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【徒然和菓子譚】その16

今日は「御用菓子司」のお話です。その中でも道後屋三郎右衛門(どうじりやさぶろうえもん)についてのお話です。

金沢における菓子司の草分けといわれる前田利家公が金沢へ入場したのは天正11年(1583年)ですが、この後加賀藩都としての金沢の街の建設が着手され、城下には武家や町人の住む街並みが計画的に造成されていきました。能登は宇出津の出である道後屋三郎右衛門は藩より菓子司を命ぜられ城下の片町に住みつき、後に二代藩主前田利長公より御判書、紋付、帷子(かたびら)を賜ったといいます。つまり御用菓子司とは、はじめから藩命によって創業し、町人としては最上級の社会的地位を藩より与えられていたということであります。

明日は他の菓子司についてお話していきます。お読みいただきありがとうございます。

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