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愁いの箱庭



 当たり前の日々を過ごすことが如何に贅沢な時間だったかは、失って初めて気付く――。
 
 私はきっと、本来であれば今日も明日も、然したる疑問もなく日々を過ごしていただろう。当たり前のように通学路を歩き、当たり前のように授業を受け、当たり前のように友人達と談笑する。そんな可もなければ不可もない毎日を積み重ね、ゆくゆくは進学とか、就職とか、結婚(出来ればだけど)とか、兎に角そういう当たり前の人生を送っていた筈だった。
 なのに、どういう訳か、今私は見知らぬ部屋で、見知らぬ男に軟禁されている。
 
 男は、細く髪が長い。歳は私より幾つか上だろうか。誘拐(?)の目的は分からないけど、取り敢えず武器の類は持っていない。体格に恵まれた人間には見えないが、それでも私じゃ敵わないだろう。それに、いつの間にか付けられていた手枷のせいで身体の自由も利かない。今抵抗するのは辞めた方が良さそうだ。とはいえ、こんな状態でいつまでも待っていられない。取り敢えず声を掛けてみよう。話が通じる人だといいんだけど。
「ねぇ」
 声は驚くほど簡単に発せられた。自身の声を聞いて、私は思ったより恐怖感も緊張感も感じていないことに気が付いた。ある意味では無理もない。軟禁とはいえ、ここは地下室でも檻でもなく、普通の部屋なんだから。加えてこの男の風貌も、見ようによれば普通の好青年に見え、暴虐性や加虐性も今のところ一切感じられない。油断して良いとは思わないけど、少なくとも今すぐに何かされるということはなさそうだ。
「なに?」
 男は視線を上げ、そう言った。
 良かった。取り敢えず会話は出来そうだ。刺激しないように、無難な質問を訊ねてみよう。
「ここはどこ?」
「僕の家」
「どうして私はあなたの家に居るの?」
「僕が連れてきたから」
 いやはや、困った。どうやら私は本格的に誘拐されたみたいだ。心の何処かで別の可能性を望んでもいたけど、そんなことはなかった。そもそも手枷なんて付けられている時点で誰がどう見ても誘拐なんだけど。

 私の知る限り、誘拐の主な動機は、身代金目当てか、或いは誘拐そのものが目的か……。私としては早く解放してほしいので前者だとありがたい。が、私の家は特に裕福じゃないのでその可能性はなさそうだ。となるとやはり、そういうことをされてしまうのだろうか? けど、私が言うのもなんだけど、彼の目的がそれならこんな面倒な事はしないと思う。というのも、誘拐犯だというのが惜しいくらいには身形が整っているので、もしそういうことがしたいのなら幾らでも相手は居るはず……。誘拐犯に興味を持つというのも妙な話だけど、他に考えることも無く退屈なので、直接本人に訊いてみることにした。
「どうして私をここに連れてきたの?」
 そう訊ねると、彼は黙ったまま、何とも感情の読み取れない表情でこちらを見つめてくる。
「聞き方が悪かったかしら? 私を誘拐した目的はなに?」
 改めて訊ね直すと、彼は
「目的は特に無いよ」
 と答えた。
「ふざけないで」
 私は少し呆れた声でそう洩らした。
「理由も無くこんなことをして許されると思ってるの?」
 そう言い放つと彼は、
「理由が有ろうが無かろうが許される行為だとは思ってないよ」
 と呟き、何事も無かったかのように視線を逸らした。
「私をどうするつもり?」
「どうもしないよ。危害を加えるつもりは無い。外に出すつもりも
無いけどね」
 頭が真っ白になった。どうやら今の状況は私の想像していたことよりも遥かに始末が悪い。これなら身体目当ての方が幾らかマシだったかもしれない。男の言葉が真実なら、彼は私をどうする気も無い。が、言葉通り目的無く攫ってきたのなら、それはそれで飽きるまで解放されることはないだろう。いや、飽きても解放されるとは限らない。私が誘拐犯の立場なら、みすみす解放するわけがない。あまり考えたくはないが、解放されず口封じに殺される可能性も十分に有り得る。彼は「危害を加えるつもりは無い」と言ったが、この先どう心変わりするかなんて……。ん? 危害?
「ねぇ、誘拐犯さん」
 私はふと、思い付きを試してみることにした。
 
「さっき私に危害は加えないって言ったよね?」
 私は、彼が話を聞いていることを確認し、はっきりとそう言った。
「ああ、言ったね。それが何か?」
「何か? じゃなくて、手枷。これ外して。腕に食い込んで痛い。危害は加えないんでしょ?」
 私がそう言うと、彼は何が楽しいのか笑みを浮かべ
「なるほど……そう来たか……」
 と、独り言のように呟いた。
「ほら、早く外して。別に暴れたり抵抗したりしないから」
私が言い終わる前に、彼は鍵のようなものをポケットから取り出し、私に付けられている手枷にはめ込んだ。が……。
「外してくれないの?」
「悪いけど外す訳にはいかない。緩めたから痛みはもう大丈夫だろう?」
「痛い、私金属アレルギーだから」
「はは、嘘は良くない」
 駄目だった。言葉の揚げ足を取り手枷を外してもらおうと考えたが、そう上手くはいかない。それに、仮に手枷のひとつ外れてもそれで脱出出来る訳ではない。泣き落としも通用しないだろう。暫くはここで大人しくするしかなさそうだ――。

 私がここに連れて来られてから数日が過ぎた。
手枷は壁に繋がれており鎖の伸びる範囲(私が居る部屋の中)しか移動することは出来ないが、それでも何不自由なく生活できる程度には物や設備が整っている。衣服や日用品の類は勿論、洗面所、キッチン、冷蔵庫、電子レンジ、更には手枷を付けたままでも使用出来るよう改良されたトイレやバスルームまで。
 手枷は相変わらず外してもらえないが、誘拐されているという事実から目を逸らせば、意外にもここでの生活は悪くなかった。
「おはよう」
 声のする方へ振り向くと彼が立っている。彼は決まって毎朝七時に朝食を運んでくるのだ。
「……ん」
 私は気怠そうに返事し、読んでいた文庫本に視線を戻した。
「ここ、置いておくから」
 彼はそれだけ言うと去っていった。

 初めは彼の用意した食べ物を口にすることに抵抗があり、食事は部屋に常備されていたレトルト食品で済ませていた。けれど、よく考えれば「危害を加えるつもりは無い」と言っていた彼のことだ、毒など入っていないだろう。そう思い一昨日辺りから口を付けることにした。
「……いただきます」
 誰に言う訳でもなくそう呟き、私は朝食を摂り始めた。
しめじごはん、焼き茄子、蒸し豚、お麩のおみおつけ――。どれもこれも、とても丁寧に調理されている。
 朝食を食べ終えた私は、再び文庫本を読み進めた。

 ここにいる間、私は特に退屈を感じたことはない。本は幾らでも読めるし、彼に頼めば大抵の物は用意してくれる。元より出不精であった私にとって、外出が出来ないことはそれほど苦にならなかった。ただ、話し相手がいないことは、唯一それなりに堪えた。

 文庫本を読み終えた私は部屋の中を物色することにした。ここ数日ひたすら読書漬けだったので良い気晴らしになるだろう。
 部屋の隅に眼をやると昨日までそこになかった一抱えほどの大きさの玩具箱があった。私が退屈しないように彼が用意した物だろうが、彼は私を小さな子供か何かと勘違いしているのだろうか? 箱の中にはサンリオのぬいぐるみだの、セボンスターだの、どう考えても私の歳に不相応な玩具が入っており、なんだか小馬鹿にされた気分になった。
「ふざけんな」
 私は玩具箱を力いっぱい蹴飛ばしてみた。垂直に倒れた玩具箱から、がらがらと心地の良い音が響く。実を言うとそれほど腹を立てていた訳では無いが、子供の頃からやってみたかった行為のひとつだったので何となく気分が良かった。私は誘拐されているんだからこれくらい許されてもいいだろう。
 乱雑に散らかった玩具に視線を向けると、見覚えのある物があり思わず二度見した。私は屈んでそれを拾い上げた。
「やっぱり」
 私の両手にすっぽり収まるそれには「UNO」と書かれていた。

 私は子供の頃、家族とよくこれで遊んでいた。家庭の方針でTVゲームが禁止されていたので毎日のようにこれで遊んでいたのだ。私はなんだか妙な感覚になり、箱を開け中のカードを手に取り眺めてみた。スキップ。リバース。ドロー2……。
 確率計算の得意な父は、残り枚数を数え効率の良い切り方をしていた。観察力の優れた母は、カードの並べ方から他者の手札を推理していた。二つ下の弟は、あまり上手ではなかったが他の誰よりも楽しそうに遊んでいた。
 もう二度と会えないかもしれない家族のことを思い出すと、途端に現実感が無くなった。今この場に居ることに例えようのない焦燥感を感じる。私は馬鹿だ。誘拐されたと頭では分かっていたハズなのに、心のどこかで小旅行にでも来た気分でいた。
 家族だけでなく、学校の友達にも会えない。親戚の人にも、塾の先生にも。そう思うと居ても立っても居られなくなり、私は声を張り上げた。
「ねぇ、居るんでしょ」
 玩具箱を蹴飛ばした時とは比べ物にならない程の大声で叫んだ。そんな私とは対照的に、彼は落ち着いた様子でゆっくりと部屋に入って来た。
「なに?」
 いつもと変わらない声で話す彼を見て、私は何を言っても無駄だろうと痛いほど痛感したが、それでも言わずにはいられなかった。
「ここから出して」
 そう言った途端、涙が溢れ出した。焦りとか、怒りとか、色々な感情がぐちゃぐちゃになって抑えられなかった。
「今出してくれたら誰にも言わないから」
 私は掠れた声をなんとか言葉にした。前がよく見えないので彼がどんな顔をしているのか分からない。私は肩を落とし、ぽろぽろと涙を零した。
「……ちょっと、じっとしてろ」
 彼はそう言って、私の肩をそっと抱き寄せた。そして、ハンカチを取り出し、丁寧な手付きで私の顔を拭いてくれた。
「ごめんな、外に出してやれなくて」
 彼はとても悲しそうで、それでいて愛おしいものを見るような、優しい目をしていた。曲り形にも誘拐犯の癖にそんな表情する人なんだと少し面食らったが、状況に反して逆に冷静になってきた。
「出してやれなくて? どういうこと?」
「説明するよ、座って待っててくれ」

 私は彼に促されるまま座り、暫く待つと彼もテーブルに着いた。彼は自分と私の前にマグカップを置き、緑茶を淹れてくれた。彼曰く、熱いお茶の苦みの成分は心を落ち着かせるらしい。けど、そんなことはどうでもいい。
「何を聞かせてくれるの?」
 私は急かすように言った。
さっき、意外にも彼は謝ってきた。外に出してやれなくて、と。口振りから察するに、何か理由があるのかもしれない。
「話の前に、幾つか質問させてくれ」
 彼はそう言って、私の返事を待たずに
「君の歳と、今日が何年の何月何日か、答えて欲しい」
 と、続けた。
 質問の意図は分からないけど、話が拗れても面倒なので私は正直に答えた。すると、彼はお茶を少し啜り、無言で首を横に振った。
私は日付を間違っていたのかと思い、何度か言い直したが、それでも彼は私の目を見て、首を横に振り続ける。
「なんのつもり?」
 煮え切らない様子に堪えきれずそう言うと、彼は心底がっかりしたような表情を浮かべ、
「覚えてないんだね」
 と、か細い声で独り言のように呟いた。
 
「少し待ってて」
 彼はそう言うとゆっくりと席を立ち、何やら紙束をのような物を持って席に戻ると、それを机の上に広げた。
「これを見てほしい」

 促されるまま紙束に視線を落とすと、それはカレンダーだった。けど、おかしい。西暦の数字が数年先になっているし、和暦に至っては「平成」ではなく「令和」という見たこともない元号になっている。
「なにこれ? 中国かどこかの暦のカレンダー?」
 そう訊ねると彼は静かな声で
「太陽暦のカレンダーだよ」
 と答え「それも今年のね」と付け加えた。

「これから言う事を、どうか落ち着いて聞いてくれ」
 彼はそう念を押し、じっと私を見つめると、
「君は此処に来てもう数年経っているんだ」
 と、真に迫る様子ではっきりとそう言った。何の冗談かと思ったが、不思議と嘘を言っているようには見えなかった。
「分かった。落ち着いて聞くから全部説明して」

 そう言うと、彼は私が「ポルフィリン症」という病気だと説明した。「ヘム合成回路」だの「ウロポルフィリノーゲン」だの小難しい単語の意味は全く理解出来なかったが、早い話、私は生涯太陽の光を浴びることが出来ないらしい。
 太陽光を浴びると過敏症を引き起こし、身体には勿論、精神面にも様々な影響を与える。不眠、不安、うつ、幻覚、混乱、パラノイア、そして、記憶喪失――。
 
 彼が「外に出してやれなくて」と謝ってきたのは、つまりそういうことだったのだ。監禁も、手枷も、全部、記憶を失った私がうっかり外出しない為の配慮。延いては、この部屋全てが私の為に作られた生活の場だったのだ。
なら、彼は誘拐犯などではなく、きっと私の――。

「どうしたの?」
 彼の声を聞いてはっと我に返った。どうして今まで忘れていたんだろう。一番大事な人がそばに居てくれたのに。挙げ句は誘拐犯扱いだなんて……色々と酷いこと言っちゃったな。
「ううん、なんでもない」
 私は出来る限り明るくそう言った。
 
「ねぇ、×××」
 私は微笑みながら彼の名前を呼んでみた。
「UNOでもしよっか」
 振り向いた彼にそう言うと
「いいよ、姉さん」
 と、弟はにっこり笑って、そう答えてくれた。

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