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【悲運の戦国大名🌺筒井氏の深い謎③】切腹した筒井氏の子孫は一体どこへ?

前回紹介した筒井順慶には3人の奥さんがいましたが、子どもに恵まれなかったため、いとこの定次を養子にしました。定次は17歳のとき、順慶と同様、織田信長の娘(秀子)を妻に迎えます。

【豆知識】💡✨
順慶の誕生日は1549年3月3日(桃の節句)、養子の定次の誕生日は1562年5月5日(端午の節句)です。覚えやすいですね!
※順慶の誕生日は、『多聞院日記』の記述によります。

↑ この定次の画像、なんだか不良少年っぽく見えるのは私だけでしょうか?😅 もう少し落ち着いた感じの肖像画があればいいのになあ。

▼まさかの伊賀への国替え

定次は、順慶の死により23歳で家督を継ぎ、その後は秀吉に従いあちこち参戦することになりました。紀州征伐で大きな戦果をあげて秀吉に賞賛され、四国攻めでは大和国衆をひきいて、長宗我部元親ちょうそかべもとちかを討つために各地を転戦しました。

しかし、順慶の死の翌年(1585年)、秀吉は定次に対し、伊賀国(現在の三重県伊賀市)への国替えを命じます

それに伴い、定次が伊賀上野城を築城したり、羽柴姓を名乗る事が許されたものの、長いあいだ大和国に根付いていた筒井一族にとって、この国替えは青天の霹靂だったはずです😰

定次が伊賀へ去ったあと、大和には、秀吉の弟である秀長が入りました。おそらく秀吉には、国替えによって興福寺と国人との関係を切り離し、秀長を通じて大和国を完全に支配したいとの意図があったのでしょう。

こうして、大和国における筒井氏の歴史は終わりを告げました。

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順慶の死からまもなく、定次は大和を去ることになったんですね……。

▼定次とその嫡男は、家康に切腹させられた

信長の死後、秀吉と家康の主導権争いが激化しましたが、結果として、定次もその余波を受ける形になりました。

39歳(1600年):秀吉の死後、定次は、関ヶ原の戦いに徳川方として参戦しました。

47歳:定次の重臣が、定次の悪政や不行状を訴えたことをきっかけに、定次は改易されました。改易とは、大名に対する刑罰の一種で、幕府が大名の領地や身分、家屋敷を没収すること、いわゆるお家取りつぶしです。

なぜ定次が改易されたのか。定次の重臣が主張するように悪政があったからか、酒や女におぼれたからか、あるいは定次がキリシタン‪✞だったからなどと様々なことが言われましたが、今でもはっきりしたことはわかりません

ただ、もともと定次が、家康と対立する秀吉に付き従っていたことや、大坂に近く、軍事的に重要な地である伊賀国の領主であったことから、家康は定次を排除し、自らの支配を徹底したいという思惑があったのではないかと推測されます。実際に、定次の改易後、伊賀には家康の信任が厚い藤堂高虎が入りました。

1615年3月5日、定次は、前年の大坂冬の陣で豊臣氏に内通したという疑いをかけられ、嫡男の順定(15歳)とともに自害を命じられ、切腹しました。享年54歳でした。

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定次の五輪塔がある伝香寺の「武士椿(もののふつばき)」です。私のペンネーム(もののふ椿)🌺は、ここから頂きました。写真の椿は、順慶の母が植えた椿の三代目にあたります。普通の椿と違い、花びらが1枚1枚落ちるのが特徴です。

▼順慶の養子は、江戸で旗本になった

定次は改易されたものの、一族皆殺しというわけではないため定次とその長男以外は生きのびました。たとえば、定次の3人の娘は、他家に嫁いで天寿を全うしたといわれています。

また、順慶には定次以外にも養子が数人いました。そのひとりである「定慶」は、定次の改易後、徳川家康から大和郡山城1万石を与えられましたが、その後、郡山城の戦いの際に逃げたことを恥じて切腹しました。これにより、大名家としての筒井氏は滅亡したのです。ただ、定慶は本当は切腹せず、こっそり身を隠して生きたという伝承もあります。

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定次に続き、後継者である定慶まで切腹したなんて……!!

そして、切腹した定慶の弟である「順斎」は、徳川家康に連れられて行った江戸で、1000石の旗本になりました。その後、順斎の末裔である「政憲」は、南町奉行に20年間務め、幕末に日露和親条約の交渉を行ったそうです。

南町奉行といえば、時代劇に出てくる「遠山の金さん」のモデルとなった遠山景元が勤めていたことで有名です。筒井政憲は、遠山の金さんの上司や同僚だったのかもしれません😃

さらに、定慶の弟である「慶之」については、記録があまりないため、「順斎」と同一人物ではないかと言われています。

▼まとめ

順慶の養子

(★印は、行方がよくわからない人物です)

なお、筒井定次には、切腹した長男以外に二男がいるとの伝承があり、名前を「春次」(または春俊)といいます。後日、私が筒井氏の足跡を追ううちに、この名前は何度か出てくることになるので、ぜひ覚えていただけるとうれしいです。

それでは、また次回お会いしましょう!🌺✨

参考書籍:『筒井順慶』(金松誠)
※なお、文中の年齢は数え年です。

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