鷗外とその家族② 鷗外の言葉選び
明治の文豪として知られる森鷗外は、素晴らしい翻訳を数多く残しているが、その業績は著述の影にかくれているのか、小説ほどは広く知られていないように思う。高校の教科書で「舞姫」を読んだとき、出世や家族との関係と、エリスへの愛情との間で板挟みにあうのです、とせっかく明治になったのに前時代の世話物のような解説を教師から聞いたのをはじめ、安楽死を扱った「高瀬舟」、性の目覚め(中年の女教師がカッと目を見開き、ものすごく甲高い声で言ったのがすごく嫌だった)を描いた「ヰタ・セクスアリス」、「渋江抽斎」などの晩年の考証文学…とごく簡単ながらも一通りの流れを教わったが、翻訳の業績に触れた記憶はない。
時代もあるだろうが、鷗外が初めて翻訳した作品というのは多い。アンデルセン「即興詩人」、ゲーテ「ファウスト」、オスカー・ワイルド「サロメ」、イプセン「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」など…また「即興詩人」中でダンテのLa Divina Commediaに「神曲」の訳をあてたのも鷗外である。鷗外の訳は、格調高い文語体で知られているが、現代人が読むと、それはほとんど古典で、口語体に慣れた私には読み進めるのがひどくぎこちなく、だけど流麗な文体にうっとりとしてしまう。
新約聖書を下敷きにした「サロメ」では、王宮の井戸にヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が幽閉されているが、井戸の脇で番をする兵が「舎人(とねり)」と訳されている。私はその言葉選びに脳天を直撃され、身をよじってしまった。「舎人」とは宮中に仕えた護衛のことで、聖書の時代のユダヤの埃っぽい雰囲気と、日本の王朝の雅がかけ合わされ、独特の古(いにしえ)の趣をかもしだしている。私は「サロメ」のストーリーのことはすっかり忘れてしまったが、この「舎人」という語彙だけは鮮明に残っている。
これはほんの一例だが、鷗外は外国語に精通していただけでなく、自国の文化や文字の中に自然な形で落とし込むことにたけていた。軍医であった鷗外は医学関連の著述も多いが、その中で用いられる訳語や新字句が秀逸で、後々まで広く用いられた語もあるという。文学でも科学でも、一言一句と真剣に向き合い、一つの妥協も許さず緻密に文体を練り上げていった姿が浮かび上がってくる。
ところでこの西洋の雰囲気を日本の風土に持ち込む工夫は、家庭内でも見受けられる。鷗外の子供たちと一部の孫たちの名前は、当時にしては珍しい洋名で、「キラキラネームの元祖」と位置付けする人もいる。長男・於菟(オットー)をはじめ、茉莉(マリ)、不律(フリッツ、夭折)、杏奴(アンヌ)、類(ルイ)、孫の真章(マックス)、富(トム)など。茉莉というのは現代の感覚からすると、とても日本的な名前に思えるが当時は珍しかったらしい。二度目の結婚後、四十代ではじめて得た女の子・茉莉のことを鷗外は「おまり」といって可愛がった。せっかく洋風にしたのに、何だか江戸の情緒である。二人目の女の子・杏奴を出産した時、庭に百合が咲いていたので妻・志けは「ゆり」と名付けたかったが、鷗外はふんふんと言ったまま、役所に「杏奴」と届出た。それで妻が「いったいマリやアンヌというのは、向こうではどういった感じの名前なんですか?」と聞くと「お千代やお松(おみよだったかも、失念!)のようなものだ」と答えたという。於菟のことは坊主、ブクリ坊主、杏奴はアンヌコ、類はぼんちこ(坊ちゃんを意味する「ぼんち」に「こ」を足したもの)。自分のことをパパと呼ばせようとしたが幼い茉莉が「パッパ」と言い、以来子供達だけでなく妻や母も鷗外を「パッパ」と呼んだ。
それなのに妻のことは「お母ちゃん」だった。子供達が父親と散歩に行ってアイスクリームを食べたいとぐずぐず言ったりすると、「お母ちゃんがシトロン冷やして待っている」とたしなめる。歩いていた上野の森とシトロン(おそらくレモネードのような飲み物)の対比、自由律俳句のようなこの文句が私は大好きである。前回のエッセイにも書いたが、鷗外は気の強い二十歳近く年下の妻と、姑の間で相当苦労したらしい。その様子は見た者の視点で微妙に違うのだが、人によっては家庭が鷗外にとって安らげる場所ではなかったと描く人もいる。だけどこうやって「お母ちゃん」と呼びかけているあたり、この若妻のことを頼りにしていた面もあるのでなはいか。
鷗外は茉莉のためにヨーロッパから洋服を取り寄せもしたが、洋風モチーフなどモダンな着物選びなどもうまかった。妻・志けの方は、紺や茶色の地味で渋い色を粋に着こなす、生粋の江戸人であった。新しいものもいろいろ入ってくるが、前の時代からの風習も続いている。鷗外の翻訳はそんな時代に生まれた。和とも洋ともどっちつかずになってしまった、現代を生きる私にとっては、興味深く、うらやましい時代である。
参考図書:
ドッキリチャンネル (I) 森茉莉全集第6巻、ドッキリチャンネル (Ⅱ) 森茉莉全集第7巻 (森茉莉、筑摩書房)
父親としての森鴎外 (森於菟、ちくま文庫)
鴎外全集 翻訳篇 第10巻 (森鴎外、岩波書店)
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