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グラーブ・ジャームン【1】 乳と糖の方程式

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。




「世界一甘いスイーツ!」

そんな大げさなキャッチコピーを耳にしたことはないだろうか?
世界一がどのような基準で決まっているのか。質量あたりの糖度などといった科学的根拠に基づくものなのか、それとも単にイメージから導き出されたものなのかは定かではないが、いつしかそれが「グラーブ・ジャームンである」として紹介され、定着したように思える。

もちろん、それは日本のメディアやネットが求める分かりやすいキャッチコピーなのだろうが、確かに一口食べてみれば、その大げさな表現があながち間違いでもなさそうに感じられてくる。ドロドロのシロップに頭まで漬かったスポンジ状の団子は、ひと噛みしただけでとめどない甘味がドパドパと口中に拡がるからだ。

世界で一番甘いといわれるグラーブ・ジャームン
世界で一番甘いといわれるグラーブ・ジャームン


ただインドにはグラーブ・ジャームンに負けず劣らず、腰が抜けるほど強烈に甘い菓子が全土で存在する。インドは世界有数の甘味大国なのである。そのインドの菓子は大まかに、「ミルク由来のものとそうでないもの」とに分類できる。今回はそのうちミルク由来の菓子について、その代表格であるグラーブ・ジャームンを例にとって見ていきたい。

グラーブ・ジャームンの原料となるのはコーヤーと呼ばれる乳脂肪分である。コーヤーは、ミルクを煮詰めて水分を飛ばし、乳脂肪だけを抽出したものである。北インドの旧市街などを歩くと、菓子屋の店頭で大きく平べったい鍋を出し、長い鉄のヘラでゆっくりとミルクを攪拌しながら弱火で煮詰めてコーヤー作りをしている職人の姿をよく見かける。

このコーヤーをピンポン玉大の団子状に丸める。つなぎとしてマイダー(精白小麦粉)を入れる場合もあるようだが、この段階では砂糖は入れない。その団子をギーでこんがりとバラ色になるまで揚げ(グラーブ・ジャームンの「グラーブ」とはバラを意味する)、大量の砂糖を溶かしたシロップにしばらく漬ければ完成となる。スポンジ状の表面はシロップをよく吸い、噛むとドパっと内側からしみ出す。それこそがグラーブ・ジャームンの醍醐味ではあるのだが、しかしその制作工程からもわかる通り、漬かっているシロップにこそ砂糖がふんだんに使われているものの、本体は乳脂肪の団子を揚げただけ。確かにカロリーこそ相当なものだろうが、作り方をみていくと「世界一甘い」という表現がややオーバーな形容であることがわかってくる。

製造中の街の菓子屋
製造中の街の菓子屋


またよく知られるように、ヒンドゥー教では牛が崇拝の対象となっている。ミルクはその牛の最大の恩恵とされる。ミルクは飲料としてだけでなく、ギー(精製バター)や菓子などさまざまな製品に加工され、日常生活だけでなく宗教儀礼においても重要な役割を果たしている。アールティーと呼ばれる、神像に灯明を捧げる儀礼の油はギーでなければならないし、シヴァ神の別の形態として崇拝されるリンガ像には、シヴァ・ラットリ祭の夜、司祭によって頭頂部から大量のミルクがかけられる。また牛飼いのクリシュナの神話も広く知られていて、とにかくヒンドゥー教とミルクとは切っても切れない関係なのだ(ただし水牛は信仰の対象ではない)。

インドでは牛は身近な存在
インドでは牛は身近な存在


ミルクは砂糖との相性がよく、欧米でも菓子の原料として多用されている。しかしヒンドゥー教徒にとってミルクとは、単に食材として使いやすいといった次元を超えた、神からの恩恵(プラサード)でもある。ありがたさの度合いが違うのだ。だからミルク菓子を食べるのは、ヒンドゥー教徒にとって気軽な楽しみ以上の、特別な何かがあるといえるかもしれない。

続いて菓子のもう一つの原料である砂糖について。諸説あるが、サトウキビの樹液を精製して砂糖(含蜜糖)を作ったのは紀元前のインドが世界最古だといわれる。グル(英語でジャグリーと呼ぶ)と総称される、サトウキビのほかにパルミラヤシやナツメヤシなどの椰子の樹液を精製し、凝固させた伝統的な固形物は現在もインド亜大陸で菓子や料理全般に広く使われている。ミルクからマッカン(発酵バター)を作り、さらに精製してギーを作るように、インドは太古から食材の精製技術に長けていたようで、それを学びに古代中国など周辺国から使者が派遣されていたことが記録に残っている。

一方、今でもインドでは白砂糖をチーニーと呼ぶ。チーニーとは「中国」を意味する言葉だが、他方で白砂糖のこともまたチーニーと呼ぶのである。そもそもグルの製造技術はインドが発祥だが、中国ではそれをさらに発展させて白砂糖を精製した。時代が下り、イギリス統治時代のカルカッタに渡ってきた初期の華僑の一人、ヤン・アチョウは同地に製糖工場を建て、販売をはじめたことでカルカッタをはじめとするインド全土で白砂糖が広まった。インド人はこの白砂糖を、元来のグルと区分けする意味で「中国人の砂糖」、つまりチーニーと呼んだ。ベンガルでチーニーを使った白い菓子が発展し、一般の料理にも使われるようになったのはこうした歴史的・地理的要因が関係しているのかもしれない。ちなみに、ヤン・アチョウの墓碑はコルカタ南部に現存し、その周囲一帯は彼の名にちなんでアチプル(「アチョウの町」の意味)と名付けられている。

チーニーはある程度の規模の製糖設備がなければ作ることが難しい。一方、グルはきわめて原始的な工程で現在でも作られている。そしてそんな原始的な糖分であるグルは、今も街のいたるところで販売されている。成分的にもミネラルやビタミンが含有され、単に白砂糖を摂取するより身体に優しいと考えられていて、南インドのミールスやグジャラートのターリーには、甘味としてグルのかけらがつくこともある。

卸問屋に並ぶ、さまざまな素材のグル
卸問屋に並ぶ、さまざまな素材のグル


グラーブ・ジャームンに話を戻すと、ミルクから水分を飛ばして抽出した、いかにもヒンドゥー教徒ごのみのコーヤーの揚げ団子を、中国由来のチーニーを溶かしたシロップにつけこんで作るこの菓子は、ある種ハイブリッドだといえなくもない(ちなみにこのシロップのことをヒンディー語で「チャーシュニー」と呼ぶが、語源はペルシア語である)。このように、グルを生んだインドは、他方でさまざまな外来の甘味文化の影響も受けているのだ。








著者近景

小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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