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男女平等という男性主体のスローガン①

『19世紀後半から20世紀にかけて、人類史上はじめて「男女平等」が広く謳われるようになりましたね。大体1945年以降の、あの時代です。長年数々の女性たちが訴え続けた女性の権利は、この時からようやく認められるようになった。努力が実るとはまさにこのことですね。』

ベテラン予備校講師は一息つくとこう言った。

『あなた方は大きな勘違いをしている。こんなものは詭弁です。』

𓅜

こんばんは。思ったことをサクサク書いたつもりで読み返すと全然論理的じゃなくて、自分のラジカルシンキングにドン引きしてます。Monoです。

予備校時代にすごいキレ者の世界史の先生がいました。ちょっとオカマ口調の。

冒頭は彼の授業中の台詞です。
また受けたい。これから出会う人の中で、彼ほど臨場感溢れる授業ができる人はもう居ないんじゃないかな。そんなレベル。

今日3本目のnoteはこれで締めようと思います。
どうぞゆるりとお付き合いください。

𓅜

古代から、人類は男と女の2種類がいましたが、社会は男が主体となり舵を切るものでした。政治も経済も娯楽も男が考え、男があらゆる価値を決めていた。

一方、女たちは一体何をしていたのか。

多少の語弊は含みますが、基本的には「男に嫁ぎ、男子を産み育て、家を守って」いました。勿論中には、自由に教育を受け、やりたい仕事をし、自分の人生を全うした女性や、嫁いだ男を心から愛し、子を産み家を守ることを最大の幸せと感じた女性も少なからず居たと思います。ですが、大多数の女性たちが自分の意思や願いを聞き届けられていたかと言われれば、そうとは言いきれないでしょう。

では次に、古代から近代になりました。思想家たちが政治や社会制度、自然哲学などに論を講じていた時代です。当時、男女平等に対し啓蒙思想家ルソーが残した言葉がこちら。

男性に気に入られ、役に立ち、愛されることが女性にとってのQOL向上であり女性の義務なんだから、子供の頃からちゃんと教育すべき」(1762年)

すごい。今の国会議員が言ったら社会的に死ねる台詞ですねこれは。炎上案件。

他にもナポレオン法典(1804年)に記された言葉には、

夫は妻を保護し、妻は夫に服従する義務を負う。

服従かぁ……。これも社会的に死n

そうして向かった現代において、ようやく1948年、世界人権宣言が発表されます。男も女も関係なく、法の下に平等であるべきだと。長年続いた男女不平等な社会は、ここで大きな一歩を踏み出して、より良い方向へと向かう。人間は進歩し続け、男女不平等問題のみならず貧困問題、環境問題、あらゆる不合理や不平等は解決される。世界人権宣言はそんな大きな一歩だった……

𓅜

という詭弁。説明していた予備校教師はゴミを見るような目で僕達を見下ろしていた。(浪人生に人権はないらしい)

これ、別に社会が成熟したとか倫理観がどうこうとかの話じゃないんですよ。単純に、先の2つの世界大戦で男が減りすぎて労働力不足に陥った。残ったのは老人と女と子供ばかり。彼らにも労働力として社会への参加を求めなくては、社会経済が停滞してしまう。長々と訴えられ続けていた女性の参政権や、社会参加の権利等もこの期を境に一気に解決してしまおう…ここは僕の想像ですが、そのようにして男女平等はやっと世間に広がるようになりました。

なんだ、大きな一歩と思ってた世界人権宣言、所詮は男社会から見た合理的判断に過ぎないじゃないか。

なんだかんだ今も社会は不公平だしこれからも男と女は不平等なんだな。

って今思った皆さん。

僕から盛大な本音をどうぞ↓

それな。

このことをはじめて聞いて、考えた時、結構絶望しました。社会って良くなってる方に進んだつもりで結局は誰かの損得勘定が絡んでるんだなと思って。

僕自身、性別による不合理な区別や差別に対してずっと疑問を覚えていたので、いつかきっとよりよくなる日がくると信じていました。人類はより良い方向へと向かっていると。

でも世の中そんな甘くないんだなと思い知らされた出来事でした。

2章に続きます。

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