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「旅そば」万歳! 一枚目 戸隠そば

無類のそば好きを自認するH助が、旅先で出会ったそばについて書き綴るのがこの連載です。ただし、当方、ウンチクの多いそば好きではなく、ただ単にそばを食べるのが好きという輩。偶然出会ったその地方ならではのそば(=旅そば)を、のどごし良く紹介していきます。

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霊場の麓で地元産の山菜と一緒に食す
『戸隠そば』 長野県長野市戸隠

この連載を始めるにあたって、そばのことをちょっと調べてみた。驚いたことに、なんと日本では縄文時代にすでにそばが栽培されていたらしい。当初は実をそのまま食べていたようで、奈良時代に入って「そばがき」(そば粉をこねて餅状にしたもの)として広く食されるようになったという。現在のそばのかたち、いわゆる“麺”になったのは今から400年ほど前のこと。「そばがき」を細く紐状に切ったので「そばきり」と呼ばれるようになった。なので、現在私たちが目にするそばは正式には「そばきり」と呼ぶのが正しいのかもしれない。
さて、前置きはこの程度にしておいて、旅そば1回目に紹介するのが長野県長野市戸隠の「戸隠そば」だ。
戸隠は長野県北部にある戸隠山の麓に広がる地域。かつては戸隠村として独立していたが、2005年に長野市に編入された。新潟県との県境に近く、冬は雪に閉ざされ一般の旅行客が観光するにはかなり厳しくなる。
そんな自然環境のためか、戸隠は古来から日本有数の霊場とされてきた。約1300年前には修験道の修行が行われるようになり、やがて伊賀、甲賀に次ぐ忍術の第三の源流と言われるようになる。そうした山岳修験者たちの携帯食として重宝したのがそば粉で、すでに平安時代にはそばが栽培され食されていたといわれている。
江戸時代になると戸隠に「そばきり」の技術が伝わり、明治時代以降、戸隠神社の参拝客へ宿坊で振る舞われたことから、戸隠そばが定着し、数多くの店が軒をつらねるようになった。
私が旅先で入ったのは、長野市街地と戸隠を結ぶ戸隠バードライン沿いの「大久保の茶屋」。戸隠神社中社の門前から少し離れたところにあるそば屋だ。なんと文化2年創業の老舗で、200年以上この地でそばを振る舞ってきた。その歴史にふさわしい茅葺屋根の古民家が味わい深い。

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中に入ると天井が高く広い。私が入ったのは秋だったので良かったが冬は相当冷えるのではないかと余計な心配をする。さて、何にしようか。メニューを見ると冷たいそばから温かいそばまで、一通り揃っている。やはり、長野ということで、ここは「山菜天ざる」を注文。ほどなく、目の前に竹のざるに盛られたそばと山菜の天ぷらが登場! そばつゆと天ぷら用つゆがちゃんと別になっており、山菜の天ぷらは黄金色に光っている。

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そばの麺を束ねてクルッと盛り付ける「ぼっち盛り」。目の前のざるには6ぼっち、盛られていた。そのひとつのぼっちを箸でつかんでつゆにつけて、思い切りすする。麺はちょうど良いかたさだが、そばの香りが少し弱いかな。しっかりした歯ごたえ。返し(そばつゆの素)が思ったより味が薄い。長野は味が濃いと思っていたのでちょっと意外。2ぼっちすすったところで、山菜天ぷらを食す。さくっとして山菜の苦味が口に広がる。
そばをすする、山菜を食す、そばをすする、山菜を食す……3回ほど繰り返したら、いつのまにかどちらも食べ終えていた。そばは見た目大盛りのような気がしていたが、ちょうど良い量だった。もう少し太めの麺を想像していたので、思ったよりもスムーズにすすることができた。地元産の山菜とそば粉を使った山菜天ざる、まさに戸隠を恵みを満喫。空腹が満たされた私は、いそいそと戸隠神社へと足を運んだのである。(記・H助)


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【大久保の茶屋】
長野県長野市豊岡2764
TEL 026-254-2062




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