教え、育む
言わずもがなのタイトル、今回の物語は教育のありようを書いた作品。でも、学校ではなくて、塾。かなりの人に読まれている作品だと思うので、あまり前置きはいらないと思います。
毎週木曜日は、読んだ本のことを書いています。
みかづき
森 絵都
長かった。
学習塾から教育支援という、学校とは別の教育史を読んでいるような、ひとりの女性の伝記を読んでいるようでもありました。
日本の教育については、細かいことがあれやこれやと指摘されますが、識字率の高さや給食制度との組み合わせなど、当たり前のような存在になっていることは評価すべきことだと思います。
教育という果てしない世界に人生を賭けることの潔さというか、美しさは存分に伝わって来ました。時代を書き分ける筆致には、読み終えてからその存在の大きさに痛感するような、目立たない力強さを感じました。
僕は、塾に通ったことがないので、そもそも表側を知らないと言うこともありますが、舞台裏というか、人生を賭けている仕事のやり方を垣間見ることができました。
この物語は一人の主人公だけではない“長さ”がとても魅力的でした。
たった一人のサクセスストーリーではなくて、時代と社会の変化と、そして塾という場所での教育のあり方を、とても肯定的に描いている作品でした。ともすれば、教育というテーマは批判的になりやすいものですが、与える側も人間なのです。
人間らしい苦悩や成長をじっくりと味わうことで、今の社会における塾の立場がさもありなんと言う印象でした。
別の作品に書かれていたことですが、日本語における2文字の熟語の特徴として、一般的には「一つ一つの漢字だけでは表せない意味を表現するために組み合わせる」と考えられています。
さらにその作品には、漢字の弱点として「わかったような気がする」という批判がありました。確かに「教育」と言う熟語も、定義づけだとか、価値観だとか、いつになっても結論が出ない議論が続けられているような気がします。
塾に通っていたことがある人から言わせると、塾には塾なりの価値観があって、やはり目的が学校とはかなり異なってくるわけです。
学校へ行くための塾というか、小学校低学年の頃は、補習的な意味合いが強いものでしたが、高学年になると受験、中学生になると受験、高校生になると受験、というイメージでした。
そんな僕も、塾講師としてアルバイトをしたことがありました。人に教えることの難しさと楽しさ、色々あって一年くらいでしたが、良い経験になりました。
だから、学校も塾も、先生って呼ばれている人ってスゲーと思ったのです。真似できません。
教育が権利であるとか義務であるとか、いやいやその熟語の意味はそんなもんじゃないとか、一筋縄では行かないテーマに、人間味という視点が加わってくると意外と批判的にはならないものだ、と読みながら心地よくなりました。
主人公たちと共に長い旅を終えた時、これまでお世話になった先生方に、改めて感謝を伝えたくなる、温かな作品でした。
この芽は、一体どんな木になって、どんな花が咲くのでしょうか・・この木なんの木みたい・・。爽やかな緑が、とても印象的なサムネイルですね。infocusさんいつもありがとうございます。短いタイトルの縦書きもいいですね。
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