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人生に絶望していた頃、田園の真ん中でわたしは前を向いた。

都会に憧れて故郷を出た。キャンパスライフの幕開けに心躍る18歳のわたしに、愛郷心なんてのはこれっぽっちもなかった。ゆたかな自然より、キラキラした都会の方が断然魅力的だったのだ。

けれど、いつしか故郷よりもずっと空が狭く緑の少ない街には、心癒える場所がないことに気付いた。人生に行き詰まり心が折れそうになった時、癒してくれたのは家族と、そして故郷の自然だった。


先月上旬、久しぶりに帰省した。夕暮れ時、娘を連れて実家の周りに広がる田園に向かった。

この時期の田んぼは、とても生き生きしている。穂が実る前の青々とした稲が一面に広がっていて、まるで草原にいるような清々しい気持ちになる。わたしは胸いっぱいに空気を吸い込み、土と稲のにおいを味わったあと、ゆっくり吐いた。懐かしい安心感に包まれて、心が落ち着いていくのを感じた。

ここが癒しの場所となったのは、15年前のちょうど今時分に起きた出来事がきっかけだった。

当時就職活動を目前にしたわたしは、自分の将来が怖くて、怖くてしかたなかった。

“生まれつき子宮がない”という、神さまの仕打ちとしか言いようがない宿命に絶望し、明るい未来なんて描けなかったのだ。

「ロキタンスキー症候群」というその疾患は、およそ4,500人に1人の割合で発症するらしい。人によって欠損部分や範囲は違うけれど、いずれにしても生理はないし、妊娠・出産もできない。

今のように多様性を謳う社会でもなく、スマホもなかった時代、わたしが知り得る情報は僅かだった。将来に希望を見出すことができず、とりあえず、ひとりで生きていけるために安定した収入とキャリアアップを望める会社で働くしかないと、ぼんやり考えるしかなかった。

正直言うと、高校生の時に告知を受けてからずっと、自分の気持ちや将来について真剣に考えることを避けていた。逃げていたのだ。向き合うと押し潰されてしまいそうで、ひたすら逃げ続けていた。だから就職活動を機に初めて真剣に将来を考え始めた時、それまで蓋をしていた本音が一気に溢れ出した。

「ほんまは、ひとりで生きたくない。安定した収入とか、キャリアとか、そんなんどうでもいい。そんな人生望んでない。
ほんまは、結婚して、愛する人との子どもをお腹に宿して、産んで、育てて、パートしながら家族を守る。そんな普通の人生を歩みたい」

ようやく気付いた理想の人生。それを望むことすらできないわたしは、その夢を、心を、どこに持っていけばよいのかわからず、気付いた時には身動きがとれなくなっていた。

この身体に生まれたことを「宿命」という言葉で割り切れるほど、強くなかった。

理想の人生を諦め切れるほど、大人でもなかった。

自分は一体どうしたいのか、どうすべきなのか、どう生きていくのか。もう、何もわからなくて、ただただ自分の人生に絶望し、生きる気力を失っていた。どこに向かっているのかわからなくなると、人は弱ってしまうことを知った。

そんな時、帰省したわたしは愛犬の散歩のため田園に向かった。風のない穏やかな夕暮れ時で、周りには誰もいなかった。

愛犬に引っ張られながら歩いていると、さわさわと稲のなびく音が聞こえてきた。次の瞬間、大うちわを振り下ろしたようなボワーンとした風に背中を押された。思いがけない突然の衝撃に、身体が浮いたように感じた。まるで海に浮かんでいるような感覚に襲われたのだ。

「風に包まれるって、こういうことかも」

不思議な浮遊感に包まれながら、ふとそう思った。すると次は、時が止まったように感じた。稲のなびく音も、踏んでいる砂利の音も、愛犬の声も、なにも聞こえなくなったのだ。地球上に自分しかいないんじゃないかと思うほどの静寂と、風にのって遠くに運ばれてしまいそうな感覚に、怖さを覚えた。

しかし、そんな怖さはすぐに消えた。わたしを包む風が、あまりにもやさしくて心地よかったのだ。

風が全身の細胞に吹き込み、身体の力が抜けた。固まった心が、じわじわと解きほぐされていくのがわかった。わたしは風に身をゆだねながら、空を見上げて大きく息を吸った。薄水色の空に、淡いピンク色に染まった雲が漂っている。土と稲のにおいに安心感を覚えた。

美しいと思った。わたしを包む空、風、大地、そのすべてが美しくて、やさしかった。

そして、自分がちっぽけだと思った。この圧倒的に大きい自然のなかでは、わたしは無力で、ただ生かされているのだと実感したのだ。それは宿命のなかで生きることにも重なった。どうあがいても自分でコントロールできない力のなかでは、悔しいけれど、身をゆだねるしかないのだ。

無気力に包まれていた心が、少し息を吹き返した。「なんとかなるかな」と肩の力が抜けて、とりあえず、前だけは向いていようと思えたのだ。その時の感触や思いは、その後も幾度となく不安に襲われた時の支えになった。


そんなふうに生きてきて今思うことは、「宿命」は変えられないが、「運命」は自分で変えられるということだ。

つらいことも沢山あるし、長い間努力を続けることもある、思い通りに進まないことだって山ほどある。それでも、時の流れに身をまかせながら、とりあえず前を向いて進んでいれば、救われる時はくる。辿り着いた先のゴールで見る景色は、願っていたものとは違うかもしれないけれど、報われたと思える時はくると、わたしは信じている。
時に神さまは素晴らしい贈り物をしてくれるような気がするのだ。

娘と出会えたことに関しては、ずっと恨んできた神さまに初めて感謝した。これまで歩んできた道のりのなかで何かひとつでも違っていたら、特別養子縁組で、この娘を迎えることはできなかったと思う。そして今、かつて想い焦がれていた理想の人生が概ね実現しているのだから、本当に何が起こるかわからない。

人生捨てたもんじゃない。ようやく、そう思えるようになった。

淡いピンク色に染まった空のした、娘と手を繋いで田園のなかをゆっくり歩いた。

あの日吹いた風は、15年の時を経てこの愛おしい日々に運んでくれたのかもしれない。

そんなことを思いながら、わたしの手を掴むちいさな手を握りしめた。

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