一番苦しかった時から3年経ったヨ

今、通信制高2なんだけど、3年前のこの時期が生きてきた16年で1番苦しかった。
ちょっとふりかえり。というかもう辛かった思い出に区切りをつけたくて書き出して頭の中からぽい!です!思い出の断捨離!
ほんとにただの断捨離で書いてるからめっちゃ長いし読みづらいと思います(´・ω・`)

過去は過去であり今じゃない。


3年前は中2。中2の冬休み。
中2の時はコロナ禍で休校だった。

そもそも学校は嫌いだしコミュニケーションが下手だったから休校は正直嬉しかった。

でも勉強は好きだったから毎日勉強してた。
親友ちゃんと通話しながらだったり、ゲーム実況を見ながらだったり。
ゲーム実況めっちゃ好きで、実況者さんはアブさんが好き。ニコ動のしばいみちまで見に行ってた。死ぬほど笑った。

学校が始まった。
学校に行かなくていい快適さを、自分にとって学校というものがどれだけストレスになっていたか思い知った。

休校が終わってからまた大嫌いな学校に通うのは辛かった。

少年の主張作文という作文を書かなきゃいけなくて、当時の自分にとっては、主張とか、自分の考えと向き合うのは苦しかった。

病んでたから!₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎

たしか、人生は時間だーみたいな。“人生”って中学生にしたらまだまだ続くように思えるけど、でも人生だってただこうやって何も考えずに生きている“この時”の引き伸ばしなんだって、気づいたら終わっちゃってるんだって、、だから好きなように生きようぜ☆って感じの主張作文書いた気がする。

そしてその作文教室で前に出て1人ずつ発表するみたいなやつだったんだけどもうなんか病みすぎて登校中に橋から飛び降りようかな(?)みたいなレベルだったから普通に過呼吸になった‎^_^

吹奏楽の卒業コンサートみたいのソロで1曲あったけど1音も出なくてこれもまた過呼吸になって保健室の先生に体育館横の更衣室でずっと大丈夫だよ〜って言ってもらってたけど1時間くらいずっと泣き続けてほんとにもう無理だなーっておもった。

この時期は報復性夜更かしみたいな感じで
日中学校で辛いから唯一息を深く吸える自分の部屋でずっと夜中まで起きてた。でも明日も学校に行くために寝なきゃいけないし、情緒がおかしくて、でも家族とか友達に八つ当たりしたり、心配かけたりしたくなかったから人前では病んでいないふりをして、部屋でずっと泣いた。辛かったから太ももや腕を切った。休日は薬をいっぱい飲んでなかったことにした。眠り続けて起きたら休日が終わってる感じ。起きているのが、意識を保つことが辛かった。

もう正常な判断能力を失って、一人で抱え込んでも悪化するばかりなのに病んでることをバレたらだめだって思って隠し続けた。
隠すために調子の悪い時は保健室やトイレに逃げ込んだ。心の辛さの応急処置の自傷行為のせいで生傷が絶えなくてしょっちゅう止血した。
生きるのをやめたかった。全部終わればいいのにって思ってた。

中2の冬休み明け、もう隠せなかった。
何も出来なかった。朝目が覚めるのが怖かった。朝が来るのが怖くて、不安でねむれなくなった。一日中涙が止まらなかった。何も食べられなかった。話しかけられても何も答えられなかった。

それでも学校を休んじゃダメっていう強迫観念からこんなボロボロの状態で遅刻早退して学校に通い続けた。どうやって過ごしていたか全然覚えていない。

精神科に連れていかれた。(やっと)
ずっと、今自分やばいんだろうなって思ってたから、やっと病名がついて自分のせいにするのをやめられるかも?と期待した。
初診は長かった。色々聞かれた。私は答えられないというか考えられなかったのでほぼお母さんが答えてくれた。

「不安障害です。まず1週間休んでください。」
と言われたので1週間も休めば少しは元気になれるかな!と思った。

でもぜんっぜん元気にならない。
休まらなかった。休み方が分からなかった。
むしろ罪悪感や不安で辛かった。

この1週間休んだあとは学校に行けなかった。生きてるだけで精一杯なのに、何もしなくていいんだろうか?と焦って勉強をしようとしたり、運動しようとしたりしたけど、何も出来なくてもっと焦った。
出来なくて当たり前だったのに。

中3の時は別室登校をした。週1くらいで、行ける時に居られる時間だけいる。無理しない。私のクラスは不登校生がなんか何人かいて別室登校はひとりじゃなかった。少し、仲良くなった。

卒業式、出れる精神状態ではなかったんだけど、練習を少しスクールカウンセラーに連れられて見に行った時、卒業証書授与の練習で担任の先生が不登校で卒業式に出ない人の名前も呼んでいた。名前を呼ばれて、受け取りに、登壇するはずだけどいないから、少し間をあけて、次の人の名前を呼ぶ。

担任の先生はすごく素敵な人で、一緒に考えてくれて、なんなら私より真剣に考えてくれて悩んでくれて、クラスもとてもいい雰囲気だった。先生が好きだった。尊敬してた。

だから、いない人の名前を呼んでいる姿に心が傷んだ。本当はみんなで卒業式したいだろうなって思った。

練習なんてしてなかったし、ぶっつけ本番で、間違えるかも、また過呼吸になっちゃうかもって不安だったけど、卒業証書は登壇して受け取った。なんとかできた。歌は歌えなかったけど。

出て良かったって本当に思う。
自分の人生の中学時代に区切りをつけられた。

高校は、地元の全日制に願書を出していた。
中3ほぼ授業を受けていなかったけど、それまで真面目に色々やってたし、そこそこ成績も良かったから先生が高校受験で不利にならないようにって、これやったら評定3はつけるよ!って不登校で通知表オール3は毎日通ってる人が可哀想じゃないか?とも思ったけど、これまでの自分の頑張りと先生の優しさに甘えて、それで、高校受験に向けて面接練習とかしてた。

けど、よく考えたら、全日制に通うことが無理じゃないか?と思った。
先生には、今まで頑張ってたんだから、通信に行くのは勿体ない!全日制にとりあえず行って、無理そうなら通信にすればいい。通信から全日には出来ないよって言ってもらってたから、その方がいいよねー!って思ってたけど、1度死にかけた心を回復させるには時間と労力がかかる。そう思ったから、無理せず、通信制に行きたいと先生に相談した。そうしたら、願書変更できるの、明日までだよ!!って言われて、これも縁かなぁ(?)みたいに思って、自分を信じて、通信に変えた。

全日制の高校生に憧れることも何度もあったし、大学行ってみたかったなーとか、親友と、当時の彼氏と同じ高校通いたかったなーとか色々後悔することもあったけど、ほんとに、通信制にして良かったなーって。

通信制に通い始めてからは、最初こそ、新しい環境が辛かったけど、みんな優しくて、今ではその友達とも仲良くなれたし、自分のペースで色々できる通信制がすごくいいなって思う。

高1の秋にバイトも自分でやろうと思ってはじめて、今も続けてる。

ほんとに、ゆっくりでも心は回復してるなって思うし、今はしにたいより生きたい。
不安は消えないけど、上手く付き合っていけるようになってきた。
たまに病み散らかしてる時もあるけど、
ずっと辛いわけじゃない。ただ辛い日なだけ、辛い人生じゃないよって思える。

どうやったらしねる?じゃなくてどうやって生きていこう?って思えるのがほんとに嬉しい。

そばにいてくれる人を大切にして、自分も大切にして、こつこつ、生きていきます✌️

未熟な自分でも大丈夫…!!
その代わりひとのことも否定せず、受け止める。

明日から人生17年目。
お母さんがお母さんで良かったー
まじで産んでくれてありがとう❣️

わたし、こんなんだけど生きていくから大丈夫。

生きるのほんと難しいけど全然完璧じゃなくていいし、恥の多い人生だって珍しくないしー!?恥は多くてもいいから優しい人になりたい。

どんなんでもいいから!
私の人生だから!!





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