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ミールス【2】 相席のススメ

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


ある時テレビを見ていたら、ピアノのコンクールの映像を流していた。競技者たちは緊張した面持ちでピアノの前に座ると、指を開閉したり手首を軽く回したりしてそれぞれにウオーミングアップしている。その姿をどこかで見たとしばらく考えていた私は、ようやくある光景を思い出した。「ああこれは、ミールスを前にした南インド人だ」。

「箸を使う文化が日本人の器用さを生んだ」という言い方をよく耳にする。しかし生まれながらに日本文化の只中にいる私からすると、箸使いよりもむしろ手指のあらゆる可動域を駆使して食事を完遂してしまうインド人の方がよほど器用に感じる。固形物ならまだいい。問題はラッサムなどの汁物とライスとが混ざり合った、液状比率の高い、いわゆるシャバシャバ状態になった対象物である。つかもうと躍起になっても指先に付着するのはせいぜい数粒の米と汁だけ。それをくり返しているうち、思わず皿に口を近づけて、ヅヅーっと音を立てて吸い込みたくなる衝動にかられる。

インド人は幼少期から手食慣れしている


しかし周りのインド人を見渡してみても、誰一人そんな不器用かつ無作法な食べ方はしていない。彼らの食べ終えた皿をみると、皆一様に一汁残さず指と手だけですくい上げ、きれいに食べきっている(個人差アリ)。食べ終えた皿を見るにつけ、彼らインド人とはつくづく器用な人たちだと心から感心する。まず食べる前の姿勢からして違う。卓上にミールスが置かれるやいなや、軽くライスに触れてなだらかにする。サンバルの温度を確かめるように中指の先で表面に触れてみたりする。そう、それはまるでピアノを前にしたピアニストそのものだ。

北インドの、特にある程度以上の年齢層の人たちはタミル人の食べ方を「ひじの部分まで舐める人たち」と揶揄することがある。かつてインドには地方出身者を小馬鹿にするステレオタイプな笑いが横行していて、映画などによって拡散していった。これはつまり汁気の多い料理、つまりミールスを手で食べることでその汁が手の側面から垂れてひじまで伝わり、それを舐めるタミル人の滑稽さを笑うというものである。もちろん映画的誇張で、実際にそんなことはないのだが。

というわけで私はインド人の食べ方を観察するのが好きである。かといって食べている人の前に立ってじっとみつめていたら不審者になってしまうので、必ず「相席」という形をとる。この相席が実に面白い。食べながら相対する人たちには人生の悲喜こもごもが反映されていて、まるで一本の秀作のドキュメンタリー映画を見るのと同じかそれ以上の感動を与えてくれる。だからインドの食堂に行くと私は努めて誰かの相席になるべく席を探す。ほかの席が空いていても、わざわざ食事中のおじさんの前に座るという、我ながら不審な行動を抑えられない場合もある。

渋いおじさんがいると相席したくなる


相席者を観察しているとさまざまな発見がある。まず食べる順番がよく分かる。おおまかに何をはじめに食べ、中盤ではこれとこれ、後半ではこのおかずでシメる、といった地域ごとの不文律のようなものが見えてくる。これらの情報は本はもちろん、途中で編集を挟むYou Tubeでもうかがい知ることは出来ない。時には食事中の相手を遮り「この場合、こっちの方を先に食べるんですよね?」などと質問できるメリットは大きい。少々面食らいながらも親切に教えてくれるインド人は多く、そこから話が弾んで、地域料理のルールや特徴、その街の美味しい店とその来歴、彼の奥さんやお母さんの料理の腕じまんといった重要情報まで入手することも可能だ。相席者は生きた教科書であり先生なのである。

相席はさまざまなことを学ばせてくれる


ふと何について書いているのか見失いそうになるが、そう、ミールスである。ミールスほど手食に向いた料理もない。手食する時に感じる料理との一体感、それはとりわけナンなどのパン類よりも米飯を食べる時においてより濃厚に感じられる。そもそもパンは手で千切って食べるものだが、米飯は箸で食べるもの、という刷り込みが我々日本人には幼少期からある。固定概念にとらわれた人ほどその高いハードルに抵抗がある。しかし意を決して手食をすれば、そこにはまだ知らない新たな自分との出会いが待っている。

相席相手を観察しているとよく分かるが、彼らは食べ物を口に含んで咀嚼している間もつねに手は休まず動かし続けている。クートゥーやコランブなどをライスと混ぜ続けているのだ。この手による無意識の攪拌行動も、インド人の食事にとって咀嚼同様に重要である。インド人とご飯を食べていて、メシの白い部分が残ったまま口に入れようとすると「おい、まだメシが白いぞ」と怒られる。インドではご飯の白い部分がしっかりとおかずの色で染め上がってはじめて口へと放り込まれるべきものなのだ。

相席は一本の秀作のドキュメンタリー映画を見るのと同じ


「インド人は手でも味わう」とよくいわれるが、より正確には、指先に舌でもついてるかのように手で味わい咀嚼し、かつ味のついた手指を舐ることで、箸やスプーンといった道具食では感じ得ない味覚までをも感知しているといえる。新しい食体験とは何も古今東西の珍味やご馳走に出会うことだけを意味しない。ただスプーンを手に置き換えるだけで、経験したことのない新食感が得られるのだ。






小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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