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【他者に関与し、他者の幸福に寄与する】

札幌コーチングサミット2016に参加した。コーチングは、教育分野でも注目されており、考え方やスキルを取り入れている教師は多い。菊池省三氏のほめ言葉のシャワー、西川純の『学び合い』、課題解決学習、コーチングのみならずカウンセリングにも共通する「きく(聴く・訊く)」などの聞き方スキル(傾聴態度・要約聴取・批判聴取など)。いまだからこそ、気付く・感じることがたくさんあった。

多くの実践者が、『コーチング』という言葉だけを真に受けて、その場凌ぎのいいとこ取りをして、失敗している。

「目的地を示す」

「相手の能力を引き出す」

「ほめる」

実践する上で、修正し、踏まえるべき思考がある。たとえば、目的地を示すといっても、目的の前に目標があり、目的の先に夢(ゴール)があること。そして、目標を持った瞬間に思い込みという壁が現れること。実際に意思決定へと背中を押すためには、臨場感をあげるためにさまざまな質問や聞き方スキルが必要なことである。

次に、相手の能力を引き出すために、さまざまな質問をしていくのだが、過去にフォーカスし、自分が本来持っている能力に気付かせるだけでなく、未来において意図的にゲシュタルトをつくり出し、自ら答えにフォーカスできるように気付きを促すことなど、いいとこ取りではわかり得ないことがいっぱいあった。

思い込みという壁を外すために、言語・非言語を用いて、肯定的なイメージへと脳のプログラミングを変えていくことについても、単に「ほめましょう」とか「エフィカシーを高めよう」といったことでは、知恵として身に付かないし、数分のワークショップで理解出来るはずもない。

単に「ほめる」とか「目的を示す」とか、「教えない」など、一つの手法にロックオンして、心理的盲点(スコトマ)をつくり出すことで、複雑な現象が絡み合う教育界では、なじまないのだと思う。まずはできることを徹底してやる、というのは、子どもの心に寄り添うことにならないし、周りから見れば偏執狂と見なされる。人は何かを見ようとすると他の何かが見えなくなる。大事なのは、何かあるかもしれないと、見たいものとその周辺を見ることだ。

これらを踏まえずコーチングに失望してしまう例が多く聞かれる。「コーチングはいいらしい」と真に受けて、その場凌ぎのいいとこ取りをしようとするから、「ほめ合うなんて宗教だ」「目的を言うことなんて当たり前だ」「相手に寄り添う、結局は人としての在り方が一番大事」くらいに受け止められる。今回のセミナーは、立場の違う5人が、それぞれの見地に立って、コーチングについて語り合うもので、導入としては誠実だったように思う。異業種の方々と場を共有することで、講座の作り方やそれぞれの業種の方が何を必要としているのか感じられた。

野球は指導者のことを監督という。一方、バスケットは指導者のことをコーチと呼ぶ。一つの場所に人を配置して、勝利へ導く野球と、その場その場の状況の変化に応じて、一人一人を勝利へ導くバスケット。コーチの役割とは1対1で、相手が自ら考え、判断できるように、伴走しながら導くものなのだと思う。だから相手の現在地に気付かせなければいけない。そして、目的地も臨場感を上げながら、見せてあげないとそこまで辿り着けない。だからこそ、コーチとは、相手と苦しさも喜びも、プロセスを共に味わえるのだ。他者に関与し、他者の幸福に寄与する。これこそコーチの醍醐味であり、自分自身の幸福につながる唯一の道である。人は、絆や愛情だけではサバイバルできない。ただ、気をつけてほしいことがある。コーチングは万能ではない。コーチはいた方がいい。でもコーチが支えている分野は20%なんだ。その手柄をとりあったとき、コーチは離れていく。いいコーチがついたから金メダルを取れる、優勝出来るのだとしたら、そんな楽なことはない。コーチの影響は所詮20%程度なのだ。本人の努力や考え方、それが一番大きい。金メダルを取った多くの選手が、家族や仲間への感謝を述べるのは、コーチとともに歩んだプロセス、そして純粋に手柄をとりあわない謙虚さと選手のひたむきな汗があったのだと思う。強力なラポール形成。

コーチとは。。。大切な人をその人が望むところまで送り届ける人。

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