#117 エゴとエゴの受け容れ合いについて
「エゴ」自我、自己。
日本語では、利己主義やうぬぼれみたいな意味でも使う言葉だけど、もともとはラテン語で自我という意味を持つ言葉。
古い時代から使われ続けてきた事言葉。最近は悪い意味で使われることが多い気がする。
エゴとエゴのぶつかり合いとか、エゴは出しすぎてはいけないとか。
そんなネガティブな使い方が多い。
もちろん、1人のエゴだけが高すぎる時にその場の雰囲気は壊れてしまうのは間違いではない。
僕自身もそういう場所にすごく居心地の悪さを感じる。
でも、「エゴとエゴの受け容れ合い」こんな言葉の使い方もありなんじゃないかなと思ったりもする。
エゴ。つまりはその人自身の自我。それがまっすぐ芯になっていることは大事だ。
お互いの芯の部分を見せ合って、受け容れあっていく創造の過程は美しい。
特に、なにかを一緒に進めたり、作ったりする時には、誰か1人の想いだけではうまくいかない。だからこそ、お互いのエゴをちゃんと見せ合って、それを受け容れあって進めていきたい。
今日もエゴとエゴの受け入れ合いで、実りある時間を過ごせますように。
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