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意識について 1(脳科学の統合情報理論などの観点から)

「意識」や「クオリア(意識の対象・内容となる質感を持つもの)」という不思議な存在については、若い頃から良く考えてきたテーマでした。

少なくとも人間にとっては、「意識」と「クオリア」を持っているということは、生きるということそのものだと思います。

「意識」について、前・中・後編、追加の4つの投稿で考えます。

この前編では、脳科学、特に統合情報理論を参照しながら、意識とその意味について考えます。

そして、中編では、夢理論のNEXTUPモデルを参照しながら、睡眠と意識について考えます。
最後の後編では、瞑想やインド哲学、仏教思想、神秘主義、ラディカルな心理療法の観点から意識について再考します。


*4つの投稿では、以下の言葉を次の意味で使います。

覚醒:寝ておらず、起きていて自分の体験に自覚のある状態
睡眠:夢のある眠りと、夢のない眠りの両方の状態
夢見:睡眠中に夢を見ている状態(意識がある)
熟睡:夢を見ない眠りの状態(意識がない)
想起:(夢の)記憶を思い出すこと



意識とは


「意識」というのは、意識を持つ本人にとっては明確なものですが、客観的に定義することはかなり難しいものです。

私は、アバウトですが、自分の体験について「気づき」、「自覚」のあること、というふうに捉えています。

一般に、「意識がある」というのは、継続的な状態を言う場合と、瞬間的な状態を言う場合があると思います。

前者は、例えば、眠っていない覚醒している時の、連続的な状態です。

後者は、瞬間的に特定の対象に気づいていることです。
人は覚醒している時、同時に様々な心身の活動を行っていて、それらを意識しえる状態ですが、一般に、ある瞬間に意識しているのは一つの対象だけです。


「意識」自体は、「自我意識」や「自己認識」といったものとは違います。
意識なく自己認識している場合もあれば、自己を意識・認識することなく意識を持つこともあります。

「意識」は「注意」とも違います。
意識せずに何かに注意していることがありますし、何にも注意を向けずに意識を持つこともあります。

「意識」は「記憶」や「想起(思い出すこと)」とも違います。
意識のない状態で記憶や想起をすることもできますし、意識のある状態であるにも関わらず、記憶や想起ができないこともあります。

「意識」は「認識(認知)」とも違います。
意識のない状態で認識をすることもできますし、意識のある状態で、認識すべき対象を持たないこともあります。
意識は、認識していることに気づいている状態です。
その意味で、「認識の認識(メタ認識)」だと言えると思います。

また、後編で扱いますが、「意識していること」を意識することもできます。
その意味で、「メタ意識(メタ・メタ認識)」の状態です。


脳と意識の関係


人が意識を持っているかどうかは、通常の生活の中では、かなり明確に分かります。
外から見ていて、イキイキしている人は意識があると判断できます。

ですが、科学的に、ある人が意識を持っているかどうかを判断することはかなり難しい問題です。

人は、身動きできず、コミュニケーションもできなくても、意識を持っていることがあるからです。

また、脳のニューロンの活動量が高くても、意識があるとは限りません。
実際、驚くことに、熟睡状態でさえ、脳のニューロンには、覚醒状態とほとんど同じくらいの活動量があることが分かっています。

そのため、脳科学では、意識と相関する脳の物理的活動(NCC)を特定する研究がなされてきました。

そのためには、意識の有無に関する様々な事実を押さえる必要があります。


まず、一般に、人間の状態とその意識の有無については、次のように考えられています。

・意識がない:植物状態、昏睡状態、全身麻酔状態、熟睡状態、夢遊病状態
・意識がある:覚醒状態、夢見状態、最小意識状態、ロックトイン症候群

「最小意識状態」というのは、不定期に体を少し動かせるようになるが、ほとんどコミュニケーションがとれない状態、「ロックトイン症候群」というのは、眼球しか動かせない状態で、どちらも話すことはできません。
それでも意識があることが分かっています。

逆に、熟睡(夢のない眠り)の状態でも、ある程度、周りの環境を認識して、危険を判断しているし、周りの人間の話している言葉を記憶していることもあります。
夢遊病状態でも、かなり高度な認識や行動が可能ですし、コミュニケーションも簡単なものなら可能です。


脳の特定の部位が損傷した場合に、意識が保てるかどうかにつては、次のことが確かめられています。

・意識を保つ:小脳、脳幹、基底核、前頭葉
・意識を失う:視床-大脳皮質系

脳全体で1000億のニューロン細胞があるのですが、その内、小脳が80%を占めています。
脳幹は神経伝達物質を放出し、大脳皮質全体の状態を左右し、覚醒をもたらすスイッチがあります。
基底核は、言語活動や思考にも必須の部位です。

それにも関わらず、これらの部位は意識の発生(NCC)と直接的には無関係なのです。

ちなみに、脳科学の意識に関する有名な理論であるグローバル・ワークスペース理論は、前頭前野が意識に必要な場とされますが、この部位も、直接的には無関係であることが示されています。


また、脳科学では、左右の脳をつなぐ脳梁を切断すると、意識が2つに分かれるとされます。
これについては、私は疑問を持っていますが。

また、脳を直接に電気刺激しても、それに対応する何らかのものが意識に昇るには、0.5秒かかります。

また、脳が何かを決断してから、それが意識にのぼるまでも一定の時間がかかります。
つまり、決断の瞬間は常に無意識の状態で行われます。
これをもって、意識には自由意志がないと主張する人もいますが、この無意識の決断に意識が影響を与えているとすれば、意識に自由意識があると考えても問題ないと思います。


統合情報理論


以上のような、意識と脳の事実から、意識と対応する脳の物理現象(NCC)を数理的に理論化して注目されているのが、マルチェッロ・マッスィーニ、ジョニオ・トノーニによる「統合情報理論」です。

統合情報理論によれば、意識が生まれるには、視床-大脳皮質系で様々な部位の活動が、影響しあっていることが必要です。

言葉を変えれば、脳が、多様性と統合性の両方を同時に持つ情報システムになっている必要があるのです。

統合情報理論は、「統合情報量Φ(単位はビット)」が、意識のレベルに対応すると考えます。

脳のニューロンには、オン/オフの状態があり、脳のシステムの情報量は、そのシステムが取りうる状態の総数となります。

脳のシステムが、統合されているならば、そのシステムを分断した時に、損なわれる情報量が大きくなります。
ですから、統合情報量は以下のような式で求められます。

Φ=「システムへの影響が最小限なところで切断した時の情報のロス」
=「切断する前の状態数」-「そのように切断した後の状態数」

そして、Φが局所的に最大になるサブシステムを「コンプレックス」と呼び、それに意識が宿ると考えます。
この「コンプレックス」内に含まれるメカニズムが生み出す関係性で、「クオリア」が決まります。

情報が高いレベルで統合されるには時間がかかるため、刺激や無意識の働きが意識に昇るには一定の時間がかかるのです。

実際、視床-大脳皮質系は、それぞれに特定の機能を持った違いのある部位があって、それらを様々な繊維の束が結んでいます。

一方、小脳は独立したモジュールで成り立っていて、統合性が少ないため、ニューロンが多数あっても意識と無関係なのです。
統合性が高いと、それぞれのモジュールが受け持つ機能が、他の影響を受けて正しく働かなくなってしまうので、これを避けているのです。


ちなみに、現在のコンピューターは内部の統合情報量を少なくするような設計になっているので、意識を生み出すことはないと、統合情報理論では考えます。
つまり、AIが意識を持つことはなく、コンピューターに記憶をアップロードしても意識を持たせることもはきないのです。

脳をハード的に見ると、ニューロンには100種類ほど性質の違ったものがありますし、ニューロン間のやり取りを調節する神経伝達物質も何種類もありますから、こういった生物学的、物質的な違いが多様性を生み、それが意識を生み出しているハズです。


統合情報量Φを正確に計量、計算することは不可能なので、現実的には近似的指標PCIを求め、それが0.31より上ならば意識があると判定します。

非数量的には、視床-大脳皮質径を経頭蓋磁気刺激法(TMS)で刺激して、その反応の広がりと複雑さ(各部位の多様性)を、脳波図で、ミリ秒単位で測定して判定します。

実際の測定結果では、意識がないと思われる、熟睡時・麻酔時・植物状態・昏睡時には、刺激が他の部位に伝わっていきません。
一方、意識があると思われる、夢見時・覚醒時・最小意識状態では、刺激が遠方の部位にも伝わり、跳ね返ります。


統合情報理論で私が疑問に感じる、あるいは、面白いと思うのは、次のことです。

Φは、脳のハードの情報システムとしての潜在的な能力を示すものであって、ある一瞬の活動そのものを示しません。
だとすると、システム全体が活動していなくても、ハードとしてのシステムの活動していない部分が変わるだけで意識も変わることになります。

一方、脳の活動の広がり(の観測)が意識の前提となるのであれば、それはある程度の継続的な活動を前提にした意識の状態を示します。
であれば、瞬間的な意識の存在について語れないのでしょうか?

また、Φがビット数を示すのであれば、それは自然数となります。
ですが、ダブリン大学・トリニティ・カレッジの研究によると、意識が量子的な現象であるという実験結果が報告されています。
彼らは、人が意識を持っている時にだけ、脳と心臓の核陽子スピンのもつれ合いを観測したのです。
これが正しければ、意識は量子的現象であって、ビット数ではなくQビット数で表現する必要があります。


瞑想と脳の活動


科学的な測定によって、瞑想と脳活動の対応を調べる調査はいくつも行われています。
ですが、瞑想にはまったく異なる多種の方法があります。

一つの対象を保持する瞑想、様々に対象を変える瞑想、対象を持たない瞑想など、それぞれによって脳活動が異なるのが当然です。
ですが、瞑想状態の脳活動を調べる研究では、その瞑想の具体的な方法が分からないことが多いと感じます。


統合情報理論で考えると、一つの対象を保持する瞑想や、対象を持たない瞑想は、脳の多くの部位が連携しにくく、意識性が低くなるハズです。

実際に、瞑想時に、自分の過去の経験の記憶に関係する、腹側線条体と脳梁膨大後部皮質の結合性が低下するという、京都大学の研究があります。

連想も表象も完全に断つ状態になれば、統合情報理論によれば、意識が失われるハズではないでしょうか?
ですが、これらの瞑想においては、意識を保てますから、無意識レベルではニューロンの連動があるのでしょうか?


一方、様々に対象を変える瞑想、連想や思考を重視する瞑想は、その逆になるハズです。

実際に、瞑想を続けた人は、前頭部と後頭部を連絡する上縦束が発達し、上縦束と脳梁の結合を高めるといういくつかの研究があります。

ちなみに、幻覚剤を服用した変性意識状態でも、脳活動の多様性とつながりが増すという、英サセックス大学とインペリアル・カレッジ・ロンドンの研究があります。


意識は何のためにあるのか


脳科学は、意識は何のために存在するのかという問には、明確に答えてくれることが少ないですが、脳科学の考えを参考にすると、次のようなことが言えると思います。

無意識でも一定の高度な行動や思考ができますが、意識がある場合は、無意識の判断に対して、再度、複数の無意識の働き・判断を関連させて、再検討を加えることができます。

また、従来通りの決まったパターンの行動、思考ならば、無意識で行えますが、それを変更して、新しい行動・思考パターンを学習する、あるいは、創造する場合は、意識がある方が効果的です。

その場合には、学習対象や、複数の無意識の働きを関連させたり、あるいは、新しい働きや結果が生まれることをうながし、それを受け入れたりすることが必要になります。

また、未来の予想や計画を作るにも、意識が有意味なのではないかという説もあります。


ですが、そのために必要な意識が、なぜ、私たちが体験しているような、このようなクオリア(意識される質感)をともなう主観的体験となるべきものであるのかは、分かりません。


*主要参考書

・「意識はいつ生まれるのか」マルチェッロ・マッスィーニ、ジョニオ・トノーニ(亜紀書房)
・「クオリアはどこからくるのか?」土谷尚嗣(岩波科学ライブラリー)
・「意識をめぐる冒険」クリストフ・コッホ(岩波書店)
・WEB記事:人間の脳が量子力学的な振る舞いをしていることを示唆する結果が観測される – 意識の謎の解明に繋がることが期待
・WEB記事:洞察瞑想時に自伝的記憶関連脳領域間の結合性が低下することを発見 -今この瞬間に生じている経験にありのままに気づくことの神経基盤-
・WEB記事:マインドフルネスの臨床効果と脳科学⑨ 瞑想は脳の前後・左右の連絡を密にする
・WEB記事:LSDなどの幻覚剤は、脳を「高次の意識状態」にする:英研究結果



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