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表現の練習

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目の前にあるものを目の前にひねり出す練習です。
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ヒールを脱いで、つま先立ちで

ヒールを脱いで、つま先立ちで

格好いい大人になりたくなったのは、30歳を越えてからだった。
20代の私なら、30歳を過ぎる頃にはある程度格好よくなっておくべきでは、と言うだろう。あの頃の私にとって、「格好いい大人」というものはある意味で当たり前だった。大人たるもの格好よくあるべきで、そうなれなかった格好悪い大人に時折遭遇するのだと、漠然としたイメージの上にそう思っていた。

けれどもあの頃、「格好いい大人」がどんな大人なのか、

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凍む言葉

凍む言葉

吹き荒ぶ細かい雪みたいに、彼女の言葉は僕の目の前を真っ白に覆い尽くした。ひとつひとつは細かくて弱々しくてすぐに溶けてしまうのに、その数たるや凄まじく、見る間に僕からいくつかの感覚を奪ってしまった。

ちょっと待って、僕にも何か言わせて、感じさせて。君の言葉はまるでブリザードみたいに裸の僕を弱らせていく。
大体どうして僕は裸なんだ。君の前では服を着ることすら許されないのか。
着ていた服はどこへいった

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ハッピーバレンタイン・デイ

ハッピーバレンタイン・デイ

私にはチョコレートの美味しさがわからない。
そもそも甘いものをあまり好まないというのもあってだろうが、とりわけチョコレートは味の違いがわからないのだ。
とにかく全部甘い。口の中にめちゃくちゃ残る。甘い。

チョコレートの中ではビターチョコレートが美味しいと思うけれどそれは単に甘くないからであって、ホワイトチョコレートも比較的好きだけれどそれも単にミルクっぽい味が好きだからであって、チョコレートの魅

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約束

約束

約束というものは、時に美しく、時に呪いのようになる。
少し前までの私はそれをとても美しいものだと思い込んでいて、ひとつ結ぶごとにまるで小さな宝物を手に入れたような気になっていた。
ポケットの中にお気に入りの小石を入れたような感覚。
これさえあれば、いつでもその形を確かめられる。

そう、約束というものは、もやもやと曖昧で煮え切らないモノを掴まえて形にしてくれる。
そして私は安心を覚える。
「これが

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いつもきれいなお姉さん

いつもきれいなお姉さん

私は自分にラベルを付けるのが好きなのよ。と、彼女はその滑らかな手にハンドクリームを塗りながら、半ば独り言のように教えてくれた。
僕の意識は彼女の爪先にあしらわれたラインストーンに釘づけで、正直前後の文脈をあまり聞いていなかったから、そうなんだ?と間の抜けた返事をする。

あなたが私に付けたラベルもなかなか気に入ってるわよ。
わざとはっきりした口調で言って、僕の意識をきらきらの石から彼女自身に引き寄

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『君たちはどう生きるか』を観て、素直に書いた感想文

『君たちはどう生きるか』を観て、素直に書いた感想文

話題のジブリ映画、『君たちはどう生きるか』を観てきた。言わずと知れた宮崎駿作品である。この映画のプロモーションの特異さについては皆さまご存知だと思うので、特にネタバレには気を配りたい。

以下、めちゃくちゃネタバレを含みます。あくまでも個人的な感想であり、考察どころかあらすじの紹介などもないものの、ネタバレはしまくっています。各自お気をつけください。

というか、観ていない人は他人の感想を読む前に

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