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できれば味わいたくないようなこの痛みも意味があるんだと思いたい。

痛い。

いつからこの痛みを抱えているのか、明確には覚えていないけど。

こういう痛みって、もう25年生きてる身からすると、何度も味わっているし、それの適切な対処法なんて、よく知っているはずだ。

それなのに、‘‘早い段階で自分で気づいて、措置をとっていれば大事に至らなかったかもしれないのに‘‘をもう何度も繰り返している気がする。

学習しないのは何でなんだろう。

人には脳みそが付属しているけれども、実は中身はすっからかんなのかもなとこういうときに思う。

これまでの失敗を胸に、次は同じ過ちを繰り返さないようにと、‘‘どうだ?これで痛みなんか被らないぞ?‘‘と自信満々に立ちかかってみても、ひょいっとその防御柵を越えられたりなんかされちゃって意気消沈みたいなものも何度だってある。

そうして、その敗戦が多ければ多いほど、自信ってものはすり減っていくし、もう次は端から立ち向かわず、痛みを四方八方からズキズキと受けるという悲しい選択になってしまうのも分かってほしい。

まぁ、ずーっと、一生、永遠に、その痛みが続くわけじゃないってのも、経験していくうちに分かっちゃったから、今はじっと耐えるしかないんだと自分に言い聞かせてあげれるまでには一応成長したんだけどさ。

そうそう、その痛みって大抵は気づいたら癒えているもんでさ、痛みの始まりが明確に分からなかったのと同じように、痛みの終わりも明確に分からない。

あれ?いつの間にか生きづらさを感じなくなってた!って気づいて、また日常を送れるようになってるみたい。

でもね、その痛みってのをできるだけ自分から遠ざける方法もあるって最近知ったのよ。

それは、自分で自分を気遣ってあげること。

なぁんだ、よく聞く言葉。って思うかもしれないけどね、残念ながら自分という人間と一番側にいる人間って自分なので、自分の機嫌を自分で取ってあげれることや今の自分ちょっとやばいかもっていち早く察してあげれると、そんなに痛みってのは頻繁に訪れるものじゃないみたい。

でも逆に、自分が痛い思いをしないようにと自分のことばっかりになって、相手を見なくちゃいけなかったときに見てあげることができなくて、もう取り戻すことができない状態にまでなっちゃたりとかね。

そうして、そんな自分のことを嫌いになっては自分の面倒をないがしろにしちゃって、その痛みが待ってましたと言わんばかりの面で強烈な痛みをお見舞いされることだってあるんだけどね。

人生、そんなことの繰り返しだよ。ハードモードすぎてやになっちゃうわ。

まぁ、痛みという苦しみがあるからこそ、平凡やそれ以上の状態の時に幸せを感じれるんだけどね。

幸せは、不幸という比較対象がなければ存在しないものなんだって。

それでも、できることなら幸せだけ感じたいってみんな思うよね。私は今このときばかりはそう思う。だって痛くて辛いんだもん。


ああぁぁあ、にしても本当にこの口内炎が痛い。

この口内炎のせいで、昨日も仕事に集中できなくてつらかったな。

最近、ビタミン摂取できてなかったからか。久しぶりに野菜でも食べようかな。

この痛みが治ったら、誰かの痛みの一部だけでも背負ってあげられるくらいに強い自分になってたらいいのにね。


なんてかっこつけたこと言える余裕がないくらいに口内炎が痛いのよー!うわぁーーーーーん(涙)


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