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承認欲求のおばけ (月曜日の図書館212)

これまでの図書館の歩みをまとめた記念誌を作ることになって、編集方針に則って誠実に行われるものだと思っていたのに、いざ全体のページを見渡してみると、当初の想定と違うところがある。

力の強い係の紹介ページが、明らかに多くなっている。

中央館の中に係が複数あるし、市内の分館もたくさんあるから、全部をまんべんなく取り上げ、かつ内輪でない人が見ても楽しめる内容になるよう心を砕いてきたのに、これではどう考えても偏っている。

抗議の声は一応上げたが、編集会議のリーダーがすでに承諾してしまっているし、原稿の取りまとめを担当する人も「一刻も早く脱稿して楽になりたい」モードになっているので、大きな変更は加えられないことになった。

建前上はどの係も、どの人も平等なはずだが、現実には力の差というのが存在する。物理的に声が大きかったり、強く主張できたり、やることが大胆だったりすると、その人の意見が通りやすい。強い人の理論で物事が進むと、奥ゆかしい人々は萎縮して従うしかないのである。

特定の個人や係の意向で物事が決まる。民主主義の根幹を揺るがすゆゆしき事態が、あろうことか図書館で起こっていいのだろうか。

それだけでは飽き足らず、わたしの担当するページでももっと大きく載せてほしいと言われたので開いた口がふさがらない。うっすら気味も悪い。もちろん断る。

すきあらば自分の業績で埋め尽くさないと気が済まないなんて、これはもう妖怪のたぐいではないか。取り憑かれているのではないか。N本さんに話して聞かせたら「爪痕を残したいんだ」と言う。

自分の生きがいをひとつの仕事だけに求めると、こういう困ったことになるのかもしれない。狭い世界の中で認められることがすべてになってしまう。自分の存在の核に関わるのだから、本人も必死かもしれないが、それに巻き込まれる周りも無傷ではいられない。

精神科医の中井久夫さんがギリシア語の詩を訳して出版したように、(こんなに大きなことじゃなくても)たまには本業とは違うものに「気をそらす」ことができるといい。それは別の仕事でもいいし、趣味でもいい。いくつあってもいい。逃げ道は多い方がいいと思う。

それこそ図書館に勤めているのだから、もっと本を読めばいいのに。おもしろい本を読み終わった後、改めて記念誌の原稿を読み直してみたら、いかに内輪ウケを狙って残念な内容になっているかがわかるだろう。

本というのは自分ひとりだけじゃなくて、登場人物ひとりひとりが輝かないと、おもしろくならない。

チームで働くというのは良いこともたくさんあるが、こんなふうに嫌な方向に輪を乱す人がいたり、それをぐっとこらえて従う人を見たりすると、どんどん働く意欲が下がってくる。

お互いの苦手なことを得意な人がカバーし合い、トータルで見たらいい感じに保たれているし少し上向いてもいる、というのがチームで働く醍醐味ではなかったか。

ただし本当に取り憑かれている可能性もある。今度塩でもまいてみようか。背中にお札を貼ったらいいのだろうか。編集会議でわたしが断ったことを話したら、大きくしてほしいなら、他の内容の背後に透かしで載せたらいいのではないか、と他のメンバーから意見が出た。潜在的に脳みそに訴える、ある意味とても効果のある方法だ。

今度また何か横槍を入れられたら、この方法を提案してみよう。もしくは「お前が取り憑いていることはわかってるぞ。姿を現せ!」と言いながら塩をまいてみよう。

と、目下水木しげるに夢中なわたしは思った。

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