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【ルーツ探し🌺ノウハウ③】祖父の軍歴証明書を取ってみる(後編)

私が祖父の軍歴証明書について書いたのは、今年の2月6日でした。

1945年に満州で亡くなった祖父がどんな人だったのか、少しでも手がかりがほしいと思い、厚生労働省に軍歴証明書を請求したのです。

そこで私は、

>「後編」を書くのは5月頃になるかもしれません(まあ、気長にやります……😅)。

と書きましたが、そろそろ5月も終わり💦
ようやく後編を書くことにしました!

▼請求から2か月後に記録が届いた

じゃん🎵

実は、4月中に軍歴証明書が届いていたんですね。色々あって、書くのが遅くなりました。

封筒の中には、数枚のカラーコピーが入っていました。

「第十七野戦貨物廠やせんかもつしょう留守名簿」と書いてあります。どうやら、祖父が入っていた部隊の名簿のようです。

▼祖父は軍事訓練を受けていなかった

部隊について、Wikipediaに記事がありました。

【野戦貨物廠】
大日本帝国陸軍の機関の一つ。

主に軍司令部等の高級司令部に属し、兵器・弾薬以外の物資の補給を担当した。主計将校が指揮を執り、下士官や軍属の主計部員がいた。

本来の任務は物資の補給であるが、第二次世界大戦の末期には主計将校も武器を手に戦ったという。もっとも、これらの各部の将校は戦闘訓練など殆ど受けていないのが通常である為、大きな損害に繋がった事も在ると言う。

そう、祖父は軍人ではなく軍属で、味噌や醤油の醸造について現地の人を指導していました(実家が醸造家だったので)。戦闘訓練なんて受けているはずがありません。

写真をみても、眼鏡をかけてひょろっとしていて、全然陸軍っぽくなかったものなぁ。
おじいちゃん、きっと戦争に行きたくなかっただろうな……。

▼ソ連と満州の国境地帯にいた

写真がちょっと見にくいですが、祖父は昭和19年1月16日に入隊し、住所は「虎林」の官舎のようです。

虎林といえば、当時の満州国にあった町。Wikipediaによると、そこには虎頭要塞ことうようさいがあったそうです。

虎頭要塞
大日本帝国陸軍の要塞。

国境を接するソビエト連邦からの満州防衛を目的とする関東軍の主要拠点の一つであり…………長大な満ソ国境において唯一シベリア鉄道を視認できる戦略拠点であった。

そういえば亡母が、「日本が戦争に負けた途端に、ソ連兵が国境を越えてきた」と言ってたっけ。本当に国境地帯にいたんだなあ。

▼第二次世界大戦最後の激戦地

Wikipediaには、こんなことも書いてあります。

【虎頭要塞の戦い】
1945年8月8日のソ連対日宣戦布告及び8月9日未明の侵攻開始により、虎頭要塞の第15国境守備隊と侵攻してきたソ連軍の間で戦闘が勃発

守備隊は絶望的な状況の中、8月15日に玉音放送を聞いたが謀略とみなす。17日、捕虜となっていた日本人5人が、ソ連軍の軍使として日本政府の無条件降伏を伝え、武装解除に応じるようにとの停戦交渉を行うが謀略として拒否、守備隊将校の1人が軍使の1人であった在郷軍人会の現地分会長を斬殺する。

その後も戦闘が行われ、8月26日に本要塞は陥落した。生存者はわずか50名ほどだった。10倍以上の戦力で攻勢をかけたソ連軍を相手に2週間以上にわたり防衛戦を行った虎頭要塞の戦いは、第二次世界大戦最後の激戦とされている。

えぇっ、そんなことがあったなんて、全然知らなかった😨
敗戦を知らせるためにソ連の使いとしてやってきた日本人を陸軍が斬殺したなんて……(可哀そう💦)。

おまけに、ここが第二次世界大戦最後の激戦地だったとは。私はてっきり、激戦地といえば南太平洋などの暑い地域だとばかり。

それにしても、要塞の50人の生存者はその後どうなってしまったんでしょうか。やはりシベリア送りとか……?😰

▼祖父の最期の足取りが見えてきた

封筒の中には、ほかにも数枚のコピーが入っていました。

これにより、次のことがわかりました。

・昭和20年8月9日、日ソ開戦

・祖父の部隊は、牡丹江にある本部を目指したものの、途中でソ連軍と交戦し、部隊は分散状態になった。

・その後、9月10日には武装解除し、一部は松花江から船でハバロフスクの収容所に入所した。

わかったのは、祖父の部隊がソ連と交戦して、収容所送りになった人がいることまでで、祖父が具体的にいつどこで亡くなったかまではわかりませんでした。

★記録では、11月28日に牡丹江で死亡したことになっています⤵


ソ連が国境を越えて満州に攻め込んでから、祖父が亡くなるまでの3か月半

戦闘訓練を受けていなかった祖父は、一体どれだけ怖くて、つらい目にあったんだろう。

日本の戦争責任という視点はともかくとして、個人としての立場では、戦争なんてつらいことばかり😢

それにしても、日ソ中立条約を破って満州に攻めてきたソ連が、いまウクライナを侵略しているロシアと重なって見えます。
あれから77年、またもやこんな戦争を見ることになるとは……。

ともあれ、祖父がソ連兵につかまるまでの状況が少しでもわかったのは大きな収穫でした(おじいちゃん、頑張ったんだね……)。

皆さんも、興味がわいたらぜひご先祖様の軍歴証明書を取ってみてくださいね🌺✨

★具体的なやり方はこちら⤵

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