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悲しみに染まるから朝がくる。#チャットモンチー「染まるよ」

今思えば、”その時 ”がくることをなんとなく分かっていた。

携帯から流れるチャットモンチーの「染まるよ」を聴いて、そう思ったのはもうずいぶん前。「失恋」をテーマにした、このじっとりとした名曲の歌詞を読んで、「もし今、失恋してしまったら、この曲で泣くんだろうな」と何気なく思った。

「ふと思ってしまった考えは、宇宙に聞き入れられ現実になってしまう」。―そんなことを、誰かが言っていたが、本当だなと今でも思う。

「ふと、思ってしまった考え」は本当に聞き入れられた。ほどなくして、私は「染まるよ」で大泣きする人になってしまった。

とても辛かったが、飄々としていた。
辛さというのは、もっと雷のような激しいとどろきを孕んでいると思っていた。けれど、案外、普通の顔をしていられるし、まっすぐ立てる。
でも、誰にも見られない場所に踏み込んだ途端に、息を吐くように泣けた。辛さはいつも静か。当時の記憶の中に存在する景色は、すべてモノクロだ。不思議。

小さい時、お葬式が多かった。
お線香や黒地の服、あっけない煙を見た時も、いつも飄々としていた。現実を夢だと思おうとする最終手段の抗いが、この気味の悪い妙な心の静けさ。失恋も死と同じくらいの「喪の作業」だ。

「染まるよ」も、そんな飄々とする心のように静かに始まるけれど、激しい辛さが込められている曲。自分よりタバコを愛する人とお別れしたのを機に、朦朧としている主人公が、あえてタバコを吸ったり、自分を責めたりする。「煙」が繊細に、心情と重ねあわせられている。

私は人生で初めて、自由に悲しめた。自由に、と言ったら変だが、今まで隠してきた別の痛みも何もかもを全て吐き出せた。それを手助けしてくれたのが「染まるよ」だった。

こんなにも失恋ソングが世に溢れかえるのに、私の中で「染まるよ」が他と一線を画したのは”意志の強さ”が歌詞の深いところに脈々と流れているから。

私たちは悲しい時、そこはかとなく共感と肯定を求める。「悲しいね」「そのままでいいよ」―そんな言葉に救済され続ける。でも、最後の救いは自分で、もたらさなければならない。「もう行かなくちゃ」と、諦めるような覚悟が要る。

その覚悟について「染まるよ」は、こう歌う。

あなたがくれた言葉 正しくて色褪せない
でも もういらない

あれだけ恋し愛したものを「もういらない」と一蹴する強さは、ちょっと明るい。恋だろうと何だろうと、人間の「断ち切るエネルギー」はすごい。
そして、「正しくて」という歌詞。これが「優しくて」だったらこの曲はシンプルな未練ソングで終わりかねなかったと思う。「正しいものを棄てる」のは、生まれ変わる決意だ。それはもうほとんど主人公の生き方であり、”あの人”の影は既に遠い。



結局、あの人の言葉は飾りでしかないし、責任なんてさらさらない。美しい論理や批判のことばも戯言でしかなかった。で、そんな人を好きになった私はとても幼かった。そんな私ともお別れしたい。

こうやって人間は、今まで当たり前だった何かを棄て、悲しみに染まりながら、同時に皮を剥ぐように新しく、強くなっているんだろう。


歌詞と同じように「正しさ」を棄てた私は、正しくなくなった。

五感も停止したし、バラバラになった景色もかなり歪んでいたし、心の中の狂気を知った。

でも一方で、恋に悩む人を尊んだ。それまでは正直「恋にうつつを抜かすなんて」と馬鹿にしていた部分も実はあったが、そう思えなくなった。「これが最後」と思えないような恋なんて、多分あまり命を懸けていない。

そして、悲しむ人の強さを知った。「悲しむこと」は避けたい感情だけど、どうしたって悲しんだことがない人より、悲しんだ経験のある人の方が、優しい。もっと言えば、そこから希望を見出そうとする人の言葉や表情や文章は、無条件に人を救う。誰かが誰かを助けることの裏には、必ず「これ以上悲しませない」という愛がある。

悲しさと救いは、表裏一体。

それを知ってから見た世界は、先にいろんな人が色んなところに愛が染み込ませていて、いつも誰かが誰かを救おうとする力でみなぎっていた。「染まるよ」もそのひとつ。そこに自分も参与できる。あの時の「正しさ」を棄ててみて間違ってなかったと思える瞬間は、必ずくる。


今、「染まるよ」について書こうと、noteを開いた理由。たまたまYoutubeで流れてきたからだ。あんなに泣き聴いた曲を、いつの間にか「懐かしい」と思っている。えっちゃんの声は優しい。

かつて「この曲を自分以上に聴いた人」そして「立ち直った人」を求めていた。もちろん多数の人間が、この曲を愛しており今でも不朽の名作として、称えられ続けている。ただ、当時、この曲は発表されて間もなく、新しすぎた。聴いている人の多くが「救われている途中」にいた。

「いつかこの経験を、形にしなければ」―ふと思った願いを、今度は自ら叶えようとしてみた。


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