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親も「人間」だということに気づく

むうです。前回の続き
今回はちょっと長いよ。


私は普通の家庭に生まれたし
親も私を大切に育てていたと思う。


なのに

「なぜ、私を産んだのか」

「なんのために生まれたのか」


そんなことを考える子だった。


いろんな要因があるんだけど
その1つに「聞いてもらえない、理解されない」がある。


私は両親に自分の話をして
「聞いてもらった」という感覚があまりない。


母は
私の言葉が耳から耳へ通り抜けていくようで。
「聞いてるの?」と言っても
無視するか、笑ってごまかす。

父は
仕事であまり家にいなかったこともあるけど
自分の基準でモノを判断するし、自己主張が強いし、基本的に話を聞けない(笑)


小さい頃からこんなんだった。


今思えば、
親も親なりに聞いてくれていただろうし、
多忙だったことを考えると聞けないだろうとは思える。
セッションのお陰様で
両親と私の「聞く」の認識が全く違うことも
理解できる。


でもあの時は。
そう思えなかったんだよね。

だって子供だもん。
お母さんやお父さんに、
私の話を聞いて欲しかった。


聞いたフリじゃなくて
理屈で判断するんじゃなくて。

「気持ち」を受け止めて欲しかった
「そうなんだね」って。


ありのままの私でいいと受容して欲しかった

愛で包んで欲しかった

私の深い根っこには
その<願い>があった。



私はこの幼い頃の自分とセッションを通して
この感情と向き合ってきた。
何回も何回も。嫌になるくらい、
この時の自分と向き合った。


「聞いてくれなかった」ことへの想いは
もはや執着になっていて、
長いこと掴んで離さなかった。

そのくらい私の中で強く、
根深いところだったんだと思う。

沢山我慢してきた自分

沢山裏切られたと感じていた自分

沢山怒っていた自分


親を「絶対に許さない」と言っていた。
ずっと。
それでもゆっくり時間をかけて
向き合っていった。


私の両親は
ある意味<親ガチャ>と言われる部類かもしれない。
子供の状況を見て見ぬフリするし
自分のありのままではいけないといわれてる気がしてたし
毎日イヤと言っても私の目の前でタバコをガンガン吸うしね。


でも、程度は違っても
親ガチャって皆じゃないかなと私は思う。


完璧な親(に見えてる)の元に生まれても、
その家族には家族の何かがあるし


親も人間だから。



私たちは親が立派に輝いて見えるし、そうであれと願うけど
あの人たちも、黒い部分を持った人間なんだ。


親の親も親ガチャだったなんてこともよくあるんだよ。先祖代々受け継いでるものもある。
もっとたどれば、
集合無意識レベルで日本人が共有している親の形もある。全体がそうさせてることだってあるの。

それに同じ遺伝子を持っていても、
親と子は全く違う。

母のお腹から生まれるから勘違いしてしまうけど
外見が似ていても、中身は違う感覚を持った人間。

同じじゃない。


同じだと思うから苦しいんじゃないかなと私は思うし
それが時に「愛」だと思っているからとも言える。

血は繋がっていても、違う人間というシンプルなことだけど、
一筋縄じゃいかないのが< 親と子 >だ。


セッションは
親と私は違うことを知ることに意味がある。
そこに気づいて、親との心理的な距離を離していく


自分が悪かったんじゃない

親も悪かったんじゃない、親には親の理由があった

体感で感じて。
「仕方なかったのか」と腑に落ちた時
体からなにかが抜ける。

そうしてたどり着くのが<許し

相手も自分も許せる
これが最大の癒しになる。

そしてその奥に
本当はあなたにとって
大切なものがあったことに気がつく。

ここまで腑に落ちると
より執着を手放せるようになる


手放せてくると
不思議だけど、現実も変化していく。


私はパートナーとの関係が格段に良くなった。
相手に求めすぎなくなったし、弱さや恥ずかしい本音も言えるようになった。
もちろん急には変わらない。
少しずつ。気がついたらそんな関係になっていた。


セッション後の変化は
人それぞれのタイミングで起こる。

私のように、自分にとって大事なテーマは
何度も向き合うこともある。


でも全く無駄なことなんてない。

ちゃんと進んでいるから大丈夫。
いつか、自分で決めれるから大丈夫。

私だって、
親の全部を許せていないし、まだ投影を起こす。
でもここまで変わってきた。

許せない時は許さなくていいよ。


そして、
私はありのままの私でいたいと願ってきたから。
そんな痛みにきっと、寄り添えると信じている。


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