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#StopAsianHate について思うこと

 アジア系の人々を標的にしたヘイトクライムが過激化している。#Blacklivematterが流行ったころから、COVID-19(以下新型コロナと表記)への鬱憤がアジア人へ向かうのも時間の問題だろうと思っていたが、最悪の形で露呈してしまった。

 そもそも新型コロナが流行る以前から、黒人差別の問題に比べ、アジア人への差別は比較的関心が薄い。手前味噌だが、以前RINA SAWAYAMAの楽曲を用いてアジア人へのマイクロアグレッションを取り上げた記事を書いていた時から、薄々そう感じていた。一大ムーブメントとなったBLMに対して、#StopAsianHate などアジア系のヘイトクライムに抗議する意見は日本人でも言及している人が少ない印象である。

 トランプ元大統領が「China Virus」という極めて粗雑な物言いで新型コロナウィルスのことを呼称していた時点で、差別の萌芽はすでに生まれていた。乱雑な言葉はいい意味でも悪い意味でも影響が強く、彼はあえてそうした物言いを利用して支持を集めていた。彼の扇動的な言葉によって、Asianへのヘイトがより深まっていった、との見方も否定できないだろう。

 #StopAsianHateのハッシュタグを見ていると、しばしばショックなツイートもあった。アジア人との連帯を示したRhiannaに対し、リプライ欄で寄せられた「アジアの人々が引き起こした最悪のウィルスによって仕事と愛する人を失った」という言葉である。

 大義名分の与えられた差別は、一番タチが悪い。彼は「仕事も愛するものも失うウィルスの引き金となった」アジア人を加害者としてみている。そしてそれを攻撃することは、彼らにとっていわば正義なのだ。

 共通の敵は”ウィルス”ではなく、”ウィルスの発生源となった地域の人々”にすりかわり、アジア人全体に憎悪が向けられるようになった。もちろんこの発言を批判するリプライや引用リツイートが多数あったが、こうした発言が出てくること自体、内在的にアジア人への憎しみ(とまではいかなくても、やるせなさや苛立ちのようなもの)を抱えている人が多いことは想像に難くない。殺された八人が引き金となって、また新たな悲惨な事件が起こるのは、絶対に避けねばならないことである。

 加害者がこうした犯罪に至ったのはどうしてかに、目を向ける必要がある。そもそもわたしたちは、新型コロナの蔓延のような、理由もなく起こった不運を、そのまま受け入れるのは難しい。

「なぜこのような目にあわなければいけないのか?」
「どうしてこんなウィルスなんかに苦しめられなければいけないのか?」
世界中の人々が同じように問い続け、悩み続けてきた。今もそうだ。
究極的に言えば、「わたしたちはなぜこのように苦しんで生きなければいけないのか」というのと同じような、永遠に答えられない問いだ。

 そしてその問いが「アジア人のせい」という乱暴で的外れなところに着地してしまうことは、あってはならない。理不尽な不幸に耐えきれなかった人間の弱さが引き起こした結果とも言える。
 新型コロナは突如降りかかった厄災のようなもので、それを特定の人種に対する憎悪によって埋め合わせすることで溜飲を下げる人がいることに、もっと向き合わなければいけない。そしてそれに断固として抗議しなければいけない。

 人は理由なき不運を罪のない人々になすりつけるほど弱いのだろうか。今憎むべきものがあるとしたらウィルスであって、人ではないはずだ。もっと言葉をもって対話していくことが必要であると痛感する。トランプ元大統領やアジア人へヘイトを向けるレイシストのように、杜撰な言葉遣いに屈してはならない。

 偶然ではあるが、先日、京都市京セラ美術館で「平成美術〜うたかたと瓦礫(デブリ)〜」を見に行った。そこでかなり印象に残ったのが、武蔵美と朝鮮大学の学生らが共同して行った「突然、目の前がひらけて」だ。お互いの校舎にある塀を乗り越える階段が実際に展示されており、またそこに至るまでのメールでのやり取りや詳細な企画の打ち合わせ、そして彼らが行ってきた膨大かつ実直な対話が展示されていた。

 自身のアイデンティティや互いの関係性も含めて丁寧に向き合って対話していく人々の残した手紙の数々が印象的だっただけに、今回の事件は一方的な暴力がこれらの対話と真逆に感じられてより痛ましく感じた。

 正直、今回の問題は、自身のルーツも深く関係しているところもあって、うまく言葉に表すのが難しい。しかし、銃といった物理的な暴力には、言葉で対抗するしか方法はないと考える。

 私は生まれた時から日本に住む日本人だが、父はメキシコ人である。だからこそ、人種にまつわるアイデンティティは周りの人より敏感になっている部分は少なからずあると思う。しかし、日本に住んでいる日本人であっても、この世界の潮流は、決して無視できないことのはずだ。

 今海外に住んでいる日本人やアジア人がどのような不安の中で日々を過ごしているのかを思うと、やりきれない気持ちになる。新型コロナが収束し、憎しみによって傷つけ合うことが少しでも少なくなることを切に願う。

#StopAsianHate  



(もう少し自分の中の考えがまとまったら、また別のnoteを書きたいけれど、今はとにかく発信することが大事だと思ったので、急いでこのnoteを書きました。後日、追加、修正したものを書くか、改めて記事を書くかもしれません。)

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