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元・児童養護施設職員の香織さんが語る養育現場のリアルと里親制度への想い


日本には、親がいない、何らかの理由で家庭で暮らせない子どもたちが約4万5,700人いる。そのうちの約3万2,000人が児童養護施設や乳児院、ファミリーホームで、そして約5,400人が里親家庭で暮らしている。(2018年2月時点)

「子どもたちが生きやすい社会をつくるために、この現状をもっと多くの人たちに知ってほしい」。そう話す香織さんは、かつて児童養護施設と乳児院の職員として、社会的養護下にある子どもたちに携わったひとりだ。今回は彼女に、養育現場のリアルや里親制度についての思いを伺った。


子どもから信頼される大人を目指して

香織さんが児童養護施設の職員になりたいと思ったのは、中学生の頃だった。

通っていた中学校には、毎日のように問題を起こすやんちゃな生徒がたくさんいた。彼らの言動を見ているうちに自然と疑問が湧いてきた。

「なんで非行に走るんだろう。純粋に楽しいからなのか、かまってほしいからなのか、それとも寂しいからなのか。一体、何が彼らにそうさせるんだろう」

考えを巡らすうちに、自分なりの答えにたどり着いた。

「理由はさまざまだろうけれど、多くの場合、家庭や周りの大人に問題や原因があるんじゃないかという考えにいきついたんです」

子どもの福祉や支援に関心を持つようになった香織さんは、「何らかの傷や問題を抱えている子どもたちにとって信頼できる大人になりたい、彼らの力になりたい、寄り添ってあげたい」と思うようになった。そして、いろいろと調べるうちに社会的養護の施設を知ることになる。

「児童養護施設や乳児院の存在を知った時は、ここだ!と思いました」

高校、大学の頃には、ボランティア活動で児童養護施設や乳児院を何度も訪ね、現場でいろいろなことを学んだ。児童虐待や児童福祉に関する書籍もたくさん読んで知識を増やした。その甲斐もあって、就職活動を始めてすぐに児童養護施設の職員に採用が決まった。念願の仕事だったが、「働き始めた当初は、想像以上に大変な毎日」だった。


子どもたちと向き合う

勤務していた児童養護施設には、3歳から18歳の子どもたち約50人が暮らしていた。担当を任されたのは、小学生から高校生の女子13人からなるユニットだった。短大を卒業したばかりの当時20歳の香織さんと、最年長である18歳の女子高生との差はたったの2歳だ。

「指導者として、子どもとの線引きはちゃんとしてね」と上司から言われていたが、自分と年齢がさほど違わない子に、どのように指導すればよいのか、どのように関わっていけばよいのかわからなかった。「親しくなりすぎてはいけない、でも、”いかにも指導者”のような職員にもなりたくない」。しばらく悩む日々が続いた。

そんなある日、こんなことが起きた。

みんなで夕食後の片付けをしていた時だった。突然、中学3年生のAちゃんが小学2年生のBちゃんの頭を叩いた。なんのいわれもないのに叩かれたBちゃんは、大きな声で泣きだした。その様子を見ていた香織さんは、「なんで叩いたん?」と冷静に尋ねた。しかし、その時すでに怒りが頂点に達していたAちゃんは、「はぁ~!?うっさいわ!なんや!」と言いながら近付いてきた。Bちゃんは泣き続けている。お互いの息がかかるくらいの距離まで接近してきたAちゃんに、もう一度「なんで叩いたん?」と訊いた。怒りが収まらないAちゃんは、まくし立てるように叫んだ。

「包丁持ってきて、刺したろか!!」
「刺せるもんなら刺してみい!」

さすがに怒りをおぼえ、そう言い放った。

その一言に驚いたBちゃんは泣くのを止め、部屋が静まり返った。Aちゃんは何も言わず部屋に戻った。その日以降、Aちゃんが激しく反抗することはなかった。

「こんな風に子どもたちとぶつかりながらも、日々一緒に過ごしているうちに、指導者というより、子どもと本気で向き合うひとりの大人であろうと思うようになりました。大人が真剣に向き合えば子どもは、何歳の子でも、返してくれるんです」

ほかにも、問題はよく起こった。

「ある日突然不登校になる子がいたり、部屋に引きこもる子もいました。夜になっても帰ってこなくて、警察に連絡して捜しに行くこともありましたね。頻繁に嘘をつく子や隠れてタバコを吸う子、自傷を繰り返していた子もいました。

そういう行動は、子どもからのSOSなんですよね。親の愛情を受けてこなかった彼らたちは、心のどこかに『自分は必要とされていない、愛されていない』という気持ちを持っていると思うんです。ずっと、そういう気持ちを抱えて生きている。それを吐くこともできない、吐く方法も知らない、吐ける場所もなかったんですよね」

だからこそ香織さんは、子どもたちの話を、どんな些細なことでも真剣に聴くことを一番大事にしていた。

ある日、高校3年生のCちゃんと2人で買い物に出かけた。Cちゃんは、部屋に引きこもることが多く、普段誰とも話さない子だった。

買い物に向かう車の中で、はじめは香織さんが一方的に話をふっていたが、次第にCちゃんも口を開くようになった。育児放棄した母親のこと、自分のこと、最近考えていることを、ぽつりぽつりと話してくれた。そして、「この施設に来れて良かった」と言った。そんなふうに思ってくれてたんだと思いながら、Cちゃんの話をずっと聴いていた。

その後、Cちゃんが施設を退所する日に手紙をもらった。そこには、「あの日、私の話を真剣に聴いてくれてありがとう。あんなふうに聴いてくれたのは香織先生だけです」と書かれていた。


子どもたちのこころの傷

施設で暮らしていた子どもたちの背景はさまざまだった。Cちゃんのように育児放棄された子、親がいない子、親の病気や経済的事情で一緒に暮らせない子、そして肉体的・精神的虐待を受け保護された子がいた。

児童養護施設でも、乳児院でも「普段保護者と面会していた子は、ほとんどいなかった」。年末年始にも保護者と過ごせない子はたくさんいて、彼らと一緒に年越しそばを食べながら新年を迎えたこともあった。

香織さんは、「私は子どもたちを傍で見てて、面会が良いと一概には言えない」と言う。親との面会を心待ちにする分、別れた後の寂しさは計り知れない。面会後、精神的に不安定になる子どもたちがいたからだ。

親に会いたいと思う子がいる一方で、会いたくないと思う子もいた。父親からの虐待により保護された小学2年生のDくんは、いつも「家には絶対帰りたくない。家族に会いたくない」と言っていた。

「基本的に子どもは、親がどれほど会いにこなくても、やっぱり心のどこかで親を求めているんですよね。子どもから親を切ることは、なかなかできないんです。なので、子どもが『親に会いたくない』と言うのは、よほどのことをされたのだと思うんです。Dくんは生きるために、帰りたくない、会いたくないという思いに行きついたんだなと考えていました。世の中には、そういう子どもたちがたくさんいるんです」

子ども一人ひとり、抱えている傷は違う。それゆえ、それぞれに合う支援が必要だ。

しかし、そのためには支援制度や職員が足りていない。職員が子どもひとりにかけられる時間は、本当に少ないのだ。「子どもにとってどうすることが一番良いのか、わからない時もあった。いくら子どものことを想っても、職員として私がしてあげられることは限られているんです」と少し俯きながら言った。

だからこそ、「もっと、社会全体で子どもたちを支援できる体制が整ってほしい。そのひとつとして、里親制度がもっと広まればいいなと思っています」


子どもたちが生きやすい社会に

里親制度には、養育里親と週末里親の2種類がある。

養育里親は、里親の家庭で子どもを養育するという制度だ。期間は子どもの状況にあわせて自由に委託できる。数週間や数か月などの短期間の場合もあれば、十数年にわたることもある。

一方の週末里親は、週末や長期休みに数日間、継続して家庭に迎え入れ一緒に過ごす制度だ。

「子どもには、安心して過ごせる家庭や、継続して付き合える大人の存在が必要なんです。そういう環境に身を置くことで救われる子もいるでしょうし、子どもたちの選択肢や可能性も広がると思うんです」

それを特に実感したのは乳児院に勤めていた時だった。里親に引き取られた2歳の女の子と久しぶりに再会したことがあった。

「乳児院主催の夏祭りで半年ぶりに再会した時の彼女の笑顔が忘れられないんです。かわいい服を着て、里親さんに抱っこされた彼女は、とても満たされた顔をしていました。はじめは誰かわからないくらいに別人のようになっていたんです。たった半年でここまで変わるんだ、やっぱり家庭の力はすごいなと感じました」

また、「里親の存在は、子どもたちが自立した後も心の支えになるのではないか」と香織さんは言う。社会的養護下での養育は原則18歳までとなっている。子どもたちは、高校卒業とともに社会に出なければならないのだ。

施設を退所した子どもたちのなかには、飲食店の経営者になった子や、安定した職に就いた子もいた。その一方で、職と住まいを転々とする子もたくさんいた。

「そんな時、里親さんがいれば相談することができるかもしれない。自分を知ってくれている大人の存在は大きいと思うんです。自立した後も、ふと立ち寄れる場所があれば、精神的に救われることもあると思うんです」

しかし、社会的養護についてあまり知られていないのが現状だ。児童養護施設や乳児院で働いていた頃、友人や知人から「そういう所があるんやね」と言われることが何度もあったという。

「もっと多くの人に、子どもたちのことを知ってほしい。そして、今施設で暮らしている子どもたちや、施設に入所できず水面下で苦しんでいる子どもたちを救える社会になってほしい」

施設を離れて5年経った今でも「あの子、何歳になったかな。元気でやってるかな」と子どもたちを思い出す。

体調を崩したことで退職をせざるを得なかったことに悔しさをにじませながら「できることなら、もう一度児童養護施設で働きたい。彼らと過ごした毎日は、本当に楽しかったんです」と言った。

「子どもたちには、本当に幸せになってほしい」

そう言いながら、再び手紙に目をやった。

両手に収まりきらない手紙は、時にぶつかり合いながらも子どもたちを真剣に想い、向き合ってきた香織さんへ宛てた、子どもたちからのラブレターだ。

見せてくれた一通のラブレターには、こう書かれていた。

「たすけてくれてありがとう 大好き」

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