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月曜日の図書館 頓珍漢

100円ショップで売っている、小さい傘が好きだ。コストを抑えた結果あのサイズになったのだろうが、図らずも他の高いビニール傘より、軽く、扱いやすく、そしてかわいい。幼稚園児用の黄色い傘に憧れを持つわたしのような大人には、まさに夢のアイテムである。

ただ、ビニール傘は盗まれやすいという難点がある。事務用玄関の傘立てに置いておくと、まずは安くて個性のない傘からなくなる。ならばと持ち手の部分にテープを巻いたりヘアゴムをつけたりしてみても、見分けがつきやすくなるだけで効果はあまりない。お気に入りの高い傘を盗られた人もいたので、絶対的な解決策はないのかもしれない。

誰が盗んでいるのか、現場を目撃した人はいない。

前に傘が盗られた!と思ったときは、館長が来客を駐車場まで送るのに使っていたのだった。このやろうと思った。

おじいさんが会社年鑑に××という会社は載っているか、と電話してくる。ない、と答えるとそのときは納得するのだが、数時間後にまた電話してきて同じ質問をする。これを5セット。あげく来館して、載っていると聞いたから来たのに何でないんだ!と怒る。

確か数年前にも同じやりとりがあったのを覚えている。おじいさんの人生の雄大なリズムの中に、数年に一度の割合で「図書館に行って××会社が載ってないことを確認する」というタスクが盛りこまれているのだ。

雨はやまない。傘の持ち手に目印をつけることを最初に思いついたのは、実はわたしだ。

コピーをとりたいお客さんに、終わったら申込書を回収箱に入れてくださいと伝えると、本までいっしょに入れようとする人が一定数いる。回収箱は、文学全集の入っていた箱を改造して作ったものだから、せいぜいA5サイズほどしかない。

となりに置いている電動の鉛筆削り機に入れようと(?)する強者もいる。申込書を機器の側面にかつかつ当てて「あれ?これ?入らない??」と混乱している。ハリーたちが駅の壁をすりぬけて9と4分の3番線に行くのと同じ原理が通用すると思っているのか。

常識という概念は、人それぞれみんな違う。

幼稚園のとき、わたしの傘は黄色ではなかった。ミッキーの絵が描かれたゴキゲンな傘で、その他の黄色い民とは一線を画していたのが幼児心にも誇らしかった。

しかしあるとき、帰ろうとして傘がないことに気づく。迎えに来た母も困っている。びっくりして辺りをきょろきょろして、わたしは見たのだ、すぐ近くでミッキーの傘を差している女の子を。

とっさに、これわたしのかさ、と言ったが、女の子のお母さんは、いやこれはうちのよ、とわたしを軽くあしらい、さっさとその場を立ち去ってしまった。顔も知らない、クラスも違う女の子だった。

わたしの両親は今でもこのミッキー傘事件を根深く覚えていて、ことあるごとにあの土地に住んでいるのはろくなやつらじゃなかった、と怒りをぶり返す。

正直なことを言うと、本当にあれがわたしの傘だったかどうか、自信がない。偶然同じ絵柄の傘を持っていた可能性だって十分ある。

それ以来、あのネズミのキャラクターが、少し苦手だ。

だから傘なんて、100円のビニール傘や、その他大勢が使う黄色い傘くらいがちょうどいいのだ。盗まれても少しは腹が立つが、末代までの恨みにはならない。

最近、わたしのビニール傘を盗んだ人が楽しい気分になるように、絵を描いてみた(雨粒を弾丸に見立て、撃たれて血まみれになっている人間の絵)のだが、残念なことに、まだ盗む人はいない。

vol.91


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