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チベット仏教の死と死後観

後期密教やマハームドラー、ゾクチェンといった仏教思想に基づく、チベットの死と死後観についてまとめます。

後期密教では、死、死後、転生という輪廻のプロセスについて、その生理学理論に基づいて説明します。

また、後期密教、マハームドラー、ゾクチェンの修行をした者は、その達成度合いに応じて、「虹の身体」、「トゥクタム」などの特別な死に方をします。



死のプロセス


最初に、後期密教で霊的生理学理論から説明される輪廻のプロセスについて紹介します。

死に際しては、順に、以下のような現象が起こります。
以下は、基本的にゲルグ派版の「死者の書」の説を紹介します。

1 まず、全身のナーディの中のプラーナがすべて左右管の中に入ります。

続いて、中央管にプラーナが入ると、概念的思考が停止し、死に際して身体を構成する「四大」が順次解体されます。
この時に、次のような「四相」と呼ばれるヴィジョンを体験します。

     (ヴィジョン)     (身体状況)
1-1 「陽炎」のような水色の:色蘊・地の元素が崩壊
1-2 「煙」のような藍色の :受蘊・水の元素が崩壊
1-3 「蛍」のような赤色の :想蘊・火の元素が崩壊
1-4 「灯明」のような炎の :行蘊・風の元素が崩壊

この時、同時に、識蘊の中の80の「粗大な心(通常の意識)」が崩壊します。

2 次に、頭頂・へその心滴が胸の心滴に移動して、識蘊の中の微細な3種類の心が順に崩壊します。
この時、次のような4つのヴィジョンを伴う「四空」と呼ばれる体験をします。

     (ヴィジョン)       (身体状況)
2-1 月光が照るような清浄な白い :頭頂の白い心滴が胸まで下降
2-2 太陽の光が満たすような晴朗な:ヘソの赤い心滴が胸まで上昇
2-3 晴天に暗い暗黒が満ちるような:赤白の心滴が不滅の心滴に接触
2-4 きわめて晴朗で清浄な    :赤白の心滴が不滅の心滴に融解

詳細は次の通りです。

2-1は「空(顕明)」と呼ばれ、頭頂の左右管の結び目がほどけて、胸より上の左右管の中のプラーナが中央管に上の穴から入り、頭頂のチャクラの中にある「白い心滴」が胸のチャクラの上まで降りて来ます。

2-2は「極空(顕明増輝)」と呼ばれ、性器の付け根にある左右管の結び目がほどけて、胸より下の左右管の中のプラーナが中央管の下の穴から入り、へそのチャクラの中の「赤い心滴」が胸のチャクラの下まで昇って来ます。

2-3は「大空(顕明近得)」と呼ばれ、中央管の中の気が胸に集まり、胸チャクラの上下の結び目がほどかれ、白・赤の心滴が不滅の心滴に触れます。

2-4は「一切空(光明)」と呼ばれ、中央管の中のプラーナが胸に集まり、胸チャクラの上下の結び目がほどかれ、「白い心滴」と「赤い心滴」が胸の「不滅の心滴」に溶け込みます。

こうして、「微細な心(意識、末那識、アーラヤ識)」がすべて崩壊し、「極微のプラーナ」と「極微の心」が目覚めます。

この最後の「光明」を体験する瞬間が、死の瞬間です。

一般の人は、この「死の光明」を意識することはできず、その前に意識を失います。
この状態は、通常、3日半ほど継続し、その間は、肉体は腐りません。

父タントラ系の「究竟次第」では、「風のヨガ」と「聚執(塊取、ピンダグラーハ)」の瞑想によって、この死の瞬間の「光明」をシミュレート(疑似体験)します。
そして、その時に完全な「空」の認識と合わせると、「法身」を獲得して悟りを得ることができます。

そのような修行者は、死の瞬間の「死の光明」を意識することができ、そのまま解脱できます。


中有のプロセス


死後3日半ほど経つと、「不滅の心滴」は開かれ、極微の意識と極微なプラーナが外に出ていきます。
そして、「白い心滴(精液)」が離れて性器の先から、「赤い心滴(精液・血液)」が離れて鼻から対外に排出され、肉体は腐り始めます。

同時に、中有の霊的な身体が誕生します。
これは意識とプラーナでできた「意成身」とか「夢の身体」と呼ばれる魂の体です。

「意成身」が生まれる時には、死に際した時と逆の過程を経て、3つの空のヴィジョンを体験します。

中有の身体がもとの肉体のどこから出るかは、何に生まれ変わるかで決まります。

霊的な身体は7日ほどの寿命で、7日ごとに死と再生を繰りかえして、最大で7回(49日の間)、中有に留まってから転生します。

中有にいる者は、様々なイメージを見ますが、善趣(天、阿修羅・人間)に生まれ変わる者は夜空を月光が満たしているような相を持ち、下を向いて進みます。

一方、悪趣(餓鬼・畜生・地獄)に生まれ変わる者は、夜を暗黒の闇が満たしているような相を持ちます。

そして、天に生まれ変わる者は上向きに進み、人に生まれ変わる者は正面を向いて進みます。

父タントラ系の「究竟次第」では、この中有に至るプロセスを瞑想でシミュレートし、「意成身」を生み出しますが、これを「幻身」と呼びます。
修行者が完全な「空」の認識を得ると、この「幻身」は消滅し、再度、これを生み出すと、清浄な「報身」の獲得となります。

ニンマ派版の「チベット死者の書」によれば、中有では、2週間の間、毎日、輝く諸尊の異なるマンダラのヴィジョンが現れます。

マンダラに限らず、中有では様々なヴィジョンを見ますが、これらはすべて自分の潜在意識から生まれたものであることを認識すべきであると説かれます。

この時、マンダラの諸尊と一体化すべきなのですが、一般の人はこれらを怖がって逃げてしまいます。

その後は、転生に向かう中有の期間になり、中有の者は、六道の薄明かりに惹かれていきます。


受胎・誕生のプロセス


転生を前にした中有の者は、中有の身体が死に、父と母の性行を見て、母の子宮に入ります。
父と母の性行によって、それぞれ「白い心滴」、「赤い心滴」が放出され、子宮の中で混ざって「不滅の心滴」となり、そこに中有の者の意識が入り込みます。

この時、死の際と同様に「死の光明」を体験し、次に逆行して「近得」以下のヴィジョンを得ますが、「近得」の瞬間が「生有」と呼ばれる「受胎」の瞬間とされます。

その後、「不滅の心滴」から順次、中央管、左右管、全身の脈管、肉体が作られていきます。

また、「不滅の心滴」から一部が頭頂と臍下のチャクラへと分かれて行き、「白い心滴」と「赤い心滴」になり、それぞれが全身を滋養します。

最後に、誕生時には、中央管に中にあった主要なプラーナが中央管の外に出て、この時、赤ん坊は呼吸と知覚を始めます。

母タントラ系の「究竟次第」では、「瓶ヨガ」、「火のヨガ(チャンダリーの火)」の瞑想で、この受胎のプロセスをシミュレートします。

この時、「倶生歓喜」とか「大楽」と呼ばれる歓喜の体験をするのですが、これに「空」の認識を加えて得られる智恵を「楽空無別の智恵」と呼びます。
これによって三身を獲得します。


ポア


チベットでは、密教修行者だけでなく、一般信者でも、死の準備として、「ポア(転移)」の修行を行います。
これは、意識を体から抜き出して高い状態に転移させる瞑想法です。

「ポア」には次のように、レベルの異なる5つの方法があります。
高い順番から並べます。

1 最高の法身のポア
2 高度な報身のポア
3 普通人の応身のポア
4 凡夫の三つのイメージによるポア
5 死者を追跡して慈悲の釣り針で釣り上げるポア

一般に行うポアは4の「凡夫のポア」です。

1の「法身のポア」は、ゾクチェンやマハームドラーの修行を達成した者が行えるもので、死の瞬間に、瞑想によって意識を法身(空)の状態に移行させるものです。

2の「報身のポア」は、後期密教の修行を行った人が、死後の中有で、尊格が出現した時に、そこに自分の意識を溶け込ませるものです。

3の「応身のポア」は、一般の密教修行者が、中有を経て、受胎する瞬間に、慈悲の心に意識を飛び込ませて、良い転生先に至るものです。

5の「死者のポア」は、死者の意識がまだ体の中にある時に、優れた修行者が、観想によって死者の魂を良い方向に導くものです。

さて、4の「凡夫のポア」は、生前にこの瞑想を準備として行い、死に際しては本番として行います。

この瞑想では、まず、自分をヴァジュラ・ヨーギニーに変身する観想を行います。
次に、胸のチャクラのところにフリー字を、頭上に観想した阿弥陀仏の浄土を観想します。
そして、「フリー、フリー」と唱えながらフリー字を浄土に飛び込ませることを21回繰り返します。
そして、最後の瞬間に「パット」と唱えて、自分の意識を浄土に移行させます。

この瞑想を行うと、その結果、一般の信者でも短期間で肉体の頭頂部に穴を開けることができるようになります。


虹の身体


チベット仏教の最奥義であるゾクチェンのトゥゲルの瞑想を最後まで達成した者は、その印として、「虹の身体の大いなる転移」と呼ばれる特別な死に方をします。
本当は、死ぬではなく、不死になるのだとされます。

「虹の身体」になると決めた修行者は、テントを作って、その中で自分の身体を非物質的なレベルの元素のエッセンス(虹の光)に変えていく瞑想を行います。
そして、通常は7日間かけて、最後には、髪の毛と爪だけを残して、消え去ります。

消え去るまでには至らない場合は、体が幼児の大きさくらいまで徐々に縮んでいきます。

近・現代でも、多くの修行者が「虹の身体」になった証言が伝えられています。
また、いくつもの小さく縮んだ遺体が保存されているそうです。

1998年、東チベットのニャクロンで亡くなったケンポ・ンガクキョンの場合は異例で、死と同時に「大いなる転移」への瞑想を始めたようで、本堂に置かれた遺体が衆人環境の中で収縮していき、10日目に爪の髪を残すのみになりました。


死の瞬間に解脱


ゾクチェンで「虹の身体」を得るまでは至らずとも、その直前まで達成した修行者や、マハームドラーで「大いなる無修習」と呼ばれる最終段階に到達した修行者は、昼も夜も自覚が継続し、自然に虹の光や光の粒、本尊の姿のヴィジョンを見るようになります。
彼らは、生前にいわゆる有余涅槃に至った者です。

彼らの場合、死の瞬間に「死の光明」を自覚し、解脱します。


トゥクタム


生前に有余涅槃にまで至らなかった修行者は、死の瞬間の光明の中で最終修行を行います。
マハームドラーでは、「大いなる無修習」の手前の「一味」や「無戯論」の段階に至っている修行者です。

この最終修行の期間は、「トゥクタム(聖なる心)」という状態になり、一週間ほど、長ければ一ヶ月ほど継続します。

「トゥクタム」の期間は、呼吸は停止し、脳機能も停止していますが、瞑想の姿勢が維持され、死後硬直が起こらず、体の腐敗は始またないそうです。
また、体温は心臓部に暖かさが一定程度保持され、上がったり下がったりするそうです。

1981年には、カギュー派のギャルワン・カルマパはアメリカの病院でトゥクタムに入って亡くなり、死後36時間経った時に、その病院の医長が心臓にありえない暖かさが残っていることを確認しました。

2008年には、ウィスコンシン大学のデーヴィッドソンらが、ロブサン・ニマの11日間のトゥクタムの科学的測定を行い、「トゥクタム」が存在することを確認しました。
最近では、科学者グループがゲルグ派の主要寺院の高齢の僧侶全員に対して継続的な調査をしています。

今年になってからも、ドゥジョム・リンポチェ3世サンギェ・ペマシェパ・リンポチェが、チベットにおいて、2月16日から「トゥクタム」に入りました。

ダライ・ラマの見解によると、「トゥクタム」の時、「粗大な心」、「極微な心」は脳に依存しますが、「微細な心」は脳に依存せず、肉体とつながりが保たれているのだと言います。

「トゥクタム」に入った修行者は、その状態で修行を行っているのですが、この状態では生きていた時よりも修行を早く進めることができます。

そして、法身を得て解脱することもできますし、その手前で終了して、意図的に転生することもできます。


中有で化身になって転生する


後者の転生の道は、単なる転生、顕教の菩薩としての転生ではありません。

後期密教やマハームドラーなどの修行によって、菩薩位に至っている修行者は、中有において無上ヨガ・タントラの本尊ヨガの瞑想を行い、意成身を浄化して報身を獲得して、本尊と等しくなります。

そして、化身を作って地上に送ったり、自分自身が化身として転生します。



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