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言い訳

言い訳をしようか。

私は、私を高める為にしか生きていない。

以前、私の尊敬するある方が、自己を高めたいならば、まずそういった相手を探すべきだ、というようなことを書かれていた。

これは、まさにそうで、私は、

「今より更なる高みへ」

「未だ見ぬ、自分という可能性」

これを、【知りたい】という、人間が持つ原始的かつ本能的なもっとも純粋な【叡智】の為に生きている。

しかし、その為には、常に、

相手もしくは他者、もしくは社会、そして世界という「対象物」が必要になる。

「対象物」が必要なのは、「切磋琢磨」するためである。

例えば、もう死に際のご老人と、どこのスーパーのトイレットペーパーが格安か?という話をしたとしよう。

死に際の老人は、そんなことどうでもいいから、安らかな気持ちになる美しい歌をうたっておくれ、と言うであろう。言えないぐらいの末期であれば、どうでもいいわ、お前まじでどっか行けと心の中では思っているであろう。はたまた昔はトイレットペーパーなぞ無かったとか言い出すかもしれない。

しかし、己を高めたい人間というものは、そのご老人の気持ちを察知できるかどうか?が問題で、これが察知できない場合、その死に際のご老人が死ぬまで、その耳元で囁き続ける。
「答えてくれ!答えてくれ!あっちの店がいいのか?こっちの店がお得なのか!?ポイントはいつ2倍デーなのか!?お一人様、1つ限りなのか!?おいっ!聞いているのか!?答えてくれ!毎日、見舞いに来てやったじゃないか!毎日毎日、トイレットペーパーで折った千羽鶴を作ってきたではないかっ!?このヤロー、恩を仇で返す気だな!?呆れたヤローだ!!見損なったぞ!早くくたばれ!いや、くたばる前に答えてくれ!どこの店が一番トイレットペーパーが格安なんだ!?」などなどである。

もちろん、これは、あまりにも極端な比喩なのだけれど、これとまっっったく、同様なケースが多発しているのがこの地球である。

そして、それを引き起こせるのが【人間】という生命体である。

ですので、まず相手を間違えてはいけない。

相手は、己から探しに行くものではない。

かならず【引き合う】これは、絶対のルールとして、地球では発動している。これを忘れてはいけない。

そして、さらに忘れてはならないのは、この引き合ったこの瞬間は、

【切磋琢磨】する相手であるから出逢った、その時、お互いはまったく同じ力量である、上も下もない。お互いに価値観は違えど、崇めてはいけない。蔑んでもいけない。自己卑下してもいけない。

ということをお互いに理解しあわなければならない。

でも、疲れるんだねえ。

削られているのだから。

そして、あまりにも削られると、水の形態変化のように、氷から水へそして、蒸気へと変わる。

固体、流体、気体へ。その気体になったとき、もはやこれ以上は無理である、よって、固体へ戻るために、冷却を開始する。という具合になるのである。

気体を固体へ形態変化させる際、その行程は【時間】がかかる。ここは地球なので。ご理解頂けるだろうか?

ですので、自分がいま固体なのか流体なのか、気体なのかを判断する必要がある。そして、相手も同様に、相手がいま、固体か流体か気体か見極める必要性がある。

それは、いつも自分と相手が、かならずしも同じ形態であるとは、限らないからである。
自分が固体なのに、相手が流体であれば「差」を感じるであろう。

本当に相手を思いやる精神が長けた者同士は、この「差」にすら敏感に反応し、一時的に、距離を置く等の配慮すら可能である。

そうやって「絆」というものを深めていくこともまた可能である。

かつて、バシャールも同様の事を言っていたのを目にした。それは、水蒸気が氷に戻るとき、その氷は以前の氷のように見えるが、内包された成分はまた違ったものに変化している…みたいなことだったけど、詳しくは忘れた。笑。

おそらく、精神レベル向上や獲得した技術、智識等の経験値アップ、ワンナッップ!的なことだろう。

まぁ長々「言い訳」について書いてきたが、これは本当に個人的な、この私の生き方やありかた、であるので、他人様がどうとかは、実際、知らん。笑

しかしながら、こういった「言い訳」に共感できる者たちは、少なからず出逢うべくして、出逢っている。これを、縁とも言ったりする。

そして我々は、この繰り返しをしながら、気がついた時には、かつての死に際のご老人になっているのであろう。

そして、病室に乱入してきたものに言うのだ。

おおお、安らかな気持ちになりたひ…

お前、まじで、どっか行け。と…

#人間 #言い訳 #生きる #地球 #人類 #精神 #エッセイ #主婦 #日記

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