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ハッピーバレンタイン・デイ

私にはチョコレートの美味しさがわからない。
そもそも甘いものをあまり好まないというのもあってだろうが、とりわけチョコレートは味の違いがわからないのだ。
とにかく全部甘い。口の中にめちゃくちゃ残る。甘い。

チョコレートの中ではビターチョコレートが美味しいと思うけれどそれは単に甘くないからであって、ホワイトチョコレートも比較的好きだけれどそれも単にミルクっぽい味が好きだからであって、チョコレートの魅力たる魅力を理解してのことではない。
いわゆる普通のチョコレート界での味の良し悪しがまったくと言っていいほど判別できない。
私のチョコレートに対する感想なんて、「甘い」「あんまり甘くない」の2種類しかない。

こんな私だが、バレンタインのチョコレート選びには毎年心をときめかせている。
各百貨店の売り場を1時間程ずつかけながら徘徊し、試食を勧められれば嬉々として受け取り(せっかく試食をしたって「甘い」「あんまり甘くない」しか言わないくせに)、じっくりねっとり考えてから、決める。

だって、百貨店に並ぶチョコレートってすごいんだよ。
いろんな形や色や素材があるし、とにかくどの子も全部「ウチの自慢の子」なんだよ。
見ているだけですごくすごく面白いんだよ。
どう?私、素敵でしょ?って、ひとつひとつがショーケースの中で自分をアピールしていて、実際にとても魅力的に見えるんだよ。

何より、売り場にいる女の子たちがみなとても楽しそうだ。
想いは種々あろうが、大体は相手の笑顔を引き出すことを目的に、ある程度は自分を演出する道具として、価格帯やブランドバリュー、インパクト等々の条件を頭の中でこねくり回してショーケースを眺めているのだろう。
何だそれ、すごく可愛いじゃないか。
あの人の笑顔が欲しいというただそれだけで、数千円を手に最高のチョコレートを探し回っている彼女達は、他人の、しかも同性の私の目にもすごくすごく可愛く映る。
余談だが、私以外の誰かにプレゼントを選ぶ彼の人の姿があまりに可愛くて、大層嫉妬したこともある。
バレンタインのチョコレートに限らず、誰かのことを考えながら何かを選ぶ姿はそのくらい魅力的なのだ。
私にとっての“チョコレートの美味しさ”は、実際の味よりもそういうところに凝縮されている。

かく言う私もそういう想いで特設会場を徘徊しているのだから、きっとあの場にいる私は、彼女たちと同じように健気で可愛く、キラキラしているに違いない。
そう考えると、チョコレートそのものよりもむしろそれを選んでいる時の私こそを見てほしい。
例え眉間に皺を寄せて無言でショーケースを眺め最短のルートで会場をまわるその姿が無骨な職人のようであったとしても、その瞬間が最高に可愛いはずなのだから。

最高に可愛い私が選んだ最高に素敵なチョコレートは、もう2日後には私の手を離れて相手の手に渡る。
その瞬間の私はどうせ何でもないように「ほら今年のチョコレートだよ」と素っ気なく渡すのだろうし、相手から見たっていつもどおりの私だし、ちっとも可愛くないと思うのだけれど、それでも私はバレンタインデーに美味しいチョコレートを選び続ける。きっと来年も、その次も、相手が傍に居続けてくれるかぎりはその先もずっと。
今はただ、相手がこの自己満足に末長く付き合ってくれることを祈るばかりだ。

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