの節句にも草餅を食べる習わしがあり、これらはすべての節目の日に厄除け

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【徒然和菓子譚】その8

【徒然和菓子譚】その8

今日は花びら餅のお話です。

奈良・平安時代以降、中国から点心などの食文化が伝えたことに伴い、菓子は単なる補助食糧から文化的な存在としての側面を付加されてきました。つまり人々の生活の中の様々な場面、すなわち様々な儀式や行事、あるいは祈りや祝いなどの場において菓子が一定の役割を演じながら用いられました。さらにはその役割を果たすために菓子そのものも次第に洗練され、姿を変え、ついには菓子そのものがそれ自

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【徒然和菓子譚】その7

【徒然和菓子譚】その7

今日は砂糖のお話です。

本来菓子そのものではありませんが、菓子の歴史を語る上で書くことのできないものが甘味料としての砂糖であり、それが日本にもたらされた時代や経緯もすでにお話ししました点心や南蛮菓子と重なり合う部分が多いです。

1砂糖以前の甘味

日本に砂糖が伝えられる以前の甘味のもとといえば「あまずら」と蜂蜜ぐらいしかありませんでした。「あまずら」とはツタの樹液を煮詰めたもので、「枕草子」に

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【徒然和菓子譚】その6

【徒然和菓子譚】その6

今日は南蛮菓子の話です。

南蛮菓子とは室町時代末期から安土桃山時代にかけて来航したポルトガル人やスペイン人によってもたらされたカステラ、ボーロ、金平糖、有平糖などです。南蛮貿易やキリスト教布教の副産物とも言えますが、卵や砂糖をふんだんに使った南蛮菓子は当時の日本人にとっては大きな刺激となったことと思われます。菓子の名前はほとんどポルトガル語から来ています。カステラは当時のスペインの呼び名cast

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【徒然和菓子譚】その5

【徒然和菓子譚】その5

今日は羊羹のお話です。

起源は読んで字の如く「羊(ひつじ)の羹(あつもの)」、つまり、羊の肉や内臓をとろみをつけた汁で煮たものです。中国点心四十八羹の一つであり、他には猪羹、海老羹、白魚羹などがあります。

鎌倉時代以降に禅僧によって伝えられたと言われていますが、羊の肉や内臓を煮たものはやはり日本の食習慣になじまず、その代用品として小豆餡と粉を練って羊の肝の形に仕上げたものを蒸してから汁に入れた

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【徒然和菓子譚】その4

【徒然和菓子譚】その4

今日は点心の中でも饅頭のお話です。

私は中華料理の肉まんを指すものかと思っていましたが、もともとはもう少し広く、正式な食事の間にとる小食の意味になります。鎌倉、室町時代以降、主に禅僧たちによって中国の食文化の一部として伝えられました。中には饅頭や羊羹のように、その後の日本の菓子の重要なアイテムの起源となったものもあります。

さて、饅頭ですが、室町時代に来日した中国・元の林浄因(りんじょういん)

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【徒然和菓子譚】その3

【徒然和菓子譚】その3

さて今回は外国からきたお菓子についてお話していきましょう。

古代において自然発生的に国内に存在した菓子とは別に、外国からの伝来によって全く新しい菓子がもたらされました。特に古代から近世に至るまで一大文化先進国であった中国の影響は極めて大きなもので、それは遣隋使、遣唐使をはじめ、仏教を伝えるため訪れた禅僧たちによって、様々な文化とともに伝えられました。その影響は、それまで単なる補助食料にすぎなかっ

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