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当事者なのに置いてけぼりにされる子供達

現代、離婚をする夫婦は一定数いる。
価値観の不一致、生活を共にしてたらなんか違った、浮気・不倫…理由は色々あるだろう。
両親も私が高1のとき、離婚が成立した。
今回記すのはその経験を元に、成人となった私が今まで何を思ったか、何を考えたか、子供視点での話。

小学1年生の時、両親は別居を始めた。すれ違いからの喧嘩が絶えず母親が耐えきれなくなったからだ。
毎晩喧嘩ばかりで止めるのに必死だった私は突然の事で訳が分からなかった。幼い私にはどっちかについて行くなんて考えられなかった。そんな中でも頭をぐるぐる回らせて「パパ1人じゃ可哀想」と父親と家に残ることにした。
父親と2人の生活がはじまり、困ることは沢山あった。学校から帰っても家に母親がいない、幼い私は寂しくて寂しくて仕方なかった。
約半年頑張ったが私も耐えきれず母親の実家へ行くこととなった。

私は子供ながらに「離婚」という言葉を知っていたし、どういうことかも何となく理解していた。それに別居が始まった時点でもう離婚するのだろうとも思っていたし、何とか仲直りして元通りの生活にならないかとも思って2人を説得していた。まぁ当然無理だった。
無理なら無理でさっさと離婚してしまえばいいものを、まだ私も幼かったのだからちゃんと規定を弁護士を介してでも作ったり色々案が作れそうなものだが、「○○がまだ子供で可哀想だから」と言う理由で延期されていた。
え、私のせい?
違うとしてもそう思ってしまうものだ。
私がいなければ2人はさっさと離れられたのかな、
私のせいで微妙な距離を保って肩書きだけの関係を続けているのかな
子供ながらにとても自分を責めた。

中学生になって、幼馴染と大好きな音楽をしたくて部活に入った。だが入って間もなくいじめにあった。一方、家では母が日頃のストレスから酒に吞まれる毎日だった。情緒不安定。部屋の仕切りもない家で、母の何とも言えない姿をただただ見守る私。
そして気付けば私の居心地の良い居場所は無くなった。学校に行けば陰口嫌味、家に帰れば酒に吞まれる母。そして当然、不登校になり家にも帰りたくない日々が続いた。

生憎、私には兄弟もおらず、話を聞いてくれる人は仲のいい先生や、私を良いように利用しようとするいい歳した大人達がほとんどだった。いい人もいた。でも人の家庭のことには結局誰も足を踏み込めなかった。

この時も両親は離婚していなかったが、既に両者共に愛する相手がいることを私は知っていた。その頃からだろうか、「愛してる」とか「一番大切」とかよく分からなくなった。一度は愛し合ったはずの2人。その証であったはずの私。それが嘘かのように、悪びれることも無く両者共に新しい相手と愛し合っていた。もう中学生とはいえ、まだ中学生。理解に苦しんだ、というよりその事実を受け止めきれなくて、受け止めたくなくて、ただ逃げて、ただ苦しくて、ただ自分が嫌になった。
自暴自棄になった私。それを見て泣き喚く母。こっちが泣きたいよ。

高校受験目前、私があまり学校へ行っていないことを耳に入れた父は、母では気が気でないと私を元々3人で住んでいた家へ連れ戻った。その時は、今のままの生活でも困るし、まぁいい機会かな、と思っていたが、そんなことを言えるのも束の間だった。
父との2人での生活が始まって数ヶ月。私は不登校であったことや基本母が寝る頃(22時頃)に帰宅していたこともあり、タイムサイクルが狂っていた。更に元々朝が弱かったこともあり、朝から普通に準備して学校へ行くというのがかなり難しかった。そしてここで問題発生。痺れを切らした父が手を上げるようになった。起きない私が悪いと言われればそうなのかもしれないが、本当に身体が動かないのだ。時間がかかる。それを叩き起されたところで寧ろ怖くて固まってしまう。
このままでは行けないと、父方の親戚、母、母方の親戚、色んな人に相談した。でも、誰一人として私に手を差し伸べる人はいなかった。「可哀想」、「お父さんは貴女のために言っているの」、「もう少し頑張って」。言われるのはそんなことばかりで、一方で父はエスカレートしていくばかりだった。
今でも鮮明に覚えているのは、スクールバッグにテキストがパンパンに詰まっている状態のものを投げられてとても痛かったこと。そしてそのバッグの中には目薬が入っており、容器が割れて液が零れ出し、私の愛読していた本が濡れて変色した。あの時のことは忘れたことは無い。今までされたこと言われたことの中で1番辛かったから。「私の大事なものを大切にしてくれない」と実感したから。

さて、こんなことが起きても尚、子供は親をそう簡単に憎めないもので、現に今も、期待も信用もあまりしないけれど嫌いにも憎む気にもなれない。
ただ、「別れを選ぶならそれに伴う責任を最後まで背負ってほしかった」。
子供は幼くとも親が思っているより多くのことを見聞きしていて、深く理解はしていなくとも何となくプラスなのかマイナスなのか位は安易に分かってしまう。
私の場合、離婚をするのならその話を何となくでもきちんと面と向かって話して欲しかったと私は思う。2人が出した決断であればそれに対して私がどうこう言うことは出来ないし、それが最善であると思うから。私の両親はそれをせず、どちらにも親としての権利は与えられた状態であったのにも関わらず、婚姻関係は曖昧なままで、自分自身の求めるものをただ追い求めていくだけで、私は置いていかれたような気持ちだった。

子供、それは男女の間に結ばれた愛の証。例え一瞬であったとしても愛し合ったはずの二人の間にあったもの。私はそう思う。
それを否定するような、それを嘘にしてしまうようなことは、子供の存在を否定されたようなもので、感じる必要のない苦痛を子供は背負うことになる。
子供に「生まれてこなきゃ良かった」と思わせることは絶対にあってはならない。それだけは親として子供に思わせてはいけないことだ。

最後に。
私は前にも述べたように、両親のことを憎んではいない。もちろん、許した訳でもない。ただ健やかに、穏やかに、後悔は拳ひとつくらいに収めて一生を終えて欲しいと思っている。
いつか、年を重ねて腹を割って話せるようになって、心からの謝罪の言葉を聞けた時、その時は私も心から許そうと思う。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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