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友人と呼ぶか、知人と呼ぶか...それが問題

「友だち・友人」と呼ぶ人の範囲が、日本人とイタリア人では異なる件に関して

これは、同じ国民でも、人によって差はあるとは思われるが、一般的に日本人は遠慮がちなので、関係性を定めることにも、たった数回会ったぐらいで、もしくは、けっこう年上だったり、年の差があったりで、「友だち」と呼ぶのはおこがましいのではないかな、失礼ではないかな、気が引ける等と考え、他の人との会話の中でその人を話題に出すとしたら、とりあえず「知り合い・知人」と言う人も多いのではないだろうか。

イタリア人の場合、反対に、本当は「知り合い・知人」ぐらいの人だけれど、他の人との話題に引き合いで出す場合には、「友だち・友人」と呼ぶケースが多いと思われる。

このことを、以前に州で開講されていた資格受験のためのイタリア語講座のクラスで話したことがあったが、そのクラスは定員12人中わたし以外の11人は南米の各国出身者だった。
すると、ラテン系の南米人の人たちにとっても、実際の関係に関わらず、誰かについて「知り合い・知人」と呼ぶ方がその人に悪い気がしたりして、よくないと言うのだ。

なるほど、人間関係の距離の取り方の違いがこういった面にも表れていると思った。

いくつか「友だち・友人」と言われたけれど……の例をあげてみる。

1)「友だちどうしのふたり」と聞いていたイタリア人女子ふたりに、いつからの付き合いなのか尋ねたら、「1週間前」と応えた。

2)「あなた、日本人なの?友人が日本に興味があるのだけれど、よかったら連絡先を教えてくれない?彼女に伝えてあげたいの」と言われて、連絡先を教えるにあたり「その人のお名前は?」と尋ねると、「あ……名前は……覚えていないの。彼の友人の彼女で……」と言われたことがあった。
(連絡先は伝えたが、その「友人」からの連絡はなかった)

3)友人からSMSで、「ある友人がこの夏日本に旅行で行くと言うから、日本人の親友がいるんだと言ったんだ。そうしたら、彼女の方から『日本旅行に関してどこを見たらよいかなどのアドバイスについて尋ねてもいい?』と聞かれたけど、OKだったら、キミの連絡先を伝えてもいい?」という内容のメッセージが来た。
そこで、「ちょうど他の人にも日本旅行の件で手助けしているところだから、そのお友だちにもアドバイスはできると思うよ。その彼女は、ジェノヴァの人?"友だち"?それとも "クライアント"?」と返答したところ、わたしの連絡先は相手に伝えるとのことだったが、質問への返答はなかった。
その「お友だち」から、待てど暮らせど連絡はなかったので、実際に友人と会った際に、どういう「お友だち」なのか尋ねたら、「春にエジプトに旅行で行ったんだけど、そのフライトで会った人で……」とのこと。そのフライトで会った後、どのぐらいコンタクトを取っているのかまで、詳細は聞いてはいないのだが。
※お互いに「友だち・友人」と認識しているだろうという場合、対他の人との話題の中では、「親友」にアップグレードしていることもよくある。

4)「キミの友だちは、%○#*&+@◻️」と言われた時に、「わたしの友だち」って誰のこと?と思っていたら、前日に会ったばかりの日本人女性のことをさしていた。(その日本人女性の方とは、その1-2回だけしか会っておらず、コンタクトもないのだが)

このように、すぐに「友だち・友人」と呼ぶイタリア人ではあるが、それは、実際に「友だち・友人」と思って言っている場合と、便宜上「友だち・友人」と言っている場合があるのだ。

この話題が、たまたま参加していた英語のクラス(わたし以外は全員イタリア人で、30人前後はいたか)であがったが、必ずしも「クラスメイト=友人」ではないと、多数の人が口にした。もちろん、クラスメイトとして出会って、追って親しくなって友人になる人もいるとは思うが。この認識は、日本人のそれと似ているかと思われる。

また、こちらも偶然見つけたのだが、他州の外国人のためのイタリア語学校のサイトの説明に、「イタリア人はすぐに"友だち"と言いがちですが、本当に"友だち"と思っているかは別のことです」とはっきりと記されていたのには驚いた。ただ、そういうことをサイトに載せてしまう点には笑えた。

この「友だち・友人」と呼ぶか、「知り合い・知人」と呼ぶか問題について、実は、イタリア語で話している時や、イタリア人に対して話している時には、わたし自身も、便宜上「友だち・友人」と説明する場合もあることに気が付く。
わたしにとっての「友だち・友人」のラインを厳密に考えると、「友だち・友人」ではないものの、そこまで細かく説明する必要がない、説明したくない場合は、とりあえず便宜上「友だち・友人」と言うものなのだ。
一方、対日本人には、会話・文章内では、その線引きは変わって来ると思われ、より正確に言っていることが多いと思う。

どちらにしても、その文化や社会において、相手や聞き手がどう感じるかという点を考慮しての呼び方選択なのだろう。

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