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ナウシカになる (月曜日の図書館186)

わたしの席の直下にあるエアコンにカビが生えているらしい。庶務係に訴えたが、お金がないので掃除できないと言われた。市民サービスに直結しない事柄には、たとえ健康がかかっていてもお金が動かない。

そもそもわたしは、何年も同じ場所で過ごしていたのに異変に全然気づかなかった。告発してくれたW辺さんによると、この係に異動してきたときからにおいでわかったらしい。

カウンターに出ていてもわかりますよ。

K氏もここに異動してきてから体調がよくないと言う。わたしの肺の中にたまる胞子を想像する。ゆっくり少しずつ、確実にむしばんでゆくカビの胞子。しかし今のところ体調に異変はない。

あたらしい進化を遂げて、毒への耐性を獲得したんだよ、とK氏が言う。図書館のナウシカになったんだ。

腐海の森で働いているとは思わなかった。

ここのところおじいさんの利用者によくからまれる。話が長く、何度もループし、一度は納得しても振り返ったら忘れている。思い通りにならないと最初からエンジン全開で激怒する。

どこまでの対応が司書の職域だろうか。カビには強くなっても、おじいさんには一向に慣れる気がしない。

物理的にできることは傾聴、スピリチュアル的にできることはお祓い、そして図書館的にはやはり本を参考にしようと思い、『ぼけと利他』を読むことにした。大好きな伊藤亜紗さんと村瀬孝生さんの往復書簡集だ。

なかなかデイサービスに行こうとしないおばあさんのエピソードがあった。日課であるデパ地下めぐりに職員もついていく(指図したり距離を詰めすぎたりしない)ことにしたら、しばらく経つうちにお互いの存在に「なれ」ていき、その後おばあさんは施設にも通ってくるようになったという。

この場合の「なれ」は「慣れ」というより「熟れ」ではないか、と書いてあった。信頼関係が生まれたというわかりやすい変化ではなく、いっしょに過ごすうちに、互いの存在に気兼ねしなくなり、発酵食品のように「時がかもす旨味」が出てきたのではないか。

一度で話が通じてほしい。ささいなことでキレないでほしい。こうしたら上手くいくという接客の決め手が知りたい。日常の窓口対応でわたしたちが望むことは、あらかじめあるべき方向の決まった「ポジティブな」変化だ。

対して「熟れ」はどんなふうに変化するか予想がつかない。発酵だと思ったら腐っているのかもしれないし、旨味だと期待したらカビかもしれない。

その偶発性を、著者のお二人がとても面白いものとして捉えているのが、文章から伝わってくる。

必要なのは慈悲の心や福祉の精神ではなくて、今目の前で起きていることを興味深く観察する力だろうか。こう言ったら相手はどうするか。それに対して自分はどう返すのか。言葉ではなく仕草に対してはどうか。

そこに漂う空気は、どんな色をまとうのだろう。

しばらくはこの本の持つ楽しい雰囲気を栄養にがんばれそうだ。同時進行で、念のためお祓いにも行った方がいいかもしれない。友だちに教えてもらった、小さいけれど運が開けすぎる神社に近々行ってこようか。

そしてなるべく早くエアコンの清掃費用を捻出してもらえますように。ナウシカだって、毒に「慣れ」たわけじゃなく、自分なりの方法で浄化していたのだから。


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