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否定されたくない自分の一部がある、という証拠

読めました。読めましたよ。やったー。

難解な古典でも、長大な叙事詩でもない、たった一冊の、しかし筆者の渾身が詰まった作品が、ようやく読み終わりました。・・感想の前に、僕が苦戦した経緯を紹介させてください。

読み始めてすぐ、ページが繰れなくなってしまったときのことを書きました。

ようやく読み出したけど、何となく筆者が自分に似ているような気がして、怖くなってしまって読めなくなったときのこと、がこの記事。

どちらの記事にも、作品名は書いていません。

読み終えていないのに、特定の作品について言及することは、ルール違反だと思っていたからです。

いいかげん、読むのをやめたらいいのに、そうはいかないのです。

あのカフェが紹介されていると聞いて、この作品を買ったとき、常に意識していたのは、タイトルの意味を知ること、そして、読み通すことでした。

いったい、筆者は何が言いたいのか?

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世界は贈与でできているー資本主義の「すきま」を埋める倫理学
近内悠太

僕は、本には2種類あって、読み終わって終わりの本と、読み終わって始まる本があると思うのです。

今回の作品は、間違いなく後者です。

僕は、特に哲学を扱った作品の多くで、新しい知識や視点がもたらされ、今までの自分を省みて恥じるような経験をしてきました。

読み終えたとき、別の作品で見かけた「あなたは知ってしまった、もう知る前には戻れない」という、読み手あての途轍もない不安と期待を込めた言葉が浮かびました。

この作品は、贈与がなんであるか、それを巡る社会の働き、個人での葛藤などを丁寧に考察したのち、タイトルである「贈与が世界を作っている根拠」が鮮やかに展開されます。

特に、贈与を信じたい筆者の論はとても誠実で、社会の変化や歴史には依存しない(作中に言及はあるけれども)、いわば普遍的とも言える視点からの、人類への温かな希望だと見受けられました。

実は、この要約が書けるまで、何度か読み直しました。

特に前半は、かなり強引な印象で何となく知識の披露という感じがして、やや気後れしていました。

哲学の本を読むときなど、自分の考えも編み込んでいくと、ひとつ、つまずきが起こると、前に進めなくなることがあります。

新しい概念を提示されたとき、それが恣意的であると感じた瞬間に、僕には「だまされないぞ」と足を引っ張る悪魔が現れます。

今回もまた、その悪魔が現れたのですが、とてもしつこかった。

それは、筆者の列挙する事例が、あまりにも自分に近く、親近感を持ったからです。悪魔をどうにか懐柔しようと試みながら読んだことが、結果として自分の考えやこれまでの言動を思い出させ、読み進めることへの不安を煽ったように思うのです。

読むことで、元気になりたい、励まされたい、新しい知識を得たい、そんな気持ちで開くページに、斬新さのようなものを無意識的に求めているのかも知れません。

でも、恣意的だと、にわかには信じられない。このやり取りが、読むスピードという形で表れたとき、僕は読むのに疲れてしまって、かなりの時間、読むのを休みました。・・手許にはあるのに。


映画「ペイ・フォワード」、

サンタクロース、

平井堅、

そして、クルミドコーヒー。

作中に登場するこれらの具体例が、僕にはとても身近だったこと、あるいは否定されたくないと思うほどに、紛れもなく「自分の一部」であると自覚していたのです。

読めば読むほど、その「否定されたくない」気持ちは大きくなりました。

しかし、後半に進むと、その思いこそが筆者の語る”贈与”を理解するための足掛かりだったことに気付かされるのです。

身近な具体例について、ただ単に「好きだから」という理由だけで好んでいたのだと思っていたのですが、実は違うのかも知れない・・と自分を疑いました。

身近だと感じ、自分の一部だと自覚しているそれらが、贈与に関わるとは、どういうことなのでしょうか。僕はタイトルの贈与という言葉を見たとき、”贈る”と”与える”というアウトプット的な動きがイメージされていました。

しかし、それだけでは不十分であることは分かっています。常に送り手であることが贈与にはあるようにも思えたのです。さらに、差し出すものが用意できない人はどうすればいいのでしょうか。そのことは、発想自体が間違っているという筆者の説得に出会い、僕はとても救われました

身近すぎて否定を恐れた「自分の一部」こそが、贈与を受け取ったという証拠でした。苦しいとき、辛い時に支えてくれた歌、幸せな時間を過ごした場所、過去と未来で役割が変わる存在、それらはすべて贈与によるものだったのです。

それに気がついたとき、自分の周囲や、自分が住んでいる社会、あるいは世界が、贈与という営みによって守られているような感覚になりました。自分を守ってもらうだけでなく、自分も意図したりしなかったりしながら、世界を守っているのかも知れないのです。

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贈与という営みを、とても鮮明に感じられるのは、サンタクロースという架空の人物です。この作品の要とも言うべき、贈与を象徴化した存在として描かれるサンタクロースについて、僕が読みながら考えていたことを紹介させてください。

僕は下に兄弟が二人いたこともあって、比較的年齢が上がるまでサンタクロースの正体に気づいていないフリをしていました。それは、親から頼まれたわけでもなく、サンタクロースの正体について確信が持てなかったこともあります。そのくらい、親は慎重だったのです。いま思えば、とてもありがたい配慮です。

そんな僕が大人になって、結婚して子どもが生まれて、サンタクロースとしての役割が与えられたとき、僕が幼かった時の親の気持ちが「ようやくわかった」ような気がしました。

事前にほしいおもちゃを聞いたり手紙を書いたり、サンタの神秘性を壊さないように、細心の注意を払って。こっそりおもちゃを買い、家のどこかに隠す。

それは緊張感もあるけれど、喜んでくれたらいいなぁという期待に満ちた幸せな期間です。

すこし視点が変わりますが、社会的にあるいは経済的に、サンタクロースが訪れない家庭もあることでしょう。

この作品には、そういった意味での配慮が無いように感じました。枝葉が多いと、実際の幹が見えにくくなるために、そういう視点をあえて加えていないのであろうと思いつつ、贈与の宛先やひとつの例として、なぜ言及しないのか、僕にはそれがとても苦しく感じられたのです。

それは、やさしさのような気持ちからではなく、僕が知っている社会は、作品で描かれているほどいい社会ではなかったからなのです。

しかし、作品を読み終えたいま、ひとくくりにできるほどに単純ではない社会こそ、数限りない贈与が存在し得ることを信じてみたいと思っています。いい社会という価値観がひとりひとり違うことで、贈与の形が変化することが求められているとも感じます。

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筆者には大変失礼なことですが、僕は”簡単に読めるっしょ”と、たかをくくって読み始めました。それが9月・・10月・・いつの間にか11月に入り、気がつけば3連休が迫っていて・・。

主催である岸田奈美さんの企みを知って以降、まずはご本人の著書も読みました。(カバーもペロンしました。笑)

その作品でも感想文を書いてみたいと思ったのに、気になっていたこの作品を読まずに秋を迎えられない!と思い至って買ってみたら、鏡を見ているような不思議な読書体験に、言葉も方向感覚も失ってしまい失速

それでも、少しづつ読むことを続けていたら、いつの間にか筆者の友達になれたかのような近さで、終盤はまるで並走しているような感じがしました。

この企画が無ければ、この作品と出会えなかったと思います。不思議な縁に、感謝したいと思います。ありがとうございました!

筆者のあとがきもまた、とても心に残っています。僕も、同じ思いを抱きながら、こうして毎日noteに向き合っていると共感を覚えるのです。

会った人のこと、心に残るエピソード、愛する家族のこと。noteで書いている殆どのことは、僕自身から生まれたものではないのです。それらをこうして書き残しておくことが、誰かに読んでもらうことが、僕に出来ることだと考えています。

自分は、贈与で、できていた。

作品を読み終えて考えていたことは、世界そのものが自分であるという気づきです。

つまり僕は、自分の知らないことは、自分の世界観には登場してこないと信じているのです。知らないのだから仕方ありません。いくら考えても、知らないものは検討すらできないはずです。

世界が贈与でできていると知ったいま、自分もまた連綿と続いている贈与の営みの1つの主体であり客体であることがわかりました。そしてそれは、人生の大きな意義でもあるように思えました。

言い換えれば、
自分次第で、世界が変わる。

こんなに希望のある未来が待っているなんて、楽しみすぎるじゃないですか!

まさかこんな結論になるとは。しかも読んでいるときよりも、こうして感想を書いているときに、それに気がつくことは予想していませんでした。

普段よりも長い時間をかけて読み、また同じくらい時間をかけて書いてきたことで、ここまで考えられたのかと思うと、この企画の凄みを感じています。

作中にも登場した、大好きなカフェ、クルミドコーヒーで、この作品を読み返したいと思います。もし、誰かとこの作品のことを語れたら、noteでも書きたいです。

こんなに長くなるとは・・お付き合いいただき、ありがとうございました。最後に、ひとことだけ。ふだん使わない言葉だけれど。

”人生がつまらない”と感じている人は、

マジで、読んでほしい。

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