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意識について 3(瞑想、インド思想、神秘主義、心理療法の観点から)

「意識について」の第3編です。

今回は、瞑想や、インド・仏教思想、神秘主義、ラディカルな心理療法の観点からの考察です。
瞑想的な状態で体験される特殊な変性意識を考えて、意識のマトリクスやメタ意識の意味について考えます。

かなり長めの投稿です。



瞑想における変性意識状態


脳科学で注目されている意識論に、「注意スキーマ理論」というのがあります。
これは、主体としての自己の内部モデル(の表象)と認知対象を関係づける注意スキーマが存在するとする理論であり、自我意識、自己認識が前提されています。

ですが、自我意識、自己認識が存在しない意識があることは、瞑想やインド哲学を知っている人間には、当然の事実です。

私のように、瞑想やインド哲学、仏教、神秘主義、ラディカルな心理療法に親しんだ人間には当然のものでも、脳科学者や一般の学者では、検討されていないのではないかと思える意識に関する事実が、他にもいくつもあります。

通常の意識の状態は、ある瞬間に一つの対象を持ち、その対象が次々変わっていきます。
対象は、意識的にコントロールすることもできますが、通常、意識にのぼってくる対象は無意識的に決まっています。

ですが、瞑想を行うことで、これらとは異なる、以下のような特殊な意識の状態(変性意識状態)が体験できます。

瞑想における変性意識状態

0:自我意識、自己認識が存在しない意識
1:継続的に一つの対象だけを保持する意識(サマディ)
2:感覚だけを対象とした意識(受随観・無想瞑想)
3:同時に感覚全体を対象とする意識(全景瞑想)
4:対象を持たない意識(真我瞑想)
5:意識していることに気づいている意識(気づき瞑想)
6:夢の中で夢を見ているという自覚を持っている意識(明晰夢)
7:熟睡中に意識を保っている意識(意識的熟睡)
8:死後数日間に渡って瞑想を行っている意識(トゥクタム)

1は、インド哲学や仏教で、「三昧(サマディ)」とか「止(サマタ)」と呼ばれる状態です。
訓練すればするほど一つの対象を保持する時間が伸びます。
仏教では、この瞑想は観察のための集中力をつけるために行います。

2の感覚対象だけの意識状態は、感情的反応や、イメージ、概念などの認識を加えないで、それらを止めた状態です。
部派仏教系のヴィパッサナー瞑想の受随観や、大乗の空の瞑想がこれに当たります。

3は、禅で「全景を見る」と表現されるような瞑想の状態で、何らかの対象に意識をフォーカスしない状態です。
2と区別しない場合もありますが、フォーカスの有無で分けてみました。

4は、一般に、インド系思想で「真我」に目覚めた、と表現される状態です。
一切の意識の対象が存在しませんが、純粋な意識そのものを対象としているとも言える状態です。
サーンキヤ哲学では、純粋な意識である「プルシャ」が、意識の対象である「プラクリティ」から離れた、解脱の状態です。
ヴェーダーンタ哲学では「アートマン」、タントラでは「シヴァ」、後期密教やゾクチェンでは土台としての「空」の状態です。

意識自体を対象としている自覚があれば、それは「メタ意識」と呼べる状態です。

5の、気づき瞑想の状態は、覚醒時に自分の感覚や思考や行動など意識していている状態です。
同時に、その意識の働きへの気づきを伴いますので、これも一種の「メタ意識」であり、「メタ・メタ認識」の状態でしょう。

6の、明晰夢の意識は、夢(一般にレム睡眠時の夢)を見ながら、自分が夢を見ていることに気づいている状態です。
明晰夢の中では、ある程度の意識的な行動の選択の自由があります。
これも、一種の「メタ意識」、「メタ・メタ認知」の状態でしょう。

ですが、チベット密教の夢のヨガの熟達者は、夢のすべてを完全に創造し、コントロールします。

7の熟睡(眠りのない睡眠)中に意識を保つ状態は、信じられないかもしれませんが、いくつかの伝統で伝えられています。
インドやチベットの伝統でも聞きますし、ルドルフ・シュタイナーも述べていますし、プロセス志向心理学では、「24時間の明晰夢」という言葉でこの実践を薦めています。

私は熟睡中に意識を保つことはできませんが、朝、覚醒する前に、意識が戻ったことを、何度か記憶しています。
ある瞬間に自分の存在、体験に気づいて(意識が戻って)、しばらくしてから、身体感覚、空間感覚の変化とともに、覚醒していく瞬間を自覚しました。
光の体験とともに覚醒したこともありました。
目を開くのは、覚醒を自覚した少し後になります。
これは、単に、ノンレム睡眠と覚醒の中間状態なのかもしれませんが。

神秘主義的な伝統で語られる意識の継続が、ノンレム睡眠時の夢見ではなく、ノンレム睡眠のすべて段階の夢のない眠りにまで及ぶのかどうか、私には確信はありません。
ですが、意識が一日中、途絶えないと言及されています。

8の「トゥクタム」は、チベット密教の高いレベルの修行者が行う死に方です。
心臓が止まった後、数日間に渡って、そのまま瞑想を続けます。
死後に行う4の意識状態の瞑想と言っても良いのかもしれません。
物理的には、脳は働いていないけれど、死後膠着なく体温をある程度保っています。

これはウィスコンシン大学のデヴィッドソンを中心とするグループなどによって、科学的にも確認されています。

チベット仏教によれば、生前から仮死状態をシミュレートして行っている「死の光明」の瞑想を行っている状態であり、意識のある状態であるとされます。

これが正しければ、脳の活動と離れた意識の存在がありえることになります。


意識論のマトリクス


脳科学では意識レベルということが考えられていて、覚醒状態、夢見状態、熟睡状態、あるいは、レム睡眠、ノンレム睡眠(N1~N4)などは、異なる段階に対応するものとして捉えられます。

ですが、私は、純粋に意識レベルを考える場合、「無意識(認識)」と、「意識(メタ認識)」と、意識作用に対する意識のある「メタ意識(メタ・メタ認識)」という段階で考えたいと思います。

意識のレベル
・メタ意識:メタ・メタ認識
・意識  :メタ認識
・無意識 :認識

「無意識」は、「意識できない働き」と、「意識していない働き」に分けることができますが、ある時点でのその働きに関して見れば、同じことです。

通常のレム睡眠の夢見状態は「意識」で、明晰夢の状態は「メタ意識」となります。
そして、レム睡眠の熟睡(夢のない眠り)の状態は「無意識」です。

ノンレム睡眠時も、まったく同様に考えることができます。

覚醒時も同様で、気づいていない精神作用は「無意識」で、気づいているものが「意識」、気づき瞑想の状態は「メタ意識」となります。

この意識レベルとは別に、中編のパラグラフ「3種類の意識と思考」で書いたように、意識の対象、思考の種類と対応する、次のような意識の種類が考えられます。

意識の種類
・覚醒        :概念  :合理的思考が優位
・夢見(レム睡眠)  :イメージ:連想的思考が優位
・熟睡(ノンレム睡眠):直観  :直観的思考が優位

覚醒状態では、並行して3種類の思考が行われていますが、合理的思考が優位です。

レム睡眠の夢見時では、合理的思考が抑制されて、連想的思考が優位です。
夢のないレム睡眠中も、意識がないだけで、ほぼ同様の思考を行っているのではないかと思います。
伝統的な思想では、「夢見」と表現されていた状態です。

ノンレム睡眠の夢見時がどのようなものであるかは、私には断言できませんが、合理的思考、連想的思考が抑制されて、直観的な思考が優位ではないかと考えています。
夢のないノンレム睡眠中も、意識がないだけで、ほぼ同様の思考を行っているのではないかと思います。
伝統的な思想では、「熟睡(夢のない睡眠)」と表現されていた状態です。

直観的思考というのは、概念やイメージのような形象を持つ表象がなく、言葉では「あれ」としか指し示せないものだと思います。

哲学者ベルグソンの言葉で「純粋持続」と表現しても良いし、哲学者で心理学者のユージン・ジェンドリンの言葉で「体験過程」とか「フェルトセンス(感じ取られた意味)」と表現しても良いし、アーノルド・ミンデルの「エッセンス」と表現しても良いと思います。
あるいは、インド思想の「原因」や「種子」といった表現でも良いでしょう。

さらに、上記の「瞑想における変性意識状態」の4(対象のない意識)と2(感覚のみを対象にした意識)の意識の種類も加えることが必要です。

意識の種類
・純粋意識:対象なし:思考なし
・純粋感覚:感覚のみ:思考なし
   

そして、意識レベルを一つの軸、意識の種類をもう一つの軸とすると、これらを掛け合わせたマトリクスが下記のようにできます。

意識のマトリクス
         A・無意識  B・意識  C・メタ意識
0・純粋意識  :無意識の空無:意識的空無:自覚的意識
1・覚醒    :無意識の論理:意識的論理:自覚的論理
2・レム睡眠  :無意識の連想:意識的連想:自覚的連想
3・ノンレム睡眠:無意識の直観:意識的直観:自覚的直観
4・純粋感覚  :無意識の感覚:意識的感覚:自覚的感覚

各状態を理論的に捉え直すため、操作概念を使って書きました。
「自覚」という言葉は、「メタ意識」の意味で使っています。

普通の言葉で書くと、例えば、以下のような感じになります。

       A・無意識 B・意識  C・メタ意識
0・純粋意識:(如来蔵):虚空の瞑想:真我の瞑想
1・覚醒  :     :通常の思考:法随観
2・夢見  :     :通常の夢見:明晰夢、心随観
3・熟睡  :通常の熟睡:意識的熟睡:自覚的熟睡
4・純粋感覚:     :     :受随感、無想の瞑想

メタ意識のところの言葉についてですが、「ヴィパッサナー瞑想(気づき瞑想)」は、様々な対象を取り、「四念処」と言って4つの対象に分けられます。
身体に関する感覚を対象とするのが「身随観」、その以外の感覚を対象とするのが「受随観」、連想や感情的なものを対象とするのが「心随観」、概念的なものを対象とするのが「法随観」です。


メタ意識の意味


前編で、意識の意味として、次のようなことを書きました。

従来通りの決まったパターンの行動、思考ならば、無意識で行えるけれども、それを再検討したり、それを変更したりして、新しい行動・思考パターンを学習する、あるいは、創造する場合は、意識が必要となるのではないか、と。

その場合には、学習対象や、複数の無意識の働きを関連させたり、あるいは、新しい働きが生まれることをうながし、それを受け入れたりすることが必要になるのではないかと。

「メタ意識」の状態では、この意識の機能がさらに高められるように思えます。
なぜなら、この意識の機能そのものを、メタ・レベルでチェックできるからです。

通常のレム睡眠の夢見の状態は、意識がありますが、行動や判断は、一定のワクの中でしか行なません。
夢の中では、あまり自由を感じることはなく、何か大きな力に押し流され、必然的に動かされているように感じることが多いと思います。

ですが、明晰夢の状態になれば、より自由があって、通常の夢の状態ではできなかった思考、行動、判断が可能となります。
また、夢の鮮やかさも、記憶力も増します。

これは、覚醒状態で、自分が意識していることに気づいて、気づき瞑想のようなメタ意識の状態になった時も同じです。
つまり、自由度や、体験の鮮やかさ、記憶力が増します。

気づきの瞑想は、最終的には、日常の中で行い続けることが目標とされます。
この意識の自覚状態では、従来の慣習的な自分の思考・行動のパターンを対象化することで、それを変えることが容易になります。

仏教や神秘主義の伝統では、この日常の中で慣習的な行動にそれと気づかずに従っている状態を、「夢を見ている」状態であると表現することがあります。
ですから、気づき瞑想の状態は、夢の中で夢に気づく明晰夢の状態と似ています。

これは、ノンレム睡眠時の夢見についても、同じでしょう。
通常は、ほとんど覚えていないのですが、自覚できる状態になれば、それを覚えていることもできるようになるでしょう。

覚醒時には、合理的思考は意識化もメタ意識化もしやすいですが、連想的思考では難しく、直観的思考ではさらに難しいです。
連想的思考を自覚することの本質は、明晰夢と同じだと思います。
直観的思考を自覚することの本質は、ノンレム睡眠の夢見を自覚することと同じだと思います。

合理的思考を自覚すると、そのルールを検証し、変えることができます。
連想的思考や直観的思考を自覚すると、それを解放し、受容し、伸ばすことができます。


純粋意識、純粋感覚の意味


瞑想による変性意識状態には、「メタ意識」以外に、「純粋意識」、「純粋感覚」の状態があります。

対象が存在しない「純粋意識」を体験すれば、限定のない意識を理解することになり、どのような対象への自己同一化からも逃れ、それらを相対化することができるようになります。

これは、サーンキヤ哲学や伝統的なインド思想が目指してきたことです。

また、感覚のみを対象とする「純粋感覚」の意識を体験すれば、概念やイメージに対する反省を生み、それらへの固着から逃れることができます。
そして、それらを変容、活性化することもできるようになります。

これは、仏教や非実体主義哲学を持つ神秘主義思想が目指したことです。

これ以外にも、感覚自体の豊かさに気づき、生の意味を体感することで、様々な精神的疾患への対治になります。

ゾクチェンの瞑想の場合は、この両者を同時に行います。

日常の中でも、限定のない「純粋意識」への意識を保ちながら、同時に、思考を含めどんなものも否定することなく、様々な対象を意識する状態を保ちます。

この時、それら対象への同一化も固着もなしにして、自由に変化、消滅するに任せます。
これは、極限にまで意識の自由度を上げることができる状態でしょう。


後期密教、人智学、POPの意識論と実践法


この付録的なパラグラフでは、インド仏教思想から後期密教、神秘主義思想からルドルフ・シュタイナーの人智学、心理療法からアーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学(POP)を取り上げて、その意識理論と実践論について紹介します。
これらは、「覚醒/夢見/熟睡」に対応する意識論、実践論を持っているからです。

<後期密教> 

後期密教の意識理論では、意識の種類を「覚醒」、「夢見」、「熟睡(夢のない睡眠)」の3つ、あるいは、それに加えて、「性的絶頂(性ヨガなどのプラーナを操作する瞑想状態)」の4つで考えます。

そして、それぞれが、「生」、「中有」、「死」、「受胎」という、輪廻の4つの期間に対応すると考えます。
つまり、一日と一生を対応させているのです。

また、それを「粗大身」、「微細身」、「極微身」、「倶生身」とも対応させます。

・性交:受胎:性のヨガ:倶生身 
・熟睡:死 :死のヨガ:極微身→法身
・夢見:中有:夢のヨガ:微細身→報身
・覚醒:生 :空の瞑想:粗大身→応身

また、4つの意識に対応する瞑想(ヨガ)があります。

覚醒に対応するのが、通常の空の瞑想、あるいは、観想による空の瞑想です。
夢見に対応するのは、「夢のヨガ」と呼ばれる明晰夢の中での観想の瞑想です。
熟睡に対応するのは、「死のヨガ」と呼ばれるプラーナを胸に収束させて、死をシミュレートする瞑想です。
性交に対応するのは、「性のヨガ」と呼ばれるプラーナを中央管に添って昇降させて、受胎をシミュレートする瞑想です。

これらによって、4つの意識の状態、4つの輪廻サイクルの状態を浄化し、浄化された仏の三身(応身、報身、法身)を獲得します。
この修行法を「三身修道」と呼びます。

浄化というのは、すべてに実体がないと知って、こだわりを捨てて、それらを動的に活性化するということです。


<ルドルフ・シュタイナーの人智学>

ルドルフ・シュタイナーの意識論は、「覚醒」、「夢見」、「熟睡」の3つではなく、「昏睡」も含めた4つで考えます。

そして、それぞれを「自我」による「対象的意識」、「アストラル体」による「動物的意識」、「エーテル体」による「植物的意識」、「物質体」による「鉱物的意識」と捉えます。

そして、修行によって、夢見、熟睡、昏睡の状態を順次に意識化していくことで、それぞれを霊的なもの「霊我(動的想像力)」、「生命霊(聴覚的直観)」、「霊人(合一的直観)」)に変える、あるいは、そこに生み出していくと考えます。

・覚醒(対象的意識):自我    →純粋思考(生きた思考)
・夢見(動物的意識):アストラル体→霊我(動的想像力)
・熟睡(植物的意識):エーテル体 →生命霊(聴覚的直観)
・昏睡(鉱物的意識):肉体    →霊人(合一的直観)

シュタイナーは、夢の意識を意識化すると、覚醒状態の体験と変わらないようなものになると言います。
そして、イメージが常に変化するものになると。

また、熟睡状態を意識化した時の体験は、聴覚的な体験に近いもので、それを変化するものの内的本質であると表現しています。

また、熟睡状態の意識化と同時に、合理的な思考それ自体である「純粋思考」を意識化し、それを生きたものにする修行も行います。

昏睡状態の意識化については、存在の内奥への合一的な直観と表現しています。


<アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学>

プロセス指向心理学(POP)の意識論では、以下のように、「覚醒」、「夢見」、「熟睡」に対応する3つのレベルの意識の世界を、「合意的現実」、「ドリームランド」、「ドリーミング」と表現します。

「合理的現実」は、自我の働きと結びついた「一次プロセス」の世界です。
「ドリームランド」は、自我ではない働きと結びついた「二次プロセス」の世界です。
そして、「ドリーミング」は直観的なものの世界であり、根源的な世界であり、「センシェント(微細なもの)」、「エッセンス(本質)」と表現されます。

プロセス指向心理学の特徴は、夢の働きが、覚醒している時にも働いていると考えることです。
それは、フィーリングや雰囲気、無意識の身体の身振り、身体症状などに現れます。
それは、身体性も持つので「ドリーム・ボディ」と呼びます。

・覚醒:合意的現実  :概念、一次プロセス
・夢見:ドリームランド:ドリーム・ボディ、二次プロセス
・熟睡:ドリーミング :センシェント(エッセンス)

プロセス指向心理学の実践では、3つの次元の意識を移動して、対象を展開することが目指されます。
例えば、直観的な意味のエッセンスを意識して、それもイメージや人格的存在、物語として自然に展開し、さらには、言葉で表現して展開するのです。

逆に、イメージや言葉からエッセンスに遡って、それを意識することも行います。

そして、「24時間の明晰夢」という言葉に表現されるように、一日中、常に3つのレベルの働きを意識化していることを目指します。


*主要参考書

・「超密教時輪タントラ」田中公明(東方出版)
・「ゾクチェンの教え」ナムカイ・ノルブ(地湧社)
・「チベット仏教の世界」永沢哲編集(法蔵館)
・「神秘学概論」ルドルフ・シュタイナー(ちくま学芸文庫)
・「24時間の明晰夢」アーノルド・ミンデル(春秋社)



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